1−4「死者と記憶処理」
「…ふーん、小菅くんもちゃんと8月に墓参りには行ってきたのか、偉いな。」
夕方の4時半すぎ。
あの墓地にほんの数時間いただけの気がしていたが、実際の時間を見ると休憩も取らずに僕は長い時間、あの場所にいたようだ。
『お疲れ様です、ご自由にお取りください』と貼り紙の置かれた台の上のおはぎを主任は紙皿の上に取りわけると、僕に渡す。
ここは社内に特別に設置された休憩室。
ドアから出れば会社のロビーに繋がっていて、見事な細工のされた嵌めガラスの向こうに行き交う社員の姿がちらほら見えた。
「今日は本来、各地の清掃班が1年間頑張ったご褒美として貰えるサービスデーだったんだけどね。することも区間内の墓掃除だけだから2時間ほどで済むし、食堂で使える無料食券の配布やおやつも用意されたりして、仕事が終わってめんどくさかったら早帰りもできる至れり尽くせりの日のはずなんだけど…今回くじ運がなかったのよね。」
広い部屋はがらんどうで机の上にはデザートに出されたであろう、残ったおはぎの載ったトレーがいくつかとドリンクバーがちらほらと見えるのみだ。
「10時のおやつ前にトイレに行って帰って来たら小菅くんの姿が見えなくなってて、あの区間は最近亡くなった社員の墓だったから…小菅くんは運悪く、そこにいた平塚の霊につかまっちゃったというわけね。」
ついで、主任はポスポスと僕の皿の上に追加のおはぎを3つ4つのせる。
「昼も食べてないからお腹空いているでしょう。これ食べなさい…で、小菅くんを探していたら区間をうろついていた飛田を見つけて事情を聴き出してようやく現場に駆けつけられたわけ。」
主任はドリンクバーに行き、二人分のお茶を入れると片方を僕によこした。
「でも、話を聞けば聞くほど飛田自身がどうしようもない人間だとわかってね。本来なら平塚くんがパニックや拒絶反応を出した時点で上の許可を取って、記憶処理して労災金を渡して日常に戻すべきなのに、飛田は自身の評価がマイナスになることを恐れて記憶処理でごまかして仕事をさせていたの。」
そう言って主任は取り皿に自分のおはぎを取る。
「以前、飛田は記憶処理の担当をしていてね。その時の技術を悪用して目の前で起きていることが現実ではないと平塚くんに刷り込ませていた。で、交通事故が起きた時には清掃場所の怪奇現象が原因で精神異常を起こした末に事故を引き起こしてしまったと虚偽の報告をしてごまかした。まあ、そんな性格だから記憶処理の担当から外されたとも言えるけど…」
そして主任はこしあんのおはぎをハクっと食べるとため息をついた。
「…平塚くんもかわいそうな子。記憶の改竄が原因で頭が混乱しちゃって思い詰めた挙句に人を巻き込む形で自殺しちゃった。社内ではこれこそ一番避けなければならないことなんだけど…まあ、彼が一番の被害者よね。事故に遭った人たちも彼の記憶から全てを察したみたいだけれど。」
そう言うと主任はズズッと緑茶を飲み、僕の方を向く。
「ん?何か言いたそうね。」
振り向く時、頭についた二つのお団子結びが横を向く。
僕はそんな主任に「いえ…」と答える。
「この仕事をして感じたんですけど僕は上司には恵まれているんだなって。平塚くんとの違いはそこだったんだろうなって思いまして。」
主任はそれに「ふうん」と、どこか意地悪そうに整った顔立ちで笑う。
「そうかしらん、結構スパルタな気もするわよ?何しろこんな会社で働いているんだから命がいくつあっても足りないし。」
(…まあ、確かにそれもそうだけど。)
そんなことを考えていると、主任はトレーに残ったおはぎをしげしげ眺める。
「そういえばさ、あの水の中に沈んでいたのは萩の花だったわね。春の時には牡丹の花が咲くらしいけど、やっぱりお彼岸も時期になると水の中の花も変わるのかしら?」
そんなことをひとりごちながら、残ったお茶を飲む主任に僕は聞いた。
「…ところで結局あの墓の群れはなんだったんですか?時間が経つごとに、水も溜まって川みたいになりましたけど。主任は三途の川だと言っていましたよね?」
しかし、そこまでいったところで主任は人差し指を口に当てる。
「んー?それ以上の情報は私の口からは言えないわ。知りたかったらこの仕事を3年続けてエージェントになりなさい。」
そして時計を見ると「よし、今日も定時あがりだ。」と言って空になった皿と割り箸を近くのゴミ箱に捨てると立ち上がる。
「…もっとも、仕事が嫌になったり辛く感じたらすぐにでも私に報告しなさい。上に報告してお金をたっぷり渡して引退させてあげるから。何しろこの職場では、いつ死んでもおかしくはないことは確かなんだし…」
そう言って歩き出す主任。
僕はその言葉を吟味しつつ主任について歩いていく。
あと3ヶ月で1年となるこの職場。
母もなるべくここに長く勤めて欲しいと願っていた。
…別に、母の期待に添いたいわけでもない。
しかし、この10か月の中でいつしか僕は目の前で起きる現象に説明がつかないことに、どこか引っかかりを覚えるようになっていた。
ここで何が起きているのか。
この会社は本当は何をしているのか。
僕はそれを知るために、主任の背中をもうしばらく追ってみることにした。
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