第117話 告白へのカウントダウン
川辺で蜂須が読書に耽っている中、僕は蝶野会長と一緒に川で遊ぶ事になった。
特に遊び道具などは持ってきていないため、泳ぐくらいしか出来る事がないからな。
厳しい暑さも、水の中に滞在していれば気にせずに済む。
むしろ、冷たい流水の感触が心地良くて気持ち良いな。
夏にこうして水に入るのは、学校で水泳の授業を受ける時だけだったから、結構新鮮だ。
「蜜井くんっ! 今度はあそこの岩の所まで競争だよ!」
「はぁ、構いませんけど、会長って泳げるんですか?」
「もちろんだよ。これでも運動はそこそこ出来る方だからね。ただ、走るのも泳ぐのもタイムは振るわないんだけど……。」
まあ、そうでしょうね。
タイムを伸ばすには邪魔になりそうなデカブツが、蝶野会長には2つもあるんだし。
しかし、本当に小玉のメロンかと見紛う程のサイズはヤバい……って、「それ」に視線を奪われては駄目だ!
僕の本命は蜂須、蜂須だぞ。
「僕は運動全般があまり得意じゃないですけど、男子と女子で競争したら基本的に男子の方が有利になると思いますよ?」
「それでもいいの。勝ち負けを競うためじゃなく、楽しむために泳ぐんだから。何も目標もなく漠然と泳いでも、何の面白みもないでしょう?」
「確かに、目的もなく泳いでもすぐに飽きますね。でも、競争だって疲れるし、そのうち飽きる事になりますよ?」
「大丈夫。他にも色々と考えてあるから。さ、一緒に泳ご?」
「分かりました。」
蝶野会長の提案に乗る形で、僕と彼女は暫しの間川での水遊びを楽しんだ。
ちなみに、水泳競争の結果は6勝4敗で、何とか僕が勝ち越す事が出来た。
運動が苦手な僕が会長に勝利できたのは、やはり男女の身体能力の差によるところが大きいだろう。
それでも割とギリギリの勝率なので、ほぼ互角と言って差し支えない成績だ。
ただ、そのお陰で割と白熱した勝負が出来たので、なかなか面白かったな。
体力を使い果たした頃、小雨がポツポツと振ってくるというアクシデントこそあったものの、雨は夕方頃には止んだ。
しかしながら、雨が止んでからも空の大半は雲に覆われたままで、夜になれば晴れるかは分からない。
もしこの天気のまま夜を迎えれば、予定していた天体観測も水の泡になる可能性が出てくる。
どうしたものかと思い悩みながらも、僕は夕食の準備に取り掛かる事になり、自身に与えられた役割の仕事に着手したのだが――。
「綾音、ちょっといいか?」
「どうしたのよ、義弘。」
夕食の準備中、蝶野会長が少し離れた隙を狙って、僕はこっそり蜂須に声を掛けた。
用件はもちろん、今夜の事だ。
「実は、折り入って話したい事があるんだ。今日の夜中、会長が寝静まった後で、テントを抜け出して落ち合えないか?」
「……? それ、どうしても夜中じゃなきゃ駄目なの? しかも2人だけで話がしたいなんて、怪しいわね。」
「べ、別に変な事を考えてる訳じゃないぞ?」
くっ、さすがに鋭いな。
まあ、こんな人気のない土地で、わざわざ夜中に女の子を呼び出して2人きりの状況を作ろうとしているのだから、怪しまれるのも無理はないけど。
普段の僕らしからぬ行動に、蜂須は不信感を抱いている。
このままでは、告白以前に2人きりになる事すら危ういぞ。
「本当に、ただ純粋に話したい用件があるんだ。」
「明日、地元の駅に帰り着くのが夕方くらいになる予定でしょ? 話があるなら、その時に時間を作るわよ?」
「えーと、どうしても今夜は駄目か? むしろ、今夜じゃないと困るんだが……。頼むっ!」
上手く説得できそうな言葉が出てこなかったので、僕は勢いに任せて頭を下げる。
これで駄目なら、僕の計画は恐らく頓挫する事になるだろう。
その場合は、また一から作戦を考え直さなければならない。
蜂須は、果たしてどんな返事をくれるのか。
僕が固唾を呑んで佇む中、彼女の口から出てきたのは――。
「はぁ……。分かったわよ。あんたがそこまで言うなら、それに応じてあげる。」
「え、いいのか!?」
「あんたがそうして欲しい、って言ったんでしょ。ま、義弘が変な事をするような奴じゃないって分かってるし、そこは信用してるから。但し、明日は朝からテントの片付けとかで忙しくなるんだから、あまり遅くまで話は出来ないわよ?」
「ああ、それで構わない。ありがとう。」
よし、第一関門クリアだ!
これで、ひとまず本番の舞台に上がる事は出来る。
あとは、この数時間の間に、心の準備などを済ませておくだけだな。
「話はもう終わり? だったら、夕食の準備を再開するわよ。あんたは焚き木の火起こしに戻ってくれる?」
「分かった、行ってくるよ。」
無事に約束を取り付けられた事に安堵しつつ、僕は焚き木の方へ向かい、折り畳み式の椅子に腰を下ろして自分の仕事に取り掛かる。
ここへ来てから何度も火を起こしているから、もうこの作業も手慣れたものだ。
まずは古紙に火を着けて、それを葉っぱや小枝に燃え移らせて、と。
「蜜井くん。ちょっといいかな?」
「はい? 会長、どうかしましたか?」
いつの間にか僕の傍まで寄ってきていた蝶野会長が、ひそひそ声で話し掛けてきた。
声のトーンからして、蜂須に聞かせたくない話をしようとしている事が窺えるが……。
ううむ、少し嫌な予感がするな。
とはいえ、声を掛けられた以上無視する訳にもいかない。
僕が会長の方へ振り返ると、彼女は真剣な表情を作って本題を切り出した。
「ねぇ、さっき蜂須さんと何を話してたの?」
「え?」
「声を潜めて何か話してたよね? 何を話してたのか、私にも教えてくれないかな?」
「あー、個人的な話です。会長には関係のない用件ですよ。」
「ふぅん、そっか。君は、そう答えるんだね。」
んっ?
何だろう、この違和感は。
蝶野会長の瞳が一瞬だけ濁ったように見えたんだが、僕の見間違いか?
「じゃあ、私はもう仕事に戻る事にするよ。蜜井くん、火起こし頑張ってね。」
「は、はぁ。」
一体、今のは何だったんだ。
気になるけど、迂闊に突くと藪蛇になりそうだな。
蝶野会長が自ら退いてくれるというのなら、それに乗っかるのが無難だろう。
「よし、いい感じに燃えてきたな。」
焚き木の火が順調に燃え上がってきたので、蜂須達がカットしてくれた食材を金網に乗せ、今日の夕食にありつく事になった。
先ほどの不穏な空気も何処へやら、和やかな雰囲気のまま夕食のひと時は過ぎてゆき、夜は更けていく。
虫の鳴き声と川のせせらぎの音だけが聞こえる静かな環境で、僕達は3人ともテントに入り、就寝の準備に入った。
と言っても、今から本当に眠るつもりはまだないけどな。
蝶野会長を撒くために、僕と蜂須はこれから就寝するつもりである、と会長にアピールする必要があるのだ。
それが功を奏したのか、はたまた今日は一日中泳ぎ回って疲れていたのか、寝袋に入ってから程なくして会長はスヤスヤと寝息を立て始めた。
「会長? まだ起きてますか?」
「すー、すー……。」
念のため小声で呼び掛けてみるが、返事はない。
これなら問題なさそうだな。
ついでにテントの入り口をほんの少しだけ開け、空の様子を確認してみる。
頭上に広がる夜空は、夕方に雨が降ったばかりという事もあって満天の星空とまではいかなかったが、それでも多くの星が瞬いているのが見えた。
「ねぇ、もう出るのよね?」
「ああ、会長はぐっすり眠っているみたいだしな。」
「1人にしてしまって大丈夫かしら。もし途中で目が覚めたりしたら、驚かせちゃうんじゃない?」
「一応、置手紙くらいは残していくよ。さすがに驚かせてしまうのは申し訳ないからな。」
メモ帳に一言添えた物を蝶野会長の近くに置いて、と。
この夜のために準備していた鞄を背負ったら、いよいよ出発だ。
果たして、僕の告白は、無事に成功するのだろうか。
さっきから心臓がバクバクしていて、汗も少し噴き出してきている。
激しく緊張している自覚はあるが、今更後には退けない。
ここまで来たんだ、あとはやれるところまで突っ走るのみ。
――さあ、勝負だ!
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