第140話 嫉妬の針
空き教室で暫し時間を潰した僕は、時計の針が13時前に差し掛かった頃、待ち合わせ場所である1階の下足箱前まで移動してきた。
昼時という事もあってか、グラウンドや中庭などで昼食を食べている人が多いようで、廊下の人通りは午前中よりも少し落ち着いてきている。
だからなのか、僕は目的の人物の姿を難なく見つける事が出来た。
「お待たせ、綾音。」
下足箱前の廊下の壁に寄り掛かるようにして、蜂須が腕を組んで立っている。
蜂須に近付きながら僕が手を振ると、どういう訳か彼女は険しい顔でこちらを見た。
「来たわね……。」
あれ、なんだろう。
心なしか、ちょっと怒っているような表情と声色だな。
僕が待ち合わせに遅刻してきたのならまだしも、ちゃんと予定より少し早めに来たし、彼女は一体何について怒っているのだろうか。
「義弘、あんた午前中の当番を抜けて、生徒会長のヘルプをしてたんだってね?」
「あ、ああ。そうだけど。」
「あんたと生徒会長が2人で歩き回っているところ、あたしも見かけたわよ。仕事の割には、随分と楽しそうにしていたわねぇ?」
ハハッ、見られていたか。
そりゃそうだよな、蜂須は午前中フリーだったはずだし、何処かで僕や蝶野会長の姿を目撃していても何らおかしくはないのだ。
……って、笑っている場合かぁっ!
不味い、いや、不味いなんてレベルじゃないぞ!
このデートを通して、蜂須との仲が進展する事を期待していたのに、これじゃ進展どころか後退しかねない。
「いや、あれはだな、会長が『仕事』の名目で僕を呼び出しておきながら、全く関係ない行動をしていたのが問題であってだな……」
「だったら止めれば良いでしょ? 止めずについて行く時点で同罪だわ。」
蜂須は腕を組んだまま鼻を鳴らし、僕の言い訳をバッサリと切り捨てた。
うん、これやっぱり滅茶苦茶怒ってるよなぁ。
もしかして、妬いてくれているんだろうか……なんてのは、僕にとって都合の良過ぎる邪推だな。
とにかく、今は僕の潔白を蜂須に主張する方が優先だ。
「止めたよ。それで話し合った結果、昼前の時点で会長とは別れた。」
「ふん……。まあいいわ、あたしも今後の対策は考えてあるしね。」
「対策? 一体何を言っているんだ?」
「こっちの話だから、あんたは気にしなくていいわよ。それより、丁度お昼時だし何処かで昼食にしましょう?」
蜂須の言っていた「対策」という単語が妙に引っ掛かるが、話をあっさり逸らされてしまったな。
気になるけど、蜂須の機嫌が悪い今、無理に追及すると余計に拗れかねない。
今日と明日の文化祭デートに全てを賭けているにも拘わらず、見えている地雷を踏みに行くのは論外だ。
今は頭を切り替えて、今日のデートの事について考えよう。
僕と蜂須はこれから昼食を食べに行く訳だが、僕は午前中に蝶野会長とタコ焼きを食べているので、今はあまりお腹は空いていない。
だから食べるとしたら、軽食が良いだろうな。
ただ、蜂須がどうなのかは分からないので、まずはそこの確認からだ。
「綾音は何か食べたい物とかはあるか?」
「あたしは……そうね、1年生のクラスでカフェをやってる所があったから、そこへ行きましょう。」
「カフェか、分かった。」
カフェのメニューは基本的に軽食がメインだろうから、僕の希望ともマッチしている。
断る理由もないので、僕は蜂須の希望通り、1年のクラスが教室で運営しているカフェへと足を運んだ。
「カフェをやってるのって、1年E組か。蟻塚さんのクラスだったんだな。」
「ええ。でも蟻塚さんは今日の午前中にここで働いていたみたいだから、午後はいないはずよ。」
「よく知ってるな、そんな事。」
「午前中、この教室の前を通った時に、蟻塚さんが忙しくしていたのを見たから。」
そうか、蜂須は午前中はフリーだったものな。
たまたま通り掛かったタイミングで見掛けていても不思議じゃない、か。
蟻塚に午後の仕事がない事は、昼前に本人の口から聞かされているし、鉢合わせの心配も不要だろう。
そもそも、蟻塚とは明日の午前中に回る約束をしているので、彼女が今僕を見つけたとしても、無理に乱入してくる事はないはずだ。
「2人お願いしたいんだけど、いいかしら?」
「はい、どうぞ。2名入りまーす!」
「いらっしゃいませー!」
受付の女子に通され、僕と蜂須は教室の一角に設けられた2人用の席に座る。
そしてジュースとサンドイッチ、ホットケーキなどを注文し、昼食を頂く事になったのだが……。
「ほら、義弘。口開けなさいよ。」
ホットケーキを一切れ刺したフォークを、蜂須がこちらに向けて差し出してくる。
あれ、午前中にも似たような光景を見た事がある気がするんだが、デジャヴかな?
「えっと、綾音?」
「口開けなさいってば。生徒会長には食べさせてもらっていたのに、あたしは駄目だっていうの? 告白までした癖に?」
あー……蜂須、まだ怒っているみたいだな。
いや、無理もないか。
自分に告白しておきながら、蝶野会長とデートまがいの事をしているなんてどういうつもりだ、と蜂須が憤慨するのも当然の流れだ。
しかし、こうして怒っているって事は、やっぱり彼女も僕を気にしてくれているのかもしれない。
だったら、蜂須との関係を進展させるためにも、恥を忍んで彼女の要求を受け入れよう。
「わ、分かった。あ、あーん……んっ」
僕が口を開けると、蜂須がホットケーキの欠片をそっと僕の口に突っ込み、食べさせてくれた。
あまりの恥ずかしさに、顔が熱いし額から汗がだらだらと流れてきて、正直ホットケーキを味わうどころじゃない。
ただ、勇気を出した甲斐あって、蜂須の表情が先ほどよりも柔らかくなり、頬もほんのりと赤く染まっていた。
目線をあからさまに僕から逸らしているし、蜂須も相当恥ずかしかったようだ。
自分でやっておきながら照れるとか、ギャルの外見とのギャップが凄まじくて、やっぱり滅茶苦茶可愛いんだよなぁ。
「ちょっと。あんた、さっきから何ニヤついてるのよ……?」
「え? 僕は笑ってたつもりはなかったんだが。」
「笑ってたわよ。あんた、割と感情が顔に出やすい方だと思うから、気を付けた方がいいわよ。生徒会長に食べさせてもらってた時も、満更でもなさそうな顔してたしね。」
「ぐほっ!」
あああ、まだ蝶野会長と一緒に回っていた事を根に持っているのかよ!
胃が痛くなりそうな状況だが、しかし決して悪い状況だとも言い切れない。
これだけ執拗に責めてくるのは、蜂須が会長に嫉妬しているからこそだとも考えられる。
それに、友人止まりの関係の男に、わざわざホットケーキを食べさせてくれるような真似をするだろうか?
つまり、もう僕と蜂須は両想いが確定している、と言い切って良いのでは?
だったら速やかに勝負を仕掛け、正式なお付き合いを承諾してもらうところまで突っ走るのも有りだろう。
ただ、今は蜂須の機嫌が悪いので、仕掛けるタイミングとしては微妙な気がする。
とりあえず、今日は蜂須を宥めて怒りを鎮める事に集中しよう。
蜂須とデートをするチャンスは、明日の午後にも再び巡ってくる。
無事に蜂須の機嫌が直っていれば、明日には――あ。
今思い出したけど、明日の午前中は、蟻塚と一緒に回る約束があるのだ。
蟻塚と僕が一緒に回っているところを蜂須に目撃されたら、明日告白を成功させる事も難しくなるのでは?
となると、蟻塚との約束をキャンセルするという手もあるが……いや、それ以外にもやりようはあるな。
蜂須は明日の午前中、クラスの出し物の当番が入っている。
また、出し物がお化け屋敷であるが故、基本的に教室の中から廊下を見られる心配は不要だ。
要するに、お化け屋敷に入らないようにすれば、蟻塚と僕が一緒に回っているところを蜂須に目撃される心配はいらなくなる。
だったら、やっぱり明日の午後、勝負を仕掛けてみるか。
キャンプの時は失敗に終わったけれど、今度こそは必ず成功させてみせるぞ!
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