第95話 1つの決着?

 ショッピングモール内の専門店で、必要なキャンプ用品などを一通り見て回った僕と蝶野会長は、とある問題に直面していた。


「やっぱり予算が足りないみたいですね……。」


 見繕ったキャンプ用品の定価を、1つ1つスマホの電卓に打ち込んで算出された合計金額は、事前に想定していた予算を遥かに超えていた。

 もっとも、これは予め予想できた展開だけどな。


 そもそもの話だが、学生である僕達が自由に使えるお金は限られている。

 まず、僕はアルバイトをしていないため、収入源は母親からの小遣いのみだ。

 会長はアルバイトと仕送りで一定の収入を得ているが、その収入の大半は生活費に消えるため、やはり資金が潤沢であるとは言い難い。


「あのー、会長。ここへ来る前にも提案した事ですけど、今回はレンタル品で何とかするべきだったのでは?」


 事前の下調べとして、僕はインターネットを利用し、キャンプ用品を買い揃えた場合に必要となる予算を調べていた。

 しかし、蝶野会長が「一度お店に行って実物を見てみたい、もし安く買える物があったら買いたい」と言い出したので、今日こうしてお店を訪ねた訳だが、結果は案の定玉砕。

 明らかに予算オーバーであり、購入を諦めざるを得ない状況だ。

 にも拘わらず、会長は得意げな笑みを浮かべ、僕に向かってこう宣言してきたのである。


「レンタル品を借りるつもりはないよ。将来家族が増えた時にまた何度も使う事になるだろうし、レンタルするより購入する方が良いと思うの。」

「んん……?」


 この人は一体何を言っているんだ。

 家族?

 増える?

 実家を追放されて、むしろ家族が減った人が言う台詞か?

 それとも、いつもの中二的な解釈を用いた結果、家族が増えたという事になっているのか。


「会長、それはどういう意味で言っているんです?」

「何回もキャンプに行く事を想定するなら、レンタルするよりも購入する方が結果的に安上がりになるよね、っていう話だよ?」

「何回もって、誰と行くつもりなんですか?」

「もちろん、蜜井くんと一緒に、かな。あと、将来私達の間に生まれる子供達も……あ、そうだ。蜜井くんは子供って何人くらい欲しいと思う?」


 は……?

 いやいや、ちょっと待って?

 本当に待ってくれませんかね!?


 話があらぬ方向に飛躍どころか、成層圏を突き抜けて宇宙までぶっ飛ぶ勢いで訳の分からない事になっているんだが。

 キャンプ用品の予算の話から家族計画の話に進むとか、理解不能どころじゃないだろ。

 普段の中二病の言動も大概だが、今回はそれに輪を掛けて意味不明だ。

 今まで蝶野会長に何とかついていけていた僕も、こればかりはさすがにお手上げだな……。


 さりとて、彼女から投げられたボールを無視する訳にはいかない。

 回答をスルーしたり、碌に何も考えず会長からの質問に答えてしまうと、話の危うさが更にエスカレートするであろう事は容易に想像がつくからだ。

 多少強引にでも、一度会話の流れを断ち切る方へ持っていくのが最善だろう。


「そういう台詞は、将来結婚した相手に言ってやってください。それより、改めて予算オーバーだって結論が出たんですから、もう帰りませんか?」

「むぅぅ……! 真面目に聞いているのに……。」


 蝶野会長がむくれているが、僕はそれを無視する。

 真面目にあの質問をぶつけてきたというのが本当であるのなら、ここでまともに相手をするのは尚の事危険だからな。

 だが、僕のその選択は不味かったのだろう。

 会長の目に、再び仄暗い光が宿る。


「ねぇ、どうしてそんなに素っ気ない事ばかり言うの? 自分で言うのもなんだけど、私、顔にもスタイルにも割と自信あるんだよ?」

「まるで蟻塚さんみたいな物言いですね……。」


 蟻塚は、自分の事を容姿端麗だの頭脳明晰だの運動神経抜群だの、平然と並べ立ててくるからな。

 実際あいつのスペックが優れているのは自他共に認めるところではあるのだが、それを大っぴらに口に出すのは普通憚られるものだろ。

 少なくとも、あんなに堂々と自慢を垂れ流すなんて事、僕には到底真似できない。


「蜜井くんは、私には何が足りないと思う? 蜜井くんが付き合いたいって思えるような女の子になるには、あと何が必要なのかな?」


 おおう、随分と直球だな……。

 ほぼ告白と言って差し支えないレベルの台詞じゃないのか、これ。

 蝶野会長が1人暮らしを始めた辺りから好意を向けられているっぽい気はしていたけど、今の発言を聞く限り、やはり確実に好かれていると断言して良いだろう。


 しかし、だ。

 決して悪い気はしないし、嬉しい事は嬉しいのだが、僕の本命はあくまでも蜂須。

 彼女の望む答えを返してあげる事は、少なくとも今の僕には出来ない。


「すみません。会長が悪い訳ではないですけど、僕には他に気になっている人がいるので。あまりそういう事を言われても、今は考えられないです。」


 無駄に期待を持たせてしまうのは、蝶野会長の時間を無為に奪う事にも繋がる。

 故に、僕は正面からすっぱりと自分の想いを伝えた。


 まあ、正面からと言っても、本人の顔を直視しながら喋る度胸はなかったから、目は合わせられなかったけどな。

 我ながら己のヘタレっぷりが嫌になる……いや、きっぱり女子を振る事が出来たのだから、ヘタレとは言えないか?

 うーん、微妙なところだ。


 と、自分についての振り返りはこのくらいにして。

 問題は、会長がここでどのような反応を示すのか、だ。

 ちらりと横目で様子を窺ってみた限り、会長は顔をやや俯けていて、逆光のせいで表情がよく見えない。


 彼女は今、一体何を思っているのだろうか。

 振った張本人が言うのもなんだが、僕の返事のせいで会長が凹む姿は正直見たくない。

 とはいえ、それは傲慢な考えだ。

 好意を寄せてくれた女子を振った以上、その先に起こり得る事態を受け止める責任が、僕にはある。


 だから僕は、何も言わずに固唾を呑んで会長の返事を待つ。

 互いに無言の時間が続く空気の重さ故か、店内は冷房が効いているはずなのに、僕の額からは汗が噴き出してきた。


 それからどれくらいの時間が経過しただろうか。

 不意に、会長がゆっくりと顔を上げる。

 意外にも、露になった彼女の表情は、普段と変わらぬ微笑を湛えたものだった。


「そっか。だったら、仕方ないね。うん、仕方ない、ね……っ」

「あ、あの、会長?」


 言葉を発した直後、蝶野会長の声が僅かに裏返り、両目から頬にかけて一筋の雫が流れ落ちる。

 それでも、会長は決して笑顔を崩そうとはしなかった。


「うん……え、えっとね。こ、これからも、私と遊んだりしてくれる、かな? 会話の練習とか、今度のキャンプとか、付き合ってもらうのは、もう無理、なのかな?」


 小刻みに震える声で、蝶野会長は喉の奥から必死に声を絞り出しているようだった。

 その様を目の当たりにしているだけで、僕の心臓はバクバクと激しく脈打ち、この場から逃げ出したい衝動が腹の底から湧き上がってくる。

 だけど、逃走するなんて事が僕に許されるはずもない。


 これは、僕が受け止めるべき現実だ。

 罪悪感に耐えられないからと言って、逃げてはならないのだ。


「会長さえ良ければ、の話ですけど。僕も、会長とはこれからも友達として付き合っていきたいと思っています。」

「そ、そっか……。あ、ありがとね。じゃ、じゃあ、私、そろそろ帰るから。」

「え? キャンプ用品をやっぱり買うつもりじゃなかったんですか?」

「ううん。君の言う通り、レンタルで済ませようと思うの。だからもうここに用はない、かな。」

「分かりました。」


 僕が頷くと、蝶野会長はスッと視線を逸らし、こちらに背中を向ける。

 その背中を、僕は食い入るようにして見続ける事しか出来ない。

 会長が今どんな表情をしているのかは伺い知れないが、僕は微動だにせず彼女の言葉を待った。


「ごめん。私、このまま帰るね。今日はここで解散でいいかな?」

「はい。あの……」

「じゃあ、ばいばい。またね、蜜井くん。」


 一度もこちらを振り返る事なく、蝶野会長は小走りで去っていく。

 徐々に小さくなっていく彼女の背中は、やがて人混みに紛れ、僕の視界からフェードアウトしていった。

 会長の姿が完全に見えなくなった瞬間、今まで身じろぎ1つせずに彼女を見送っていた僕は、クラリと頭がふらつく感覚に襲われる。


「ふぅ……。これは、キツいな……。」


 蟻塚の想いを跳ね除けた時とは、全然違う感覚だ。

 胸の奥がギュッと締め付けられ、息苦しさを感じる。

 だが、蝶野会長の心情を思えば、僕が愚痴を吐く訳にはいかない。


「そろそろ時間だし、行かなきゃな。」


 この後で、僕は蜂須と会う予定がある。

 もう待ち合わせの時間なので、急がなければ遅れてしまう。

 その場で座り込みたくなる程の倦怠感を覚えながらも、僕は一歩を踏み出した。



 一方、その頃――。


 …………。


 ……。


フラれちゃったかぁ。辛かったけど、ここまでは予想通り。私にはまだチャンスがあるんだもの。なんてったって、次に生理が来るのが、丁度キャン――」

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