第132話 反旗の理由
夏休み中のキャンプから蜜井先輩達が帰ってきた日、私は彼を出迎えるため駅まで足を運びました。
暫く先輩に会えていませんでしたし、キャンプによって彼らの関係性がどのように変化しているのか、一刻も早く確かめておきたかったですからね。
わざわざ足を運んだかいあって、私はその時に、蜜井先輩と蜂須先輩の間に明らかな距離が出来ている事に気付きました。
あの気まずそうな雰囲気のお陰で、とても分かりやすかったのは幸いですね。
蜜井先輩が蜂須先輩と上手くいっていない今こそが、私にとって最大のチャンス。
最大の強敵がいなくなったのであれば、後は私の独擅場です。
そう考えた私は、じっくり時間を掛けて先輩との距離を縮めていくつもりでしたが、2学期に突入してから程なくして、大きな問題が発生しました。
蝶野生徒会長が「文化祭の準備のため」という名目で、蜜井先輩を生徒会のヘルプ要員として勧誘したのです。
しかも、大胆にも放課後の教室に乗り込んで先輩の退路を塞ぎつつ、「彼は自分の物だ」と周囲にアピールするようなやり方で。
さすがの私も、この強引極まりない方法を知った時には絶句しましたね。
先輩は逃げ場がない事を悟ったのか、或いは満更でもなかったのか、この誘いをあっさり了承してしまいました。
蝶野生徒会長がこのような行動を取った理由は、私にも容易に察しがつきます。
恐らく、蝶野生徒会長もこの機会をチャンスと捉え、先輩との距離を縮めようとしているのでしょう。
蝶野生徒会長は先輩に一度フラれたそうですが、未だ諦めていないのは明白です。
当然、私もこの状況で手をこまねいている訳にはいきません。
すぐにでもアクションを起こさなければ、手遅れになってしまう。
今週末に開かれる、文化祭実行委員会の第一回目の会議までに、私は手を打つつもりでした。
この会議で方針が決まれば、蝶野生徒会長の狙い通り、蜜井先輩は毎日のように彼女と会う事になるでしょう。
私は既に後手に回っているのですから、多少強引な手を使ってでも何とかして私が入れる隙間を作らねばなりません。
どうしたものかと悩んでいたある日の放課後、帰宅しようと下足箱の前までやって来た私の元に、とある人物が訪ねてきたのです。
「なぁ、蟻塚さん、ちょいと顔を貸してくれねぇかな?」
「はい? あなたは……確か、以前にも私に声を掛けてきた、2年生の方でしたか?」
少々いかつい顔立ちをしている、2年生の男子生徒。
私は、彼の顔に見覚えがありました。
私の記憶が正しければ、私がこの人と最初に顔を合わせたのは、1学期の終わりが近付いていた頃の事だったでしょうか。
この人は、私をたまたま見掛けて一目惚れした、などという安直で下賤な口説き文句と共に、私に告白してきたのです。
私は、蜜井先輩以外の男性は眼中にないので、当然そのくだらない告白を袖にして差し上げたのですが……こうして声を掛けてきたという事は、まだ何かあるのでしょうか。
「ほんのちょっとだけでいいからよ、時間を貰いたいんだ。こっちについて来てくれよ。」
私の返事を待たずして、彼はさっさと校舎の外へ出ていきます。
私を本気で落としたいと思うのなら、せめて私の返事に耳を傾ける姿勢くらいは見せて欲しいものですが、まあ良いでしょう。
こちらにその気がないのに下手に粘着されても、ただただ鬱陶しいだけですからね。
蜜井先輩の事を考えるために使いたかった時間を、くだらない理由で削られる事に苛立ちを覚えながらも、私は仕方なく彼の後を追い、校舎裏にまで移動しました。
校舎裏は人気がなく、他の教師や生徒の姿は見当たりません。
この時点で、私が何の目的で呼び出されたのかは予想がつきますね。
うんざりした気持ちが顔に出ないよう、私が意識を引き締めて立ち尽くしていると、私をここへ連れてきた彼は真剣な表情を作ってこう言いました。
「俺さ、前に蟻塚さんに告白してフラれたろ? あれから、俺に何が足りないかって色々考えてよ。それで、蟻塚さんに魅力を感じてもらうために、努力する事にしたんだよ。」
「はぁ。具体的には、何をされたんですか?」
面倒臭いですが、さっさと会話を終わらせるために、私は話の続きを促します。
全く、こんな事をしている場合じゃないっていうのに。
私が苛立ちを隠しているせいか、目の前の彼は涼しい顔で自らの主張を続けます。
「俺さ、サッカー部の3年が引退して、部長の座を受け継ぐ事になったんだよ。夏休み中の地区大会で、今まで弱小と言われていたうちのサッカー部の優勝に大きく貢献して、直に開催される県大会まで導いた実績を買われてな。」
「へぇ、凄いですね。」
サッカー部と言えば、蜜井先輩のご友人である後藤先輩も所属しているんでしたか。
蜜井先輩曰く、後藤先輩もかなりの実力者だそうですが……。
後藤先輩を押し退けて部長の座を奪ったか、はたまた、後藤先輩が「自分は部長なんて柄じゃないから」と断ったため、この人にお鉢が回ってきたのか。
ま、私としては正直どちらでも良いのですけれどね。
「自分で言うのもなんだがよ、前に告白した時と比べて、俺は努力して見違えたって思うんだよ。なぁ、今の俺とだったら、付き合ってくれてもいいんじゃないか?」
はぁっ、とんだ自惚れですね。
一般的に、運動部で活躍している男子というのは人気があるらしく、私と同じ1年生の女子達の中でも色々と評判は聞こえてきますが、私はそんな実績や肩書には一切興味がありません。
私の心も体も全て、蜜井先輩に捧げるつもりなのですから、その他の有象無象など知った事ではないのです。
しかし……うん、この人、意外と「使える」かもしれませんね。
私は1年生なので高校の文化祭はこれが初めてですが、担任の先生などから凡その概要や、例年開かれているイベントについての話は伺っています。
文化祭の目玉と謳われるイベントが、PTAからの苦情によって別物に差し替えられ、新しいイベントのために多くの人員が各所から取り立てられるであろう事も、ね。
「地区大会で優勝したくらいで満足されては困ります。県大会で上位に入賞するくらい頑張っている、カッコ良いところを見せて欲しいですね。」
「県大会で上位とか言われたってよ、そんな簡単じゃねえだろ。地区大会で優勝できただけでも奇跡的なレベルだってのに、無理言わないでくれよ。」
「困難な課題に直面しても、部長として部を率いて頑張る姿って、とてもカッコ良いと思うんです。それくらいの気概がある人となら、お付き合いを『検討』しても構いません。」
地区大会でたまたま優勝できた程度の部活が、県大会で上位まで勝ち進める確率は非常に低い。
増して、これから文化祭の準備のために練習時間を削られるとなれば猶更です。
最初からこの人の告白を断る前提であるのなら、より厳しい条件を突き付ける方が良いのですが、この人を利用した上で切り捨てる事を考慮すれば、あまり無理難題を突き付ける訳にもいきませんし、ここらが落としどころでしょう。
手が届く可能性も決して皆無ではない、というレベルの条件を私が提示する事によって、この頭が浅はかな人がどのような決断を下すかは、考えるまでもなく察しがつきます。
「ちっ、しゃあねぇな。俺らのサッカー部が県大会で上位入賞したら付き合ってくれる、って事で言質を取ったからよ、約束は守ってくれよ?」
全く、本当に呆れた人ですね……。
この人は、日本語の理解力がやたらと低い方のようです。
私は「お付き合いを検討する」としか言っていないのですけれど、勝手に私の言葉を捏造して都合良く解釈しないで頂きたいですね。
ただ、私があまり強気に突っ張り過ぎると相手を逆上させてしまう可能性があるのも確かです。
以前、私が意固地に突っ張ったばかりにトラブルを引き寄せてしまった事について、蜜井先輩にも以前厳しく叱られてしまいましたしね。
正直納得はしていないですが、今回の告白の件に関しては一旦これで矛を収めるとしましょう。
「分かりました。その代わり、県大会で上位入賞できなかった場合は、このお話はなかった事にさせてもらいますよ。」
「おう、望むところだ。」
言いたい事を言って満足したのか、彼は私を置いてさっさとグラウンドの方へ向かってしまいました。
今からサッカー部の練習に向かうのでしょうが、告白した相手を置き去りにして早々に行ってしまうなんて、一体何を考えて……いえ、もうどうでも良いですね。
万が一、この人が県大会で上位入賞しようが、私は付き合うつもりはないですから。
もしもの時は、断り文句として彼の失礼な振る舞いを理由に使わせてもらいましょう。
何はともあれ、これで種撒きは完遂しました。
あとは、彼が私の狙い通り暴れてくれる事に期待しましょう。
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