第92話 逃げ口上
暫しの思考の末、僕は図書室を目指して廊下を歩き始めた。
廊下は冷房が効いていない上、窓から陽光が差し込んでいるため、ただ歩いているだけでも暑い。
外を歩く場合と違い、直射日光を浴びずに済むだけマシではあるはずなのだが、この後の展開に対する緊張故か、汗がドッと噴き出してくる。
それでも、図書委員の仕事から長時間逃れる訳にはいかず、僕は再び図書室の扉を叩いた。
「ごめん、今戻っ――」
「先輩!」
「蜜井くん!」
「うわっ!?」
図書室に入った途端、受付にいた蟻塚と、机で読書中だった蝶野会長が同時に立ち上がり、一気にこちらへ近付いてきた。
2人共、反応が滅茶苦茶早くないか?
お陰で、余計にプレッシャーを感じるのだが。
「さっきの質問の答え、ちゃんと考えてきてくれましたよね?」
「この期に及んで、よもや答えを出していないという事はなかろうな?」
だから、あんたら圧が強いんだって。
せっかく用意していた答えが、衝撃で頭から飛び出してしまいそうになるでしょうが。
「ちゃんと考えてきましたよ。」
「そうか。では、早速聞かせてくれ。私と蟻塚さん、どちらが其方の好みに近い?」
質問を改めて受けた僕は、「ふぅ」と一息ついて気持ちを落ち着かせる。
大丈夫、大丈夫だ。
しっかり考えてきたんだ、上手くやれるはず。
この場では、あくまでタイプを聞かれているに過ぎないのだ。
ならば、失言にさえ気を付ければ大事にはならない……と良いなぁ。
そんな希望的観測にすがりながら、僕は答えを口にする。
「見た目は蟻塚さんみたいな清楚系が好みで、中身は会長みたいに可愛らしさがある方がタイプです。」
答えを外見と内面に分けた上で、2人をそれぞれに割り振る事により玉虫色の答えを作り出す。
蟻塚と蝶野会長のどちらも褒める事で、彼女達の機嫌を損ねないようにし、最悪の事態を避けるのだ。
うん、我ながら完璧な回答だな、ハハハ!
「はぁ……。先輩の事ですから、どうせそんな回答が来ると思っていました。」
「全くだ。そのようなどっちつかずの回答を我々が望んでいると、其方は本気で思っていたのか?」
「え、ええ、まあ。」
もちろん嘘である。
しかし、ここは嘘でもこう答える他ないのだ。
ただ、やはり彼女達はこれで見逃してくれる程甘くはないらしい。
「では質問を変えましょう。見た目と中身を総合的に加味した上で、先輩の好みにより近いのはどちらですか?」
「どっちも同じくらい、だな。」
「其方はどうあっても逃げるつもりであるらしいな。ならば、我々にも考えがあるぞ。」
蝶野会長が仄暗い笑みを浮かべ、僕の肩をポンと叩く。
何だろう、ゆるふわ系の顔立ちとのギャップがひど過ぎるんですが。
「其方は、蟻塚さんのような清楚系の見た目が好みだと言ったな? 具体的には、彼女のどんな所が刺さるのだ?」
「先輩が言っていた、会長の内面の可愛らしさについて、もっと詳しく教えてもらえますか?」
「な、何でそんな事を聞く必要があるんだ?」
「ククク、決まっているだろう! 中身は私の方が好みであるのなら、後は外見を清楚寄りにすれば総合的に私が勝つと踏んだのだよ!」
「私が蝶野生徒会長の良い部分を吸収すれば、私が選ばれるのは確定的ですからね。当然の質問ですよ?」
ううむ、これじゃキリがない。
ここはどう答えたら良いんだ?
あまり適当な回答を返してそれを実行されるのは良くないし、かと言って真っ当なアドバイスをした結果面倒なアプローチに繋がるのも不味い。
いずれにせよ、蜂須が僕の中で一番である事実は揺るがないが、ここでどんな回答を返すかは熟考する必要がありそうだ。
「その質問の答えを返すのは、委員会の仕事の後でも良いですか? 今は一応仕事中だし、ずっと雑談に耽っているのは不味いと思うんで。」
「なるほど、そう来ますか。先輩らしい逃げ方ですね。」
「とはいえ、一理ある話ではあるな。この委員会の仕事の後で回答を貰えると言質を取れただけで、今のところは良しとしておこうか。」
良かった……。
どうにか死刑判決を延ばす事に成功した僕は、安堵の溜息をつき、図書委員の仕事にようやく戻る事が出来た。
と言っても、やる仕事の量自体は大した事がないけどな。
何せ、今は夏休みなので、新刊の入荷なども止まっているのだ。
その代わり、処分の対象となる古い本を見繕ったり、落丁や乱丁の本を探す仕事はあるが、平日は毎日のように図書委員の誰かが学校に来ているので、僕達が見るべき本の数は知れている。
もっとも、先程の発言の手前、あまりダラダラしているのは良くないので、僕は早速仕事に着手した。
「この辺りの本棚に入ってるやつは古い本ばっかりだな。」
本棚に収められている本を適当に手に取り、ペラペラとページを捲ってみる。
紙は古いが、破れたり抜け落ちたりしているページはなさそうなので、その本を棚に戻して今度は別の本を……という作業を繰り返していたその時だった。
「蜜井くん、少しいいかな? それと、大きな声を出さないで。」
「えっ?」
不意に肩をトンと叩かれ、僕が横を振り返ると、蝶野会長が人差し指をピンと立てて「静かに」と耳打ちしてきた。
蟻塚に見つかれば飛んできそうな状況ではあるが、彼女は真面目に受付に待機しているため、本棚に視線を遮られておりこちらの状況は見えないはずだ。
会長も、それを分かっているからこそ今声を掛けてきたのだろうけど。
「委員会の仕事は、午後には終わるよね? その後で時間はあるかな?」
「えーと……。」
「先日言っていたキャンプのために、必要な用品を色々と買いに行こうと思っているの。買い物に付き合ってもらえないかな?」
ああ、そっちの話ね。
確かに、キャンプ用品を買い込むとなるとそれなりの人手は必要になりそうだ。
それに、そのキャンプについて、僕から会長に「提案」しなければならない話もあるし、ここは誘いに乗っておくか。
「僕は構いませんけど、蟻塚さんも後で似たような誘いを掛けてくるかもしれませんよ?」
「うん、蟻塚さんは多分、蜜井くんを後で誘うつもりだと思う。だから、わざわざこうして先手を打たせてもらったんだよ。」
蝶野会長は、蟻塚が動く前に仕掛けてきたって事か。
この人、見かけに依らず意外と強かな部分があるな……。
「じゃあ、約束ね。私は、借りたい本も幾つか見つけられたし、そろそろ生徒会の仕事に戻るから。また後でね。」
「はい、また。」
小さくヒラヒラと手を振って、ささやかな笑みを添えた蝶野会長が図書室から去っていく。
うーん、僕の前でだけ中二病が抜けて可愛らしい口調になるのって割と反則だよなぁ。
蜂須も良いけど、会長も割と有りかも……?
いや、でもちょっと得体の知れない部分があるのはやっぱり怖いぞ。
どうして僕の周りの女子はヤバい一面のある子ばかりなんだ?
せめてもう少し普通の性格の子を……なんて、高望みが過ぎるのだろうか。
僕みたいな平凡な奴と比べれば、現時点でも彼女達は充分にハイスペックで、釣り合う相手じゃないしな。
とりあえず、会長がいなくなった事だし、僕は仕事に戻るとしよう。
今日の午後からどうするかについては、また後で考えれば良いのだから。
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