第120話 返事の意味

 星空の下で、あたしは友人であり想い人でもある男の子、蜜井義弘から告白を受けた。

 緊張した面持ちで精一杯の声を絞り出した彼は、あたしの返事を待つ間、体を小刻みに震わせながら顔を伏せている。

 彼は、一体どういう心境であたしに告白してきたのだろうか。

 あたしには、それが理解できなかった。


 ――あれは、あたしが告白を受ける前、遡る事およそ半日前の話だったかしら。


 早朝に目が覚めたあたしは、未だ就寝中だった義弘や蝶野生徒会長を起こさないようテントを抜け出すと、川の水で顔を洗い、先んじて朝食の支度に取り掛かる事にしたの。

 ただ、ここで問題が1つ。

 料理をするには、火を起こす必要があるわ。

 だけど、あたしはこの時点でまだ火起こしを一度も経験しておらず、また火を起こすために必要となる葉っぱや枝などが不足していたので、火を起こすまでに少々手間取ってしまったのだ。

 元々手先が器用でないあたしが悪戦苦闘していると、暫くしてテントから生徒会長が出てきた。


「おはよう。もう朝食の準備を始めていたのか?」

「おはようございます。特にやる事もなかったので、2人が起床してくるまでにやれる事はやっておこうと思ったんだけど、起こしちゃいましたか?」

「いや、私も単純に早く目が覚めただけだ。蜜井くんはまだぐっすり眠っているようだがな。」

「あいつには昨日荷物持ちとかをしてもらったし、やっぱり疲れているのかもしれないですね……。」


 今時、男だからとか女だからとか、そういう言い回しは古臭いけど、それでも男女の身体能力には覆しようのない差があるわ。

 重い荷物の運搬役として女子ではなく男子が選ばれるのは、必然と言う他ないでしょうね。

 テントの設営とかも義弘に殆ど任せっきりになっていたので、あいつは相当疲れていたんだと思う。


「だったら、あたし達2人で朝食の準備をこのまま進めませんか?」

「もちろん、それは構わないが……おっと、そうだ。丁度良い機会だしな。其方には、彼が起きてくる前に連携しておきたい情報があったのだよ。」

「情報?」


 蝶野生徒会長は、いつものふざけた笑みではなく、真剣な顔つきで懐からスマホを取り出してみせた。

 彼女の意図が分からず、あたしが首を傾げていると、程なくしてスマホから聞き慣れた声が再生される。


『僕は、別に綾音の事が好きな訳じゃありませんよ!』


 ……え?

 何、これ?

 あたしの聞き間違いでなければ、義弘の声、よね……?


 しかも、あたしの事が好きな訳じゃない?

 声色は冗談って感じではなく、本気で焦って言い訳しているような雰囲気だし……。


「あの、この音声は一体何なんですか?」


 動揺を抑え切れず、あたしはすぐに蝶野生徒会長に問い質した。

 この録音が、いつ、如何なる状況で発せられたものなのか。

 或いは、合成などで作られた偽の音声である可能性はないのか。

 そういった意味合いを含んだあたしの問い掛けに、会長は頷いて応えてくれた。


「私が蜜井くんにフラれた時の音声だな。彼に本命がいるらしい事は、其方も知っているだろう?」

「ええ、まあ。本命が誰なのかは聞かされていないですけど……。」

「うむ。彼と付き合いのある女子といえば、私と其方、あとは蟻塚さんくらいであろう。だから、そのうちの誰が本命なのかを問い質して確認したところ、このような返事が来たという訳だな。」

「……。」


 蝶野生徒会長が言う通り、義弘は交友関係が狭いので、付き合いのある女子は非常に限られる。

 あいつが蟻塚さんを苦手としている事はあたしも会長も知っているし、その上で会長がフラれたとなると、あいつの本命候補としてあたしの名前が挙がってくるのは不思議でも何でもない。

 しかし、そのあたしすらも義弘の本命ではなかった事を、この音声は裏付けている。


 そう、あたしは義弘の本命じゃない。

 あたしは、義弘の事がこんなにも好きなのに。

 あたしは、あいつを愛しているというのに。


「……っ!」


 こんなの、信じたくない。

 嘘だと思いたい。

 この音声は合成なんだろうと、声を大にして叫びたい。


 だって、この音声には明らかにおかしいところがあるんだもの。

 あたしが感じたその違和感が、唯一の活路である事を期待して、あたしは蝶野生徒会長に詰め寄った。


「会長は、どうしてこの音声を録音していたんですか? 普通、告白の際の音声なんて録音しませんよね?」

「ふむ……。どうやら、これが合成などによって作られた偽物の音源なのではないか、と疑っているようだな?」

「は、はい。」


 さっきから、ずっと頭の片隅に引っ掛かっていた事。

 蝶野生徒会長の手元に、何故こんな都合良く録音データが存在しているんだろうか。

 その不自然さこそが、あたしが見つける事の出来た唯一の突破口だった。

 だけど、生徒会長は――。


「一度の告白で成功するなどと、私も最初から考えてはいなかったからな。告白が失敗に終わった時、私の何が駄目だったのかを反省するために、告白の際のやり取りを録音しておいたのだよ。」

「そう、ですか……。」


 失敗を次の成功に繋げるべく、反省の材料にするために録音した。

 筋が通っているようにも思える言い分だけど、やはり何処か不自然さは拭えないのも確かね。

 どうにも怪しいが、あたしも確証がある訳じゃないので、反論はし辛い。

 普段の言動からして、蝶野生徒会長が普通の人とは少々異なる思考回路を持っているのは明らかだしね。


「って、今の言い回しから察するに、会長はあいつの事を諦めていないんですか?」


 次の成功に繋げるつもりがないのなら、最初から反省の材料など必要ないはずよね。

 つまり、蝶野生徒会長はまた義弘に告白するつもりでいるという事になる。


「ククク、当然だ。一度の失敗で諦める程度の想いなら、最初から告白に踏み切ったりなどしないさ。」

「やっぱり……。」

「だからこそ、私はこの機会に其方に伝えておきたかったのだ。近いうちに、私は彼に再び告白するつもりだとな。私からの話は以上だ。」

「……!」


 何なのよ、この息苦しさは。

 見えざる手が、あたしの首を思い切り絞めているような、そんな感触があたしを襲ってくる。

 あまりの苦しさに脂汗をかきながらも、あたしは何とか堪えて、唇を噛み締めた。

 そんなあたしに、蝶野生徒会長はもう何も言う事はなく、1人で勝手に朝食の準備に着手したのだった。


 ――そして、あれから時間は過ぎていき、現在。


「綾音! 僕は、綾音が好きだ! 偽の恋人じゃなく、本物の彼氏彼女として付き合ってくれ!」


 突如としてあたしに伝えられた、義弘の告白。

 彼の言葉が本物であるのなら、これ以上ないくらい嬉しいとあたしは思う。

 だけど、この瞬間にあたしの脳裏を過ったのは、蝶野生徒会長が聞かせてくれた録音の音声。


『僕は、別に綾音の事が好きな訳じゃありませんよ!』


 相反する、2つの台詞。

 しかし、これらの台詞はいずれも同一人物から発せられた言葉だ。


 どっちなんだろう?

 どっちの言葉が、義弘の本当の想いなの?


 あたしとしては、今目の前で直接聞かせてくれた義弘の言葉を信じたい。

 でも、同時にあの録音の真実を知りたい気持ちもある。

 だからあたしは、義弘に尋ねてみる事にしたの。


「返事をする前に、改めて一応確認しておきたいんだけど、あんたはあたしと『結婚を前提に』付き合いたいのよね?」


 今時、こんな台詞は「重い」と思われるかもしれない。

 だけど、義弘の真意を確かめるためには、彼がどの程度本気であるかを推し量る必要があった。

 あの録音が偽物であるのなら、義弘はあたしの期待通りの返事をしてくれるはずよ。

 そんな淡い期待を抱いていたあたしだったけれど、義弘の返事は――。


「あー、その、だな、さすがに結婚まではまだ考えていないというか……」

「は?」

「ごめん。さっき言った通り、僕は結婚まで考えて告白した訳じゃないんだ。」


 あたしから気まずそうに視線を逸らし、義弘は小さく首を振った。

 告白までしておきながら、義弘はあたしに対してそこまで強い想いを抱いている訳ではなかった、という事?

 いや、告白する以上は、それなりに強い想いを秘めているのは間違いないと思いたいけど……。


 それでも、正直ショックだったのは否めないわね。

 あたしは、義弘と結婚しても良いと思っているし、何ならこの星空の下で今すぐファーストキスを捧げても良いとすら考えていた。

 なのに、義弘は……。

 せっかくの告白が、何処まで本気なのかが分からないものだったなんて、あたしは納得できなかった。


「とりあえず、今日のところは保留させてもらえる? あんたがあたしと結婚しても良い、と思えるようになったら、また近いうちに声を掛けて欲しい。」

「……分かった。ごめん。」


 義弘。

 あんたが改めてあたしに告白してきた時、あたしはまた、あんたの想いの強さを確かめさせてもらうから。

 そして、これから互いに上手く付き合っていけそうだと確信できたら、その時は――。


 あたしの心も体も、これから先の人生も、その全てをあなたに捧げるわ。

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