第124話 未だ見えぬ光明

 2学期の始業式はつつがなく終わりを迎え、予定通り午前中には帰宅できる事になった。

 担任の「解散」の一言を合図に、生徒達がまばらに席を立ち、次々に教室を出ていく。

 朝から現在に至るまでの間、蜂須に話し掛ける機会は得られなかったので、今がチャンスだろう。

 蜂須が席を立って移動を開始したのを見て、僕もすぐに彼女の後を追い、廊下で声を掛けた。


「綾音、少し時間を貰えないか?」

「何? あたし、これからバイトがあるんだけど。」

「ほんの少しでいいんだ。駄目か?」


 アルバイトが入っている、と蜂須が主張している以上、無理に長時間拘束する事は出来ない。

 僕を避けるために嘘をついている可能性も考えられるが、そこを突くのは悪手だろう。

 蜂須の反応を窺っていると、彼女は溜息をつき、廊下の向こう側を指した。


「校舎を出るまでの間、歩きながらで良ければ話に付き合ってあげる。それ以上は、時間がないから譲歩できないわ。」

「分かった。それで頼む。」


 時間にして僅か3分も猶予はないだろうが、贅沢は言えない。

 僕は仕方なく蜂須の提案を受け入れ、廊下を歩きながら話を切り出す事にした。


「最近、僕に対して素っ気ない感じがしたから気になっていたんだ。やっぱり、この前の事、気にしてるんだよな?」

「当たり前でしょ。もしかして、改めて何か言いたい事でもあるのかしら?」

「いや……」


 正直、まだ覚悟を決め切れていないので、今すぐに勝負を仕掛けるのはなぁ。

 蜂須が掲げた「結婚」という条件は、そう易々とクリアできるものじゃない。

 僕の覚悟が半端なままである限り、この膠着状態はこれからも続いていくのだろう。


「ホント、ガッカリよ。あたしはあんたの事を……ううん、何でもない。話はそれだけ?」

「あ、ああ。そうだけど。」

「そ。じゃあ、あたしは今からバイト先に向かうから。ああ、そうそう。蟻塚さんや蝶野生徒会長絡みで何か困った事があったら、引き続き相談には乗るから、その時はまた連絡を頂戴。」

「うん、ありがとう。助かるよ。」

「じゃあね。また明日。」


 蜂須は僕の方へ碌に振り返る事もなく、駐輪場の手前で僕と別れ、そのまま校門の方へと歩き去ってしまった。

 な、なんという塩対応……いや、何かあった時の相談に乗るとは言ってくれているし、そこまでひどくはないのか?

 ただ、好きな女子に素っ気ない態度を取られ続けるのは、思った以上にキツい。

 なるべく早急にこの問題を解決したいところだ。


「って言っても、結婚を前提としてもう一度告白するくらいしか策はないよなぁ。」

「先輩、私と結婚してくれるつもりになったのですか?」

「あー、一応検討はしようと思って……蟻塚、さん!?」


 自転車に乗ろうとしていた僕のすぐ横に、いつの間にか蟻塚が立っている。

 こいつ、いつの間に僕の傍に近付いてきていたんだよ。

 物音も気配もなかったから、全く気付かなかったぞ。

 お前は忍者か暗殺者なのか?


「ふふ、嬉しいです。やっぱり先輩は私の事を想ってくれていたんですね?」

「いや、待て待て。僕は君から告白を受けたけど、確かに断っただろ。」

「もちろん覚えていますよ。先輩と違って、私は頭脳明晰なので。最近の出来事をそう簡単に忘れたりはしません。」


 今その罵倒を挟む必要はあった?

 って突っ込むだけ無駄なんだろうな、きっと。

 蟻塚にとって、僕を罵倒する事は最早ライフワークみたいな物なのかもしれない。


 そもそも、僕が告白を断った花火大会の日以降、こいつはずっと大人しくしていたはずだ。

 キャンプの日の帰りにも何故か現れたが、あの時はまだ殊勝な態度だった。

 しかし、今の蟻塚は、弾けるような笑みを浮かべている事といい、さっきの罵倒といい、完全復活って感じだな。


「元気になったのは結構だけど、何か良い事でもあったのか?」

「ええ。先輩、キャンプの日に蜂須先輩に告白して、失敗したんですよね?」

「ふぇっ!?」


 な、ななな何でそれをぉ!?

 蟻塚にキャンプの時の出来事を一切伝えたつもりはないのに、こいつは何処から情報を仕入れてきたんだよ。


 いや、もしかして単に鎌を掛けられているだけなのか?

 もしそうだとしたら、今の僕のリアクションは完全に失敗だったな。

 いきなり核心を突かれたせいで、動揺が表に出てしまった。

 蟻塚も、僕の反応を目の当たりにしてきっと確信を得ただろう。

 これは不味いぞ。


「私は、確かに一度先輩にフラれました。ですが、先輩が蜂須先輩と破局したのであれば、充分にチャンスはあるだろうと思いまして。」

「だから急に元気になったのか……。」


 蟻塚が復活した理由については、合点がいったよ。

 ただ、蟻塚は1つだけ勘違いをしているみたいだけどな。


 僕と蜂須の関係は、まだ終わった訳じゃない。

 僕が覚悟を決めさえすれば、望む未来を掴める可能性は残されている状態だ。

 まあ、その覚悟がなかなかどうにもならないから、今困っている訳なんだが……。

 本当に、どうすればいいのやら。


「先輩。蜂須先輩にこだわるよりも、私を選んだ方がお得だと思いますよ?」

「得かどうかで相手を選んでいる訳じゃない。こういうのは、自分と気が合うか、これからも一緒に過ごしたいと思える相手であるか、の方が重要だろ。」

「もちろんそうですね。ところで、先輩はこの後予定なんかないですよね? でしたら、一緒に何処かへ遊びに行きませんか?」


 うーん、相変わらずひどい物言いだぁ……。

 僕に予定がないのは、こいつの中では最早確定事項なんだろうか。

 苦言の1つでも呈したいところではあるのだが、予定がないのは事実なので反論し辛い。


「予定は確かにないけど、僕はこのまま真っ直ぐ帰るつもりだし、遊びに行くにしてもお金がないからな。今日は諦めてくれ。」

「そうですか。それは残念です。では、明日また学校でお会いしましょう。」

「え? あ、ああ、じゃあな。」


 キャンプの帰りに出会った時と同じく、蟻塚がやけにあっさりと引き下がったな。

 以前はしつこく絡んでくるタイプの奴だったのに、やはり傾向が変わった感じがする。

 この変化が如何なる理由によるものなのか、それは分からないが、少なくとも僕にとっては有り難い方向であるのは間違いない。


 とはいえ、いつまでもこの状況が続くのはちょっとなぁ。

 蜂須に対する僕の気持ちは、、告白の前後で特に変わった訳ではないのだ。

 蟻塚の奴は望み有りと判断したようだが……。


「はぁっ。気が重いな。」


 正直なところ、蟻塚からアプローチを受ければ受ける程に、申し訳ない気持ちが募って気分がどんよりとしてしまう。

 何せ、毎回言い訳を捻り出して断らなければならないからな。

 自分が悪い訳ではないにせよ、気持ちが滅入ってくるのだ。


 しかし、それは蟻塚にとっても同じであるはず。

 僕に誘いを断られる度、あいつは少なからず精神的なダメージを負っているんじゃなかろうか。

 罪悪感の果てに僕が折れるのか、はたまた、蟻塚が現実に耐え切れず僕から遠ざかっていくのか。

 そんな泥沼の未来が待ち受けている光景を、僕は脳裏に思い描いてしまったのだった。

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