第2話 一緒に登校

 その翌日、翔太が家を出た時だった。


「もうっ、翔太先輩ってば遅すぎます。わたし、すっごく待ってたんですからね!?」


 という、甘ったるくもしつこくない、絶妙にかわいい声が聞こえてきた。


「……俺、つい最近、まったく同じ台詞を聞いた覚えがあるんだが」


「え、本当ですか? 世の中にはまったく不思議なこともあるものですねー」


「何でだよ! 言った張本人が不思議がる意味がわからねえ!」


「そこに気づくとは……!」


 声の持ち主である陽菜子はそう言って、いたずらっぽく笑うのだった。


 思わず見とれてしまう翔太。


 だが、翔太の視線を察知して意地の悪い笑みを浮かべる陽菜子に気づき、


「と、というか、何で俺んちの前に凛藤さんがいるんだ?」


 つとめて冷静に言えたと思うが、実際の翔太の声は若干うわずっていた。


 そんな翔太の状態に気づいているのかいないのか。


 すすす、と陽菜子は近寄ってきて、翔太に身を寄せ、耳元で囁く。


「陽菜子ですよ、翔太先輩? わたしのことは名前で呼んでください」


 陽菜子の甘酸っぱい匂いが鼻先をくすぐる。何これいい匂いすぎない。女の子ってみんなこんないい匂いがするの?


 などと思っている場合ではないと、翔太は頭を振る。


「な、何でだ!?」


「翔太先輩には、わたしの恋愛が成就するための実験台になってもらう約束をしたじゃないですかー?」


 昨日に引き続いて、もうまったく隠す気がなくなっている陽菜子に、翔太は半笑いになる。


「だからですよ?」


 わかりましたかー、と陽菜子は言うが、まったくわからない。


「俺が実験台になることと、名前で呼ぶことにどんな繋がりが?」


「翔太先輩にもいつか彼女ができる――かどうかはわかりませんけど」


「おい。そこは言い切ってくれよ」


「できるんですか? ……え、本当に?」


 マジトーンで聞くのはやめて欲しい。


 ただ、希望だけは捨てたくないと思っている。


「とにかく。翔太先輩にいつか彼女ができた時、彼女のことを名前で呼ぶじゃないですか」


 たぶん、そうなると思うので、ちょっと照れながらもうなずく翔太である。


「なので、その練習もかねてですよ」


 なるほど――と思いつつ、これの何が恋愛を成就させるための実験に繋がるのか、さっぱりわからなかった。


「というわけで。はい、翔太先輩。呼んでみてください」


 陽菜子が上目遣いで言ってくる。


 そんな気軽に言わないで欲しい。


 女の子と会話することなどほとんどない毎日を過ごしている翔太にとって、名前呼びはハードルが高すぎるのだ。


「ひ、ひひひひ」


「何笑ってるんですか?」


「一生懸命名前を呼ぼうとしてるんだよ!」


「なるほど。では、次の言葉はわかりますか? 次の言葉は『な』で、その次は『こ』、そして最後に『愛してる』でおしまいですよ?」


「最後に余計な台詞が付け足されたような気がするんだが?」


「気のせいです!」


 こいつ言い切りやがった!


「ほらほら、翔太先輩。早く呼んでくださいよー!」


 陽菜子が、猫が甘えるような感じに、体をこすりつけてくる。


 ただでさえ鼻先をくすぐる甘酸っぱい匂いにドキドキしまくりなのに、ほのかに伝わってくるやわらかい感触に、心臓が保ちそうにない。


 ええい、もうどうにでもなれ!


 そんなやけっぱちな気持ちで、翔太は陽菜子の名前を呼んだ。


「陽菜子愛してる! ――これでどうだ!」


「なぁっ!?」


「なぁ?」


「――んでもありませんよー?」


 とか言いながら、なぜか顔を盛大に背ける陽菜子である。


「というか、まさか本当に言うとは思いませんでした。翔太先輩、恥ずかしくないんですか?」


「めちゃくちゃ恥ずかしいに決まってるだろ!?」


「それなのにがんばったわけですか。……なら、がんばった子にはご褒美をあげなくちゃですよね?」


「ご褒美?」


「目、つぶってください」


「は?」


「ほら、早く」


 ご褒美で、目をつぶれって!?


 キキキキキスとか、そういうことなのか!?


 したくないといえば嘘になる――だが。


「だ、だめだ! そういうのはちゃんと好きな人とするべきだ!」


 だって陽菜子は、本当に好きな人がいるのだから。


「翔太先輩のえっち。違いますよ。わたしの言うご褒美はこれです」


 言いながら、陽菜子が背伸びして、翔太の頭を撫でた。


「えらいえらい。よくがんばりました」


 年下の女の子に頭を『いい子いい子』と撫でられる。


 いいかもしれない――じゃない。


「これなら目を閉じる必要はないんじゃないのか?」


「そですね」


「おい」


「えへへ♪」


 笑って誤魔化してもかわいいだけである。


「まあまあ、いいじゃないですか。それより、どうしてわたしがここにいるのかという話ですよ」


 言われてみれば、そんな話をしていたことを翔太は思い出した。


「好きな人と一緒に登校するための予行演習ですよ」


 思っていたよりもまともな答えだったので、翔太は思わず「おお」と感嘆の声を上げてしまった。


「というわけでいきますよ、翔太先輩!」


 陽菜子が腕を組んできた。


 当然、翔太は慌てたし、引き離そうとしたが、これも予行演習に含まれると言われれば、納得するしかなかった。




 翔太にとってはいつもの通学路だが、陽菜子にとっては違うようで、


「あれ、なんですか?」


「こっちは?」


「それって」


 といろんなものに興味を示し、その都度、翔太は陽菜子に説明した。


 そんなふうに歩く通学路はいつもと違って何だか楽しく、気がつけばいつの間にか学校にたどり着いていた。


「では、翔太先輩。実験台、ありがとうございましたー。またよろしくお願いしますねー?」


「おう」


 手を振りながら自分の教室に向かう陽菜子を見送ってから、


「さて、俺も行くか」


 と自分も教室に向かって歩き出した翔太だったが、


「……あれ?」


 そういえば、どうして陽菜子は翔太の家を知っていたのだろうか?


 後日尋ねれば、


『そういえば、どうしてでしょうね? 不思議ですねー?』


 と煙に巻かれるのだった。

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