4−4「猿」

余計な情報を与えたくない。

…それは、のことを指すのだろうか。


僕は観覧車のゴンドラの中から上を見上げる。


園内の塔を模した展望台。

その上に一匹の猿がいた。


ぼんやりと見える黒い体毛。

耳も目玉もなく口元は糸で縫われている。


人の背丈を持つ猿。

…それが、こちらをじっと見つめている。


『落ち着いて、あまり見ちゃダメ。』


主任が口元に指を当てながら、スマホを見せる。

そのスマホの画面がゆらりと揺れる。


それは、観覧車が動いているため。


…もちろん撤去班が動かしているわけではない。

午後の清掃に入った瞬間、扉を閉めた途端にゴンドラが勝手に動き出したのだ。


下の機械室には人だかりができていて、この状況をどうにかしようと四苦八苦している様子も見える。


僕らを乗せた観覧車。

その観覧車は塔の背丈を追い越し、今まさに頂上へと向かおうとしている。


『落ち着いて、何を見ても声をあげてはダメ。』


ついで打った文を僕に見せる主任。

その背後には動いているゴンドラが見える。


中には出してくれと叫ぶ人。


…いや、違う。あれは人ではない。

喉がばっくりと裂け血を流し続ける人間大の猿。


身体中がぼんやりとした黒い毛で覆われ、必死に外へ出ようと血の付いた両腕で割れそうなほどにゴンドラ内のガラスを叩いている。


見れば、他のゴンドラにも同様にガラスを叩く猿がいる。


1、2、3、4…


その数を無意識で数え、僕はぞっとする。


猿は5体。

この観覧車で死んだ人間の数と一致する…


気がつけば、園内が暗くなっていた。


周囲から悲鳴にならない叫び声が聞こえる。


赤黒い血の飛び散るコースター。

そこには目を押さえ後頭部の崩れた猿が口々に叫び声をあげていた。


半壊したメリーゴーランド。

パイプに側頭部を貫かれた猿が歪なオブジェのように磔にされ回り叫んでいた。


赤黒い空。

赤黒い園内。


血を流し、叫び声をあげる人間大の猿たちが徘徊する遊園地。


…そこで、僕は気づく。

園内の内装がゴンドラが動き出す前と変わっていることに。


アトラクションの中心部に描かれていた三体のキャラクター。

テレビアニメに出てくるような着ぐるみたちのイラスト。

それらはもはや消え失せ、別のものへと変わっていることに。


…そこにいたのは三体の猿。

目を覆い、耳を覆い、口元を覆った三体の猿。


それら三体の猿たちは、足元から赤黒い血を滴らせながら、まるで監視するかのように園内を見つめ続け…


『これが、死んだイラストレーターの末路にして最後の作品か。』


感想とも言えるつぶやきをスマホに書き込む主任。


…その時、くぐもったような笑い声が聞こえた。


見れば、下がっていくゴンドラの中。

塔の上であの大猿が笑っていた。


目も見えず、耳も聞こえず、口元を縫われ。

裂けた喉で引きつれたような笑い声をあげる一匹の黒いぼんやりとした猿。


その猿と目が合った瞬間、ゴンドラの扉が開き…

僕らは撤去班の手によって明るい外へと連れ出された。

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