第144話 挑発
文化祭の開演を告げるチャイムの音が鳴った後、僕と蟻塚は早速文化祭を回り始める事にした。
万が一の場合に備え、友人同士だと言い訳の出来るようほんの少しだけ距離を空けて歩く僕達が最初に向かったのは――。
「先輩、まずはお化け屋敷に行きませんか?」
「は……?」
おい、ちょっと待てぃ!
文化祭の出し物は、各クラスや部活動でそれぞれ希望を出し、実行委員会の会議にて各々の出し物の内容が重複しないよう調整した上で、最終的に決定される。
つまり――この文化祭でお化け屋敷を開催しているクラス・部活動は、たった1つ、僕のクラスだけなのだ。
だから、蟻塚が目指そうとしている場所というのも、必然的に「そこ」って事になる。
「ちょっ、さっきの話、忘れた訳じゃないよな!? 変な誤解が広まらないように、って約束したばかりなのに、よりにもよって僕のクラスに行くのか!?」
僕と蟻塚が2人でお化け屋敷を訪ねた時点で、クラスの連中は僕達の関係を勝手に誤解するだろう。
蜂須とカップル扱いされるのは別に良いが、蟻塚とカップルだと勘違いされるのは困るんだが。
僕がそう苦言を呈すると、蟻塚は呆れたように溜息をつき、軽く肩を竦めてみせた。
「先輩は心配性ですね。先輩が蜂須先輩と私の双方と付き合っていると仮定して、想像してみてください。先輩は、二股を掛けている状態で、私と一緒に自分のクラスの出し物に顔を出しますか?」
「いや、出す訳がないだろ。そんな事をしたらどうなるか目に見えてるんだから。」
「でしょう? 浮気相手が在籍しているクラスに、本命の彼女と一緒に顔を出しに行くなんて自殺行為でしかありませんからね。」
んん?
今の話の流れだと、こいつが僕の本命の彼女って事になっていないか?
まあ、蟻塚は元からこういう奴なので、今更いちいち突っ込む気はないけど。
ともかく、例えに一部突っ込みどころはあるにせよ、蟻塚の指摘自体は至極真っ当だ。
本当に二股を掛けている奴が、他クラスに所属している浮気相手の女を連れて、自分のクラスを堂々と訪問できるはずがない。
つまり、僕が蟻塚を伴って堂々とお化け屋敷に入ったとしても、誤解が広まる心配をする必要はないという事だ。
「でも、どうしてお化け屋敷に行きたいんだ?」
「先輩のクラスの出し物ですから。当然、顔を出しに行くに決まっているじゃないですか。先輩も、昨日は私のクラスに来てくれていましたよね? 蜂須先輩と一緒に。」
「お、おう……。あの時、蟻塚さんって出し物の当番に入っていなかったはずだよな? 何で知っているんだ?」
「昨日、帰り支度をしている最中に、クラスの子に言われましたから。私がいつも仲良く絡んでいる先輩が、金髪の怖そうなギャルと仲睦まじく来店していた、と。」
あの時、店員として働いていたクラスメイトの子から、蟻塚に情報が回ってきていたのか。
まあ、流れとしては自然だが、そもそもこいつ、友達いたっけ?
僕が知る限り、日頃から話すような仲の友人はいなかったと記憶しているのだが。
「蟻塚さん、クラスに友達がいたんだな。」
「は? いませんよ? どうしてそう思ったんですか?」
「いや、友達から話を聞いたんだろ?」
「違いますよ。ほら、たまにいるじゃないですか、友達じゃないクラスメイトにも遠慮なく話し掛けてくるタイプの人。」
「あー、まあ確かにいるな、そういう奴。」
僕のクラスで言うと、後藤がそれに近いか。
ああいうコミュニケーション能力が高い奴は、誰にでも声を掛けられるからな。
僕が後藤と仲良くできているのも、その点が大きいのは明らかだ。
「先輩は私のクラスに顔を出したのに、私が先輩のクラスに顔を出さないなんて、不公平ですよね?」
「んー、それって不公平なのか……?」
蟻塚の感覚はよく分からないが、とにかく彼女が納得していない事だけは分かった。
妙な噂が立つ心配が不要だと言うのなら、僕としてもお化け屋敷に入るのに問題はない。
まあ、いつまでも喋っているのも何だし、とりあえず入るか。
「すみません、2人お願いできますか?」
「はい、どう……あれ、蜜井君? うちのお化け屋敷に入るの?」
「あー、まあな。後輩に『うちの出し物を見たい』って言われたんでな。」
蟻塚が受付の女子に話し掛けると、案の定、受付の女子が怪訝な顔をしたが、僕は適当に誤魔化した。
しかし、僕の誤魔化しに納得できていないのか、彼女は相変わらず微妙な表情を浮かべている。
まあ、男女の2人組って時点で、怪しまれるのも無理はないが。
「ふーん、まあいいや。入場してもらって構わないけど、ネタバレは無しだからね?」
「もちろんだ。」
受付の女子に釘を刺されながらも、ひとまず入場は許してもらえたので、僕と蟻塚は入り口の暗幕を潜って教室内に足を踏み入れる。
真っ暗な室内は段ボールの壁で仕切られていて、通路の幅が狭いので、必然的に蟻塚と密着するような形で通路を歩く事になった。
「わぁ、なかなか雰囲気がありますね。先輩がこちらの出し物の準備に関わっていなかっただけはあります。」
「どういう意味だよ!?」
うーん、この毒舌女ときたら……。
何でお化け屋敷に来てまでこいつと漫才をしなくちゃいけないんだよ。
最近毒舌が控え目だった癖に、このタイミングで毒舌を発揮しないで欲しいんだが。
僕達が騒ぎ立てたせいか、段ボールの仕切りの向こう側から「ちっ」って舌打ちみたいな音も聞こえたし。
クラスメイトに舌打ちされるとか、正直悲しくなってくるな……。
「ふふ、なるほど。そこにいるんですね?」
「は? 何を言ってるんだ?」
「こちらの話です。ところで先輩、お化け役の方が出てきましたよ?」
通路の奥から、白装束を纏った誰かがおどろおどろしい動きでふらりと現れる。
だが、向こうからこちらに近付いてくる事はなく、進路を塞ぐように立っているだけだ。
教室の中は狭いので、お化けが追い掛けるギミックは採用し辛い上に事故の原因にもなるから、その手の脅かしは使わない事になっているんだよな。
僕達がお化け役の生徒に近付いていくと、お化け役の生徒はするりと脇に引っ込み、「おおお~」と恨めしい声を上げながら僕達を見送った。
「お化けと言えども、単に生徒が仮装しているだけですし、特に恐れるような事はありませんね。」
「おい。それを言ったらお化け屋敷に来た意味がないだろ……。」
こいつ、お化け屋敷に何しに来たんだよ。
蟻塚はこの程度の脅かしで怖がるような奴じゃないとは思っていたけど、本末転倒にも程があるぞ。
「いえ、来た意味はありますよ? 通路が狭いお陰で、こうして先輩に密着できますし♡」
「ちょっ、くっ付き過ぎだって!」
蟻塚が再び僕の腕に体重を預けてきたので、僕は慌てて彼女から距離を取ろうと後ずさる。
腕を撫でてくる柔らかい胸の感触は確かに気持ち良い……じゃなくて、とにかく問題があるので、速やかに離れなければ危険だ。
このやり取り、傍から見ればカップルがイチャついているようにしか見えないだろうから、誤解を助長しかねないしな。
現に、また「ちっ」と舌打ちする音が聞こえてきたし。
「あ、先輩。そろそろゴールですね。」
「そうだな……。」
「随分と疲れた溜息ですね? 私は楽しかったですけれど、先輩は楽しめなかったですか?」
「自分のクラスの出し物なんだから、ネタなんて最初から分かり切っているんだし、楽しめる訳がないだろ。それよりも、クラスメイトに変な誤解をされる方がよっぽど怖いぞ。」
「ふふ、そう言わないでください。もし誰かに誤解されたら、私も弁明を手伝って差し上げますから。」
「それ、マッチポンプって言うんだぞ……。」
お化け屋敷にいた時間は体感で10分もなかったと思うんだが、かなり疲れた。
お化け屋敷を物ともしていなかった割には、蟻塚は笑顔で楽しそうだな。
もしかして、こいつは僕を弄り倒すためにわざわざお化け屋敷に来たのか?
「さあ、先輩、次に行きましょう。私の目的は達成できましたからね。」
「何だよ、目的って。」
「もちろん、先輩を弄りながらお化け屋敷を楽しむ事に決まっているじゃないですか。」
やっぱりそうなのかよ!
いや、むしろそれ以外に理由があるとは思えなかったけど、全くこいつは……。
……。
「あれだけ挑発したのに仕事を優先して我慢するだなんて、蜂須先輩は偉いですね。ですが――」
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