3−3「想起と正気」

…小説の書き始めの頃。


人目なんか気にせず、僕はただガムシャラに作品を書いていた。


自分の書きたいものを目的もなく適当に書き散らかす日々。

賞に応募して人が読んでくれればそれで良いと思っていた日々。


それからしばらくして、僕は小さいながらも賞をとった。

読者も増え、リピーターも出るようになった。


その頃から僕はプロの作家になりたいと意識するようになった。


どうすればより良く読んでもらえるか。

賞を獲れるようになるか。


いつしか、そればかりを考えるようになっていった。


小説投稿サイトで定期的に行われる編集者のアドバイス講座。

批評家のブログが更新されるたび、僕はそれらに頻繁に目を通すようになった。


現在トレンド入りしている作風とは何か、今風の作品とは何かを必死に研究し、それに準じた作品を作っては定期的に賞に応募するようになった。


…そうしていけば、デビューできると思っていた。

流行に沿った文章こそ、人に読まれるものだと思っていた。


でも、それ以降、賞に入らない日々が続いた。


最終選考には残るものの読者層は次第に減っていき、とうとう選考にすらあげてもらえなくなってしまった。


何がいけなかったのか。

どうすればいいのか。


もう僕自身、何を目指せば良いのかわからなくなっていた。


人真似にならないよう作風を工夫する。

それでも応募すれば編集の講評にパターンが似ていると指摘される。


期間内に出さねばと寝る間も惜しんで作り上げた小説を応募する。

文章に粗が目立つ、誤字脱字が多いと指摘を受ける。


必死に文章を直し、別の場所に応募する。

もはや歯牙にさえかけてもらえなくなる。


必死に書き続ける日々。

賞に応募し落ち続ける日々。

評価が落ち続けていく暴落の日々。


焦りばかりが募り、自分が本当に書きたいものが何なのかわからなくなる。


でも、時間がない。

次の締切まで間に合わない。


早く家に帰って書き上げないと。

次の締切までに何かを書かないと。

何かはわからないけれど書き上げないと。


そうでもしないと。

次を書かないと、もう自分が自分でいられない。

何の取り柄もない人間でしかなくなってしまう。


そして、追われていく焦りの中で僕は気づく。


僕は隣に座る女性の手を握っている。

彼女のドアのロックに手をかけようとしているのを止めている。


(…なぜだろう、そんなことよりもするべきことがあるだろうに。)


外に出なければ。

書くべきものを書かなければ。


そうしなければ、生きている意味がなくなってしまうのだから。


そのためには、今すぐ手を離せばいい。

離して車から外に飛び出せば良い。


…なのに、僕の手は彼女から離れない。


額から汗が流れ落ちる。

早く外に出ろと心がせき立てる。


でも、でも僕はどうしてもドアを開けることができず…


「落ち着いて、小菅くん。焦ってばかりじゃあ何も始まらないわ。」


その言葉にハッとする。


気がつけば、車の窓に大量の蛾やカエルが張り付いていた。


ドアの隙間に入ろうとする黒っぽい虫たち。

黒い腐った根を体に絡みつかせた生物たちが窓の視界を塞ぐ。


…なぜこんなことになっているのか。


走行する車の窓、虫たちの群がる後部座席のガラスの向こう。

その隙間から未だ僕たちを追い続ける黒っぽい人だかりの姿が見えた。


瞬間、僕はここまで来た経緯を一気に思い出した。


「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」


気がつけば、僕が手を握る里中さんが壊れた機械のように同じ言葉を繰り返し、ボロボロと涙を流している。


「近くの人間にも影響を及ぼすのか…まずいわね、早くここを抜けないと。」


主任はそう言うとフロントガラスに張り付く虫を高速ワイパーで振り落しつつ、ここまでナビをしていたスマートフォンに目をやる。


「…で、ここまでの状況を見ている誰かさんは、この時点で何の用意もしてないなんてこと、ないわよね?」


(え、誰に話しかけているんだ?)


そして、次の瞬間…


『まあ、よほど阿呆でもなきゃ気がつくわな。』


ナビから男の声が流れ出した。

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