第13章 蟲毒の完成
第148話 蟲毒な追跡者
「待ちなさい、義弘!」
「くっ……!」
校舎の中を駆ける僕の背後から、激しい怒声と足音が迫って来る。
一瞬だけ後ろを振り返ってみると、金色の髪を振り乱し、風でスカートが捲れる事も厭わずに走ってくる蜂須の姿があった。
走るのに邪魔だと判断したのか、先程の書類やカッターナイフをポケットか何処かに仕舞っているらしく、彼女は手ぶらの状態だ。
とはいえ、蜂須に捕まればゲームオーバーである事に変わりはない。
「はぁ、はぁっ、何処かに隠れるか?」
蜂須を探すためにあちこち動き回っていた事もあり、僕は体力を既にかなり消耗してしまっている。
その上、廊下を歩く人を避けながら逃げなければならないため、余計な時間をロスしてしまい、後ろから追い掛けてくる足音を突き放すには至っていない。
とにかく、少しでも体力を回復させるためには、何処かに隠れる必要があるのだが……。
「あ、先輩? どうしたんですか?」
「蟻塚さん? 悪い、今は事情を説明している暇はないんだ!」
僕の進路上にある廊下の角から不意に現れた蟻塚に声を掛けられたが、ここで足を止めてしまえば蜂須に捕まってしまう。
僕は一言だけ返事をしてから、蟻塚の返事を待たずに再び全力で走り始めた。
「くそっ……!」
これまでの僕の迂闊な言動が、蜂須を追い詰め、彼女を変えてしまった。
反省すべき点は多々あるが、今はこの状況から逃れる方が優先だ。
とにかく、何処かに隠れて体力を回復させるべき……いや、そうとも限らないのか。
何処かに隠れて一時的に蜂須から逃れる事が出来たとしても、その隙に蜂須が校門前へ先回りすれば、僕は最終的に捕まってしまう。
校内でかくれんぼを仕掛けるのは、単なる時間稼ぎにしかならないのだ。
だったら、最善策は学校の外に出る事だろう。
駐輪場へ寄って自転車に乗る事さえ出来れば、もう安心だ。
蜂須は電車通学で、自転車は持っていないから、僕が自転車に乗れば確実に逃げ切れるだろう。
文化祭は既に終盤に差し掛かっており、本来の下校時間は過ぎているので、そのまま帰宅してしまっても問題は生じないしな。
「はぁ、はぁ、そうと決まればっ!」
駐輪場を目指す事を決めた僕は、一目散に下足箱まで向かうと、急いで靴を履き替える。
靴を履き替える際は当然足を止める事になるので、時間のロスになってしまい、僕が運動靴に履き替え終わった時点で、蜂須は僕の目と鼻の先まで迫っていた。
「いい加減、止まりなさいよ!」
「悪いが、今は無理だ!」
僕が校舎の外へ駆け出したのを見るやいなや、蜂須も靴を履き替え始めた。
彼女が靴を履き替えている今のうちに、駐輪場へと急ごう。
自転車に鍵を挿して乗る際に、また少し時間をロスしてしまうからな。
その僅かな瞬間に蜂須に捕まれば、元も子もない。
だからこそ、僕は急いで校舎の外へ駆け出したのだが――。
「あっ、蜜井くん! 丁度良かった、今少し話せるかな?」
「げっ、会長!?」
校舎の外へ出た直後、生徒会長としての仕事の一環で校舎の周りを巡回中だったらしい蝶野会長と、バッタリ出くわしてしまった。
会長が丁度僕の進路を塞ぐような形で出てきてしまったので、僕は再び足止めを強いられる。
「すみません、今時間がないので通してください!」
「え、蜜井くん!? 何かあったの? ちょっと待ってよ!」
「うぇっ!? は、離してください!」
蝶野会長に構っている余裕はないため、僕は彼女を避けて奥の駐輪場へ向かおうとするが、僕の腕を彼女に掴まれてしまった。
走る勢いに任せて振り払う事も出来たが、そんな強引な動きをすれば、会長が躓いて怪我をするかもしれない。
時間のロスになるのは痛いが、ここは、手短に事情を伝えて自発的に手を放してもらうべきだろう。
「今、カッターナイフを持った綾音に追い掛けられているんです! だから僕から手を離してください!」
「えええっ!? わ、分かった。ごめんね、引き留めちゃって。」
「いえ。では、僕はこれで……」
「義弘! もう逃がさないわよ!」
「あっ!」
ヤバい!
蝶野会長に捕まっている間に、蜂須がすぐそこまで追い付いてきてしまった。
会長からようやく逃れる事が出来た僕に向かって、蜂須は思い切り手を伸ばしてきたため、僕は間一髪でその手から逃れる。
「くっ!」
駄目だ、今から駐輪場に自転車を取りに行ったら、自転車に鍵を挿している間に追いつかれてしまう!
くそっ、蝶野会長にさえ捕まらなければ、自転車で逃げ切るだけの余裕は残っていたのに!
「はっ、はぁ、はぁっ……!」
止むを得ず、僕は方向転換して校門の外へ向かう。
今日のところは自転車を諦め、このまま逃げる他ないだろう。
今の一幕によって、僕が自転車に乗るつもりだった事は、蜂須に筒抜けになってしまったからな。
蜂須を一旦撒いてもう一度駐輪場へ向かう手は、駐輪場前で待ち伏せされた時点で通用しなくなる。
「義弘っ!」
「っ!」
校門の外へ出た僕を、蜂須はすかさず追ってくる。
こちらも足を止める訳にはいかず、そのまま風を切って道を駆けた。
既にかなり走り回っているが、既に夕方という事もあって空気は冷えてきており、ひんやりとした微風が僕の髪や肌を撫でつけてくる。
汗で火照った体に冷たい風は心地良いのだが、暫く走っているうちに額から汗がダラダラと流れてくるし、シャツもぐっしょりと濡れてきていた。
「あいつは……くそっ!」
暑いし体力も限界に迫りつつある現状だと、自宅まで体力が持たないのは明白だ。
しかし、少し後ろを振り返ってみれば、金髪とスカートを揺らして追い掛けてくる蜂須の姿がはっきりと視認できる。
校門前であわや、といったところまで詰められた距離を再び開ける事に成功こそしたものの、蜂須を撒くには至っていないようだ。
既に満身創痍である僕が未だに逃走を続けられているのは、男女の身体能力の差によるところが大きいだろう。
僕は然して足が速い訳ではないが、蜂須よりは僅かに速いペースで走り続けられているからこそ、彼女から逃げる事が出来ている。
とはいえ、それも長くは持たない。
体力が限界を迎え、僕が徐々にペースを落としつつあるのに対し、蜂須の追跡速度が衰える気配が見えないからだ。
あいつも運動は得意ではなかったはずだが、スタミナは意外とあるのだろうか。
だとしたら、僕が彼女に追い付かれるのは最早時間の問題だ。
やはり、何処かに隠れて小休止を挟む必要があるな。
「だったら……!」
僕の視界の前方に、大型のショッピングモールが見えてきている。
今まで、蜂須達とよく待ち合わせする際に利用していた場所だ。
建物内の遮蔽物や人混みなどを上手く利用できれば、蜂須の目から逃れる事も叶うだろう。
「はぁっ、はぁっ!」
あと少しだ、と自分に言い聞かせ、僕は速度を少しだけ上げてショッピングモールの中へ飛び込んだ。
すると丁度タイミング良く、入り口近くのエレベーターが開いていたので、僕は迷わずそれに乗る。
その直後、蜂須がショッピングモールの入り口を潜り抜けたタイミングでエレベーターの扉が閉まり、僕は狙い通り彼女の目から一時的に逃れる事に成功した。
だが、まだ油断は出来ない。
蜂須がエスカレーターや階段を利用し、上の階まで追ってくる可能性があるからだ。
適当な階でエレベーターから降りた僕は、速やかに男子トイレの個室に駆け込み、そこでようやく安堵の溜息を吐き出した。
「ふぅ……。これで暫くはゆっくり休めるな。それにしても……。」
全く、どうしてこんな事になったんだ。
まさか、あの蜂須がこれ程の凶行に及ぼうとするだなんて。
これまでの僕の行いに原因があるのは間違いないが……いや、今はそんな事を考えていても仕方がない。
ここから問題となるのが、自宅まで安全に帰り着くための方法だ。
蜂須がショッピングモールの出入り口付近で僕を待ち伏せしていた場合、その瞬間に即座に捕まってしまうだろう。
しかし、ここのショッピングモールには出入り口が3つあり、そのうち1つは、駐車場と直接繋がっている。
自動車以外で来店した人間が使うのは、1階に2つある出入り口のどちらかだ。
人通りの多い歩道に面した表の出入り口か、或いはその正反対の方角にある裏の出入り口か。
僕は、どちらの出入り口から外に脱出する方が安全だろうか。
「そうだな……万が一の事を考えると、表の方が良さそうな気がするな。」
表の出入り口の方が人が多く行き来するため、万が一、蜂須がカッターナイフを用いて刃傷沙汰に及んだとしても、その場で誰かに助けてもらう事が出来るだろう。
最悪の場合のリスクを考慮すれば、表の出入り口から脱出する方が安全であるはずだ。
そう結論付けた僕は、呼吸を整えて心の準備を済ませると、気配を殺しながらトイレの個室を後にした。
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