第94話 燻る激情
僕は友人が少ない上にアルバイトもしていないため、必然的に外食に行く機会も限られる。
だから、例え安価なハンバーグランチだったとしても、それは僕にとって充分にご馳走と言える代物なのだ。
細やかな贅沢に舌鼓を打つ僕を正面からジッと見ていた蝶野会長は、クスッと笑みを零した。
「蜜井くん、ご飯を美味しそうに食べるね。」
「まあ、美味しいですから。家ではこういう料理はあまり出ないですし。」
「だったら……私が、今度作ってあげようか?」
「はい?」
急に何を言い出すんだ、この人は。
最近1人暮らしを始めて、料理を色々勉強しているのは知っていたけど、まさかこんなお誘いを掛けてくるとは予想もしていなかった。
蟻塚からも似たような誘いを受けた事はあるけど、この人達は僕を餌付けでもしたいのだろうか。
「気持ちは有り難いですけど、遠慮しておきます。」
家に連れ込まれるだけならまだしも、蟻塚みたいに「言う事を聞くまで帰しません」とか言われたら困るしな。
まあ、蟻塚と違って蝶野会長はまだ良識があるはず……だよな?
それでも僕の本命は一応蜂須なので、迂闊な行動はしたくない。
だからこそ、僕は彼女の誘いを断った。
「でも、キャンプの時には必然的に料理を作る事になるでしょ?」
「あー、そのキャンプについて相談なんですけどね。綾音も誘って良いですか?」
これこそが、僕が今日蝶野会長に切り出そうと考えていた本題。
会長から最初にキャンプのお誘いを受けた時、蜂須との関係がギクシャクしていた事もあって、蜂須も誘うのは控えるつもりだった。
しかし、あの時不安定な危うさを見せていた蜂須は、今は復調してほぼ元通りになっている。
今ならば、蜂須も誘うのは有り、いやむしろ誘うべきだ。
会長は蟻塚のような暴走はしないと信じているが、2人きりのキャンプという状況下では何が起こるかは分からない。
危惧していた事象が現実の物となれば、不利益を被るのは僕だ。
万が一の保険は何枚あっても困る事はないだろう。
それに、あわよくばキャンプを利用して蜂須との距離を縮めたいという思惑もあるからな。
会長と2人きりでキャンプに出掛けるのは、蜂須からの好感度を無暗に下げてしまう行為でもあるし、そういった観点から考えてもこれは正しい提案のはず。
しかし――。
「蜜井くんは、本当は蜂須さんとは付き合っていないんだよね?」
蝶野会長の顔から、スッと表情が消えていく。
って、これさっき図書室から出る前に見た蟻塚の顔と同じじゃないかぁっ!
会長、あんたもかよぉ!
「え、えーと……。」
「付き合っていないのなら、無理に蜂須さんを誘う必要はないんじゃないかな? 蜂須さんって、基本的に夏休みはアルバイトで忙しいんでしょう? 今日もアルバイトが入っていたから、蜜井くんに合わせて学校に出てこなかった訳だしね。」
「どうしてそこまでこっちの事情に詳しいんですか……。」
「それはヒ・ミ・ツ♡ 乙女の事情っていうヤツかな?」
いやいやいやいや!
微笑んで可愛く喋っているけど、普通に怖いから!
そんなので僕は誤魔化されないからな!
「今の発言を聞いて、ますます綾音を誘うべきだという気持ちが強くなりましたよ。というか、綾音が来ないならキャンプの約束も無しにさせて欲しいくらいです。」
「なるほど、君はそう来るんだね。どうしようかなー……。」
僕が思い切って心情を素直に吐露すると、蝶野会長は再び笑みを消し、暫く口を閉ざし続けた。
嫌な空気が蔓延する中、僕は彼女の返答を待ちながら適当に水で喉を潤す。
ここへ来るまでに汗をかいた事で水分を消費していたせいか、はたまた緊張していたせいなのか、喉の奥に流れ込む冷たい水の感触が気持ち良い。
ふぅ、と軽く一息ついて僕が顔を上げると、神妙な面持ちの会長と目が合った。
「……仕方ないね。君がそう言うのなら、今回は許可してあげようかな。だけど、そもそも蜂須さんはキャンプに参加できるの?」
「それは大丈夫だと思います。以前からキャンプの話はしていましたし。」
「そう。だったら、この機会に決着を着けさせてもらおうかな。」
あんた、さっきから物騒な雰囲気を醸し出し過ぎだろ。
決着って、一体蜂須に何を仕掛けるつもりなんだよ。
「綾音に変な事をするつもりじゃないですよね?」
「心配しなくても大丈夫。彼女には危害を加えるつもりはないよ。無論、敵として立ちはだからないのであれば、の話だけどね。」
「は、はぁ。」
どうにも引っ掛かる物言いに聞こえたが、僕が勘ぐり過ぎているだけだろうか。
蜂須に危害を加えないという言質が取れた以上、他に心配する事はないはずだが……。
うーむ、どうしてもモヤモヤが残るんだよなぁ。
「話はそれだけかな? だったら、そろそろファミレスを出ない?」
「そうですね、そうしましょうか。」
2人共食事は終わっているし、話も済んだ以上、ファミレスに滞在して時間を無駄に潰す必要性はない。
僕達はそれぞれ自分が食べた料理の分だけお金を支払い、ファミレスを出る事にした。
蝶野会長は徒歩で来ていたため、彼女に合わせ、僕は自転車を押して歩く。
「今日は本当に暑いね。蜜井くん、熱中症とかには気を付けなくちゃ駄目だよ?」
「さっきファミレスでたくさん水を飲みましたし、大丈夫ですよ。もし喉が乾いたら、適当に自販機かコンビニで飲み物を買うつもりなので。」
「それなら良いんだけど……あれ?」
茹だるような暑さに辟易しつつ街中を歩いていると、不意に蝶野会長が足を止めた。
どうしたんだろうと彼女の視線を追ってみたが、特に変わった物は見当たらない。
ただただ、雑踏を歩く人混みが広がっているだけだ。
「どうしました?」
「ううん、何でもないの。もしそうだとしても、私がいるから思い通りにさせるつもりはないしね。」
「ん? えっと、本当に何の話です?」
「本当に何でもないから、気にしなくていいよ。それより、早く行こう?」
「は、はぁ。」
何なんだ、一体。
訳が分からないけど、はぐらかされた以上、追及する術は僕にはない。
特に害がないのであれば、無視しても良いだろう。
そうこうしているうちに、僕達の目的地である毎度お馴染みのショッピングモールが見えてきた。
あのモール内の専門店の1つに、スポーツ用品やアウトドア用品を取り扱っている店があるのだ。
ついでに言うと、今回キャンプに追加で誘う事になった蜂須もモール内の店でアルバイトしているから、実は後で合流する予定を組んでいる。
彼女の今日のシフトは夕方迄となっているため、キャンプ用品を一通り見繕って、蝶野会長と別れた後で会うつもりだ。
会長と行動しながらも、僕の意識は、この後蜂須と合流した時の事にばかり向いてしまっていた。
だからこそ、この時の僕は気付けなかったのだ。
隣を歩く会長が、僕をずっと睨み続けていた事に。
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