第118話 夜空の下で
肩に鞄を引っ掛けた僕は、懐中電灯で夜の森を照らしながら、昼間のうちに枝で土に着けた印を頼りに歩を進める……つもりだったのだが、夕方の雨のせいで、道標は殆ど消えてしまっていた。
僕のすぐ隣では、蜂須が不安げな表情を浮かべていたが、何かを言ってくる気配はない。
恐らく僕に色々と尋ねたい事はあると思うけど、基本的に僕を信用してくれているからか、今は口を噤んでいるようだ。
とはいえ、これ以上彼女を不安にさせたくはない。
蜂須が堪え切れなくなる前に、なるべく早く目的地に到達したいところだ。
幸い、僕が昼間に見つけておいたあの場所は、テントを張った場所から5分も掛からない距離にあるのでもうすぐ見えてくるはず。
確かあの場所の近くには、周りの木々よりも一際大きな木が……お、あった。
「ふぅっ、着いたぞ。ここだ。」
「随分と開けた場所に出たわね。でも、わざわざここまで足を運ぶ必要はなかったんじゃない? 大きな声を出さなければ、テントが見える距離でも内緒話は出来たと思うけど。」
「あー、悪い。僕がここに綾音を呼んだ目的は、実は2つあるんだ。そのうちの1つは、最初に伝えていた通り、僕の個人的な話なんだけどな。その話をする前に、やりたい事があるんだ。」
「は? 何それ、聞いてないんだけど?」
やはりと言うべきか、蜂須は不信感を露にし、訝し気な眼差しをこちらに向けてくる。
しかし、僕は特に何も返さず、肩に掛けていた鞄を下ろして中身を取り出した。
拙い言葉で弁明するよりも、僕が持ってきた代物を実際に見せた方が、蜂須の理解も早いだろうからな。
「ねぇ、それは何? そんな物を持ってきてるなんて、聞いてなかったわよ?」
「ああ、誰にも教えてなかったからな。ちょっとしたサプライズってやつだ。これは天体望遠鏡だよ。」
「天体望遠鏡? もしかして、あんたがあたしをここへ呼んだのは、星見をするため?」
「ご名答。ここって田舎だから、夜になったら星が綺麗に見えるんじゃないかと思ってたんだけど、予想通りだったな。」
夜の街のように、煌びやかな光が目立つ場所であれば、夜空の暗さは薄れてしまい星を見つける事は難しかっただろう。
だが、周囲一帯に人工の光が碌にないこの場所で空を見上げれば、数えきれない星々が視界を埋め尽くす程に広がっている。
僕と同じように夜空を見上げた蜂須は、瞬く星の光を目にして感嘆したように息を漏らす。
「はー、確かに星がキレイに見えるわね。地元の街じゃ、こんなにはっきりと星は見えないから、ちょっと新鮮だわ。」
「だろ。でも、この天体望遠鏡を使えばもっと綺麗に星が見えるぞ。」
「なかなか面白いイベントを考えてきてくれたみたいね。ただ、それならどうして生徒会長を誘わなかったの? あの人だってきっと喜んでくれたでしょうに。」
「昨日は体調が悪いみたいだったし、今日も疲れていた様子でさっさと寝ちゃったからな。」
「それでも、事前にあんたが声を掛けていれば、あの人は絶対に星見に参加したと思うわよ?」
予想はしていたが、やっぱりそこは突っ込んでくるよな。
傍から見れば、僕が意図的に蝶野会長を仲間外れにしたように思われても仕方がない。
というか、会長を意図的に参加させないよう仕組んだのは紛れもない事実なのだ。
誤魔化しようなどあるはずもない。
しかしながら、会長をこの場に連れてくれば、当然ながら僕の計画に支障が出てしまう。
だからこそ、会長を仲間外れにせざるを得なかったのだ。
もちろん、蜂須は僕の意図など知る由もないので、僕に不信感を抱くのも当然の流れだろう。
そのため、ここは一旦ゴリ押しで説明を後回しにさせてもらうしかない。
「会長を誘わなかった理由は、他にもある。それについてはこの後必ず説明するよ。説明を聞けば、きっと納得してもらえるはずだから。」
「ふーん。ま、ちゃんとした理由があるって言うなら、後でしっかり聞かせてもらうわ。で、天体望遠鏡ってどうやって使うの? あたし、使った事ないわよ。」
「ああ、使い方はだな――」
僕は天体望遠鏡をその場に設置し、ピントの調整などを済ませた後、母さんに教えてもらった使い方を蜂須にも伝授する。
それからは、2人で交互に望遠鏡を覗いての天体観測の始まりだ。
夏の星座と言えば真っ先に思いつくのは、やはり「夏の大三角」だろう。
望遠鏡で空を覗けば、こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブによって形作られた三角形が、澄み切った夜空で瞬いているのが見える。
もちろん、夜空で輝く星はそれだけじゃない。
儚い光を発する様々な星を見つける度、僕達は言い知れぬ興奮に包まれていく。
「自分の目で本物を見るのは初めてだな……。」
「あたしも初めてよ。幼い頃に家族でよくアウトドアには出掛けたけど、天体観測はした事がなかったわね。」
「こんな場所で広い夜空を眺めていると、まるで自分達だけがこの世界に取り残されたような気になってくるよ。」
「ふふ。今の台詞、ちょっと生徒会長っぽい言い回しだったわね。それにしても、星を探して夜空を見渡すのって、結構楽しいわ。」
「そうか。楽しんでもらえたなら、企画したかいがあったな。」
夜の森の中、開けた場所で、たった2人きりの天体観測。
様々な星を見つける楽しみを味わうと共に、僕の心臓の鼓動は少しずつ加速していく。
雰囲気を壊さないよう、ここへ来てからスマホを一度も見ていないので、天体観測を始めてからどのくらい時間が経過したかは分からない。
だが、仕掛けるならそろそろだろう。
蜂須と2人で盛り上がっている、今この瞬間。
僕が思いつく限りの、最高のシチュエーションが整っている。
攻めるなら、今しかない。
「なぁ、綾音。聞いて欲しい事があるんだ。」
ああ、緊張する。
僕は、自ら掲げた事なかれ主義を押し退けて、極めてハイリスクな行動に打って出ようとしているのだ。
自分で自分を引き留めたくなる気持ちが、胸の内で何度も暴れ出しそうになるのを必死に堪えて、軽く深呼吸を1つ。
意を決して僕が声を発すると、蜂須は望遠鏡から顔を離してこちらを見た。
「どうしたの? もしかして、さっき言ってたもう1つの用件に関する話かしら?」
「まあな。会長をここへ呼ばなかった理由も、この話が関係している。」
「そう。だったら、聞かせてもらおうかしら。」
「あ、ああ……。」
蜂須は笑顔を引っ込め、真剣な表情で僕の言葉を待っている。
急かすような言葉を彼女に言われた訳じゃないのに、息が詰まるような息苦しさが僕を襲ってくる。
やっぱり、告白なんて無茶な事は止めた方が良いんじゃないか?
だってそうだろ、もし失敗したらどうする?
今までのように、蜂須と仲良くやっていけなくなるかもしれないんだぞ。
今は偽カップル兼友人という間柄だが、僕が彼女に対して本物の好意を抱いている事が明らかになれば、これまで通りの関係を今後も維持するのは不可能だろう。
いっそ玉砕するくらいなら、胸の内に好意を秘めて、今まで通りやっていけば良いじゃないか。
「――くそっ。」
駄目だ、駄目だ!
この期に及んで、僕は一体何を日和っているんだよ。
今からしようとしている事にリスクがあるなんて、最初から分かり切っていただろ。
その上で準備を万端に整えて、この場に臨んだんだ。
だったら――いくしか、ないだろっ!
「綾音! 僕は、綾音が好きだ! 偽の恋人じゃなく、本物の彼氏彼女として付き合ってくれ!」
胸の内に溜め込んだ空気を、腹の底から大声と共に吐き出す。
夜空に響いた告白の行方は、たった今、蜂須の手に委ねられたのだった。
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