第129話 火種

 メンバーが全員揃ったところで、文化祭実行委員会による第一回目の会議が遂に幕を開けた。

 多くの生徒が集うこの場で、会議を仕切るのは生徒会、専ら蝶野会長の役目だ。

 生徒会長らしい堂々とした態度で場を仕切る彼女は、ここに集まったクラス委員長達、各部活動・委員会の長に対し、今回の文化祭についての説明をつつがなく進める。

 時折、各所から質問や意見などが飛び出してくるが、それらは会長や他の生徒会メンバーが対応し、今後の課題となり得る要素が黒板に書き出されていった。


 今残っている議題は、体育館の舞台を使用する出し物の配分、今年から始まる新しいイベントのための人材確保について、等がある。

 どれもこれも、一朝一夕で片付くような問題ではなさそうだ。

 今後も毎週金曜日の放課後にこの集まりを開催する予定だそうなので、その話し合いの中で残りの課題は消化していく事になるだろう。

 まあ、後から別の問題が噴出してくる可能性もあるので、あまり安心は出来ないけどな。


「今後の課題は、こんなところでしょうか。皆さんの方から、他に何か意見はありますか?」


 窓の外に広がる空が赤く染まり始めた頃、蝶野会長が皆に意見を募るが、誰もかれも手を挙げようとはしない。

 なら、これで今日の会議も終わりだな――誰もがそう思い掛けた、その時だった。


「あのー、少しいいっすか?」

「はい、どうぞ。」


 手を挙げたのは、部活動・委員会側の固まりに座っている男子生徒だった。

 少々いかつい顔つきの彼は、眉間に皺を寄せており、傍目からも不満を抱えていそうな雰囲気が見て取れる。

 もしかしたら、少々厄介な事を言い出すかもしれないな……。

 そんな僕の危惧は、次の瞬間に現実の物となった。


「今年のイベントで必要な人員を確保してもらいたい、って話がさっきあったけど、文化祭前にうちの部活の大会が控えてるんすよ。だから人を何人も出すのは厳しいんすけど。ただでさえ、クラスの出し物の準備とかで、部活の練習時間だって削られるんだしさ。」

「事情は分かりました。しかし、だからと言って特定の部活動だけ贔屓する訳にはいきません。」


 部活動の部長らしい男子生徒からの陳情に、蝶野会長は耳を傾けながらも、あくまで公平な立場を崩そうとはしなかった。

 彼女の反論は至極真っ当なものだと思うが、これで話が収まる程、やはり甘くはない。

 自らの要求が勝手な物である事は、手を挙げた男子も最初から重々承知の上だろうからな。

 それでも尚、手を挙げる事を選んだ以上、彼が容易に退いてくれるはずもない。

 男子はやや前のめりな姿勢になって、会長に食って掛かる。


「俺らの部活ってさぁ、今まで毎年地区大会止まりの実績しか残せてなかったんだよ。だけど今年はみんなが頑張ってくれたお陰で、県大会まで進める事になったんだ。部員の皆だけじゃなく、OBの先輩達だって、俺らの今後の活躍に期待してくれてる。せっかくここまで来たってのに、練習不足なんかで敗退するような事は絶対に嫌なんすよ!」


 部長として、自分は部活動に携わってきた皆の想いを背負ってこの場に来ているのだと、彼は言いたいのだろう。

 って、今の話、後藤から以前聞いた話とよく似ているような……。

 もしかして、この男子が部長を務めている部活動って、サッカー部なのか?

 だとしたら、文化祭の手伝いから逃れるために嘘をついている可能性はなさそうだな。


 最初は自分勝手な主張に聞こえていた意見も、その背景にある人達の想いなどを聞かされてしまうと、それを切り捨てる事に対し心理的な抵抗が生まれてしまう。

 この状況において、尚も「聞く耳持たぬ」と彼の言い分を一刀両断する事が出来る存在がいるとしたら、それは今回の文化祭でも重責を担う事になる生徒会長くらいなものだ。

 果たして、蝶野会長の判断は――。


「部活動が大変なのは分かりますが、人を全く出せないという事はないのでは? レギュラーに選ばれた部員は仕方ないにしても、レギュラー以外の部員は基本的に試合には出ませんよね?」

「試合には出なくても、練習の時に相手になってもらったりはするし、レギュラーが体調を崩した時とかの補欠は必要だろ。とにかく、意地でもうちの部活から人を出すつもりはないっすから。」


 蝶野会長は、あくまで公平な立場を貫き通すつもりのようだ。

 しかしながら、相手の男子も一向に納得する気配を見せていない。

 これはなかなか厄介な気がするな……。


 話が平行線のまま終着点が見えないせいか、教室内は緊迫した空気に包まれていく。

 軽く視線を動かしてみれば、みんな険しい顔で会長と男子生徒の成り行きを見守っているみたいだ。

 会長もどう説得すれば良いか考えているらしく、すぐに反論を出してこようとはしない。

 そのせいで緊迫した空気が更に膨張していくのを僕が感じた矢先、「パンッ!」と乾いた音が鳴ると同時に、教室の隅にいた男性教師が立ち上がった。


「今日の話し合いはここまでだ。もうすぐ最終下校時刻になるからな。それと今の話だが、例えどんな事情があろうとも、ある程度の人数を確保しないと文化祭自体が成り立たなくなるだろ。」

「……。」


 男性教師に咎められ、先ほど意見を主張していた男子生徒は押し黙る。

 蝶野会長よりも更に上の立場の人間からお叱りを受ければ、さすがにこれ以上の反論は出来ないか。

 長引くかと思われた問題だったが、すぐに解決したみたいで何よりだ。


 教師の一声により会議が終わりを迎えたからか、緊張していた空気は弛緩し、生徒達は次々に教室を出ていく。

 先ほど教師に咎められた男子は、教室を出る瞬間、こちらに……より正確に言えば、蝶野会長に一瞬だけ視線を向けてから、すぐに外へ行ってしまった。


「じゃあ、僕もそろそろ帰りますね。」


 僕も特にやる事は残っていないので、隣の席の蝶野会長に声を掛ける。

 会長は何故か少し浮かない顔をしていたが、すぐに笑顔を作り、「うん」と頷いた。


「今後の事は、また後で連絡するね。今日はさようなら、蜜井くん。」

「はい、さようなら。」


 よし、後はもう帰るだけだな。

 金曜日の放課後というシチュエーション故か、はたまた会議の緊張感から解放された直後だからか、不思議と高揚感に包まれながら僕は自分のクラスの教室に戻り、荷物を――。


「お疲れ様でした、先輩。これ、先輩の荷物です。」

「……まだ学校に残っていたのか。」


 僕の教室の前で、僕の鞄を持った蟻塚がニコニコと挨拶をしてくる。

 今日は図書委員の仕事はないのに、何故こいつが学校に残っていたのか、非常に気になるんだが。


「私が残っている理由なんて、どうでも良いじゃないですか。それよりも先輩、今日の会議はどうでしたか?」


 こいつめ、さらりと追及を避けたな。

 まあ、掘り下げたところで碌な事にならないのは予想がつくので、ここは僕も話の流れに乗っておくか。


「少し問題はあったけど、最後はちゃんと纏まったし問題はなさそうだ。今後も、毎週金曜日の放課後に会議を開催するみたいだぞ。」

「なるほど。進捗の報告や課題についての話し合いは、今後も必要でしょうしね。でも先輩、本当に今日の問題は解決したと言えるのでしょうか?」

「どういう意味だ?」

「実は、最終下校時刻が近付いた段階で、会議の会場である教室前まで私も赴いたんです。その時に、会話がはっきり聞こえてきましたよ? あの我儘を言っていた人って、サッカー部の部長さんですよね?」


 蟻塚のやっている事って、盗み聞きに近いと思うんだが……。

 別に機密情報という訳でもないし、話を聞かれていたところで大した問題にはならないけどな。

 ただ、話を聞いていたのなら、僕が説明するまでもなくその後の流れは理解しているはず。

 こいつは、一体何を危惧しているんだ?


「先生が無事に話を治めてくれたし、もう問題は残っていないと思うぞ。」

「はぁ。先輩はやっぱり甘いですね。」


 僕を軽くディスりながらも、蟻塚の表情は真剣そのものだ。

 いつものような軽口とは少し違うみたいだな。

 僕が蟻塚から鞄を受け取って廊下を歩き始めると、彼女もその隣に並んで歩きながら話の続きを口にした。


「人っていうのは、自分の想いをそう簡単に諦められる存在じゃない、って事です。賭けている想いが強ければ強い程、猶更ですね。」

「うーん……。」

「とりあえず、私の方から蝶野生徒会長には進言しておきますよ。もっとも、あの人なら私が言うまでもなく気付いているでしょうけれど。」


 蟻塚が何を言いたいのか、いまいち見えてこないな。

 ただ、彼女の方で蝶野会長に掛け合ってくれると言うのなら、僕が気に掛ける必要はないだろう。


 そんな楽観的な考えを、この時の僕は抱いていた。

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