第11章 蜜に集まる蟲のように
第123話 2学期の始まり
その日は、朝から目覚まし時計がけたたましい音をジリリリと鳴らし続けていた。
朝から暑苦しい上に、気分が重い事も相俟って、いつも以上に音が鬱陶しく感じるなぁ。
まだベッドで横になっていたい気持ちは山々だが、いつまでもこうしてはいられない。
僕は瞼をゆっくりと持ち上げ、目覚まし時計に手を伸ばし、うるさい音を消し止める。
「ふぁぁ……。行きたくないなぁ。」
軽く欠伸をしてから上半身を起こした僕は、改めて目覚まし時計に視線をやる。
もう少し眠っていたかったが、残念ながら、時計の針は紛れもなく起床すべき時刻を示しているので、致し方ない。
「今日から2学期か。」
長いようで短かった夏休みは、昨日で終わりを告げた。
毎年、大量の宿題をやる以外はダラダラと過ごしていた夏休みだが、今年は思いの他充実したものになったよなぁ。
特に、花火大会、そしてキャンプといった大きなイベントは、文句なしに楽しめるものだったと思う。
キャンプの日以降は特に何かしらのイベントはなかったが、蟻塚や蝶野会長と軽く連絡を取り合って何度か会ったりはしたな。
ただ、肝心の蜂須とは、キャンプの日以降会えていないけど……。
蜂須に「今度会えないか」と連絡を何度か入れたんだが、「バイトや勉強で忙しい」の一点張りで会ってもらえなかったのだ。
彼女が何かと忙しい事は知っているけど、それでも今までは普通に会う時間を確保してくれていたのに。
まあ、間違いなく避けられているんだろうな。
「はぁ……。」
これじゃあ、告白は事実上失敗したようなものじゃないのか?
キャンプから帰宅した直後は、「フラれた訳ではないからセーフ」だと考えていたが、蜂須から素っ気ない態度で避けられ続けている以上、さすがに認識を改めざるを得ないだろう。
告白なんかしなきゃ良かった、と後悔する気持ちも多分にあるが、最初から告白をしなかった場合、蜂須と付き合える未来を手繰り寄せる事は出来ない。
結局、僕はこうなる運命だったのか。
「教室で会うのが怖いな……。」
僕と蜂須は、同じ教室のクラスメイト。
更に、席は隣同士ときている。
それ故に、幾ら気まずくても、避ける事は出来ない。
とはいえ、これは相手にも言える事だ。
蜂須が僕を避けようとしたところで、同じクラスである以上は逃げるのも限界がある。
同じぼっち同士、授業の際にペアを組む事も多かったしな。
お互い逃げられないのであれば、思い切ってこちらから話し掛けてみるのも1つの手か。
このままの状態が続く事を、僕は決して望んでいない。
膠着した状況を変えるためにも、何処かで突破口を見出して、自ら切り込む必要があるだろう。
ただ、問題なのは、僕が告白した際に蜂須が返してきた言葉。
結婚する覚悟がないのであれば告白は受け入れられない、という彼女の返事に、僕はどう対応すべきだろうか。
覚悟を決めて結婚するつもりで再度告白するのか、はたまた彼女を諦めるのか。
蜂須を説き伏せて強引に付き合う、という選択肢もあるにはあるが、気が進まないし、そもそも僕なんかに彼女を説得できるのかが問題だ。
「やっぱり、僕が覚悟を決めるのが一番良いのか?」
もっとも簡単な近道は、僕が結婚する意志を示す事だが……いや、そこまで結論を急ぐ必要もないな。
今ここであれこれ考えていても、何も始まらない。
まずは、ちゃんと登校して、蜂須に会う事。
彼女に会ってから、様子を見て今後の動きを考えていけば良いのだ。
という訳で、僕は頭を切り替え、朝食と身支度をそそくさと済ませると、すぐに家を出る事にした。
普段の登校時刻よりは多少早いが、初日から遅れるのは論外なので丁度良いくらいだろう。
それに、もし蜂須も早く登校してきたら、声を掛ける時間を作れるかもしれないしな。
そんな考えで少し早めに教室に辿り着いた僕だったが、残念ながら、僕が登校した時点でまだ教室に蜂須は来ていなかった。
まあ、仮にもし来ていたとしても、上手く会話が続く保証など何処にもないのだが。
「よぉ、蜜井。」
「おはよう、後藤。今日は随分と早いんだな。」
「おう、サッカー部の朝練があったからな。夏休みに開かれた地区大会で優勝して、県大会まで進める事になったから、最近は毎日早朝から猛練習してんだよ。県大会までうちのサッカー部が進出すんのは久しぶりらしいし、引退した先輩達も喜んでくれてるみてぇだ。」
「そうか、それは良かったな。」
僕が席に着くと、前の席で友人達と雑談中だったツンツン頭の男子生徒、もとい後藤が声を掛けてきたので、僕も適当に会話に応える。
すると、後藤と雑談していた男子の1人が、何故か勢い良く僕に詰め寄ってきた。
「そういえば、この前見たぞ。蜜井、あの超可愛い1年の子と夏祭りの日にデートしていただろ!」
「え……」
それはまさか、蟻塚のことかーっ!
よりにもよって、あの時のデー……いや、一緒に遊びに行った場面を見られていたとはな。
まあ、地元の大きなお祭りなのだから、同じ学校の奴が他に大勢来ていたとしてもおかしくはないのだが。
「夏祭りデートって、これもう完全に付き合ってるんだろ? いいなー、あんな可愛い子と付き合えるなんてよ。」
「いや、付き合ってる訳じゃないからな? ただ遊びに誘われただけだ。」
「好意がなきゃ、2人きりで遊びに誘ったりしねぇだろ。隠さなくたって大丈夫だって。」
「別に隠してる訳じゃないんだが……。」
僕が幾ら言い訳したところで、傍目からは付き合っているようにしか見えないよなぁ。
既成事実ってやつは、こうして作られていくものなんだろう。
もし僕がこれからすぐに別の女子と、例えば蜂須と付き合い始めたりしたら、「女を速攻で乗り換えたチャラ男」的なレッテルを貼られるかもな。
事なかれ主義者としては、そういった偏見の眼差しを向けられる事は極力避けたいが、それは難しそうだ。
まあ、そんな事を心配している暇があったら、先に蜂須の方をどうにかすべきだけどな。
「あ……。」
ふと教室の出入り口を見やると、なんてタイミングなのか、蜂須がふらりと現れた。
彼女は金髪を揺らしながら、澄ました表情でこちらに近付き、僕に視線をくれる事なく静かに隣の席に座る。
あ、あれ。
いつもだったら、「おはよ」とか挨拶が来るのに、挨拶してもらえなかったどころか、目すら合わせてもらえなかったぞ。
お、おかしいなぁー。
どうしてこうなっちゃったのかなぁー?
って、ふざけてる場合じゃなーい!
本格的に対策を練らなければ、このままみるみるうちに距離が遠のいていくであろう事は容易に想像がつく。
だが、こういう時に相談ができるような相手なんていないしなぁ。
自力で何とかする他ないんだろうか。
だとしたら、結婚を前提とした交際を蜂須に申し込む、くらいしか解決策が思いつかないんだが。
キャンプの日以降、数えきれないくらいに何度も考えたけど、これ以外の打開策を今の僕は持ち合わせていない。
「おーい、蜜井、話聞いてるのかよ?」
「え? あ、ああ、悪い。」
おっと、蜂須の事ばかり考えていて、会話中だった後藤達の事を完全に忘れていたな。
会話を疎かにして他へ意識を向けるのは、言うまでもなく失礼に当たる行為だ。
僕が彼らに謝罪すると、後藤は何かを察したように一瞬だけ蜂須に視線を向けてから、声を潜めて話し掛けてきた。
「なぁ、蜂須と何かあったのかよ?」
「ど、どうしてそう思うんだ?」
「いや、さっきから蜂須を気にしてるように見えたからよ。つーか、1学期の途中から、蜂須とお前って仲良くなってたよな? で、この夏休みの間にお前が1年の後輩と付き合うようになって、蜂須が素っ気なくなった……お、もしかしてそういう事かよ!」
「ん? そういう事って、どういう事だよ?」
「はは、惚けなくても分かってるって! ま、無理に仲直りするのは難しいだろうし、あんまり深刻に考えねぇ方がいいぜ。」
後藤の奴、何か変な勘違いをしている気がするんだが。
こいつ、一体僕達の間に何があったと思い込んでいるんだ?
どういう事かと問い質しても、後藤はもちろん、こいつの周りに集まっていた他の奴らも、誰1人として答えを教えてくれる事はなかった。
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