第91話 迫られる決断

 図書室の受付越しに、火花をチリチリと散らし合っている蟻塚と蝶野会長。

 彼女達を前にして僕が取れる行動は限られている。

 仲裁に入るか、それとも逃げるか。


 一番良い解決策は、やはり仲裁に入って彼女達を鎮める事だろう。

 だが、ここで僕が仲裁に入っても状況が好転するとは思えない。

 むしろ、火の粉が飛んできた挙句火だるまにされかねない気がする。


 となれば、僕が選ぶべき選択肢は1つだけ。

 己の信条に従い、事なかれ主義者らしくここから逃走するべきだ。

 その結論に達した僕は、抜き足差し足で――。


「先輩? 何処へ行こうとしているんですか?」

「うひぃっ!?」


 足音を立てないよう気を付けていたはずなのに、蟻塚に一瞬で腕を掴まれてしまった。

 こいつ、蝶野会長とずっと睨み合っていたんじゃなかったのか!?

 どうしてこっちに気付くんだよ……。


 逃げようとしていたところを抑えられるのは、この状況下における最悪のパターンだ。

 故に、何とかして言い訳を捻り出さねばならない。


「あー、ちょっとトイレにな。」

「トイレに行くのなら、一言くらい断りを入れるのが普通ですよね? 今はもう図書委員の仕事中なんですから。」

「そうだ、蜜井くん。この機会に、其方に1つ尋ねてみたい事があったのだ。聞いてもらえるか?」

「ええっとですね……」


 あ、ヤバい。

 何か碌でもない質問が降ってきそうな予感がするんですが。


「其方にとって、私と蟻塚さんのうち、付き合いたいタイプはどちらになるのかを聞かせてもらいたいのだよ。」

「そうですね、この機会に先輩にはハッキリしてもらわないと。私も、今の質問の答えが気になるのですが、先輩は如何ですか?」


 思っていた以上に直接的な質問が来たぁ!

 どストレート過ぎて逆にびっくりだよ!

 そういう話題は、もう少し遠回しにだな……。


 というか、僕は一応蜂須と付き合っている事になっているのだが?

 偽彼女の肩書が有するはずの、こいつらに対する抑止力は、最早失われてしまったのだろうか。

 だとしたらこれは由々しき事態だ。

 それを確かめる意味でも、ここはやはり定石通りの返答をすべきだな。


「以前にも言いましたが、僕は綾音と付き合っていますので。お2人のどちらかと付き合うとか、そういう事は考えていないですよ。」

「その心配は不要だ。今すぐ付き合えと言っている訳ではないのだからな。」

「蝶野生徒会長の言う通りですね。私と会長のどちらが先輩の好みに近いのか、を問うているだけです。この場で選んだ方とすぐに付き合わなければならない、という訳ではありませんよ?」


 おおう、言われてみれば確かにそうか。

 単純に好みのタイプを聞かれただけなのに、身構え過ぎて考えが些か飛躍し過ぎてしまったようだ。


 とはいえ、状況が宜しくない事は紛れもない事実。

 ここでどちらかを選んだら、余計に面倒な事態に陥りかねない。

 やはり玉虫色の回答でお茶を濁すのがベストだろう、うん。


「特に好みのタイプとかはないですよ。強いて言うなら、好きになった人がタイプですかね。要するに、今は綾音が……」

「選択肢は、私と会長のどちらかだけです。同じ事を何度も言わせないでください。」

「其方はこのような状況だと逃げの選択肢を選ぶ傾向があるらしいな。いざという時に責任を取って認知するのも男の役目だと思うのだが。」

「えっと、それ何の話をしているんですか!?」


 蟻塚はともかく、蝶野会長の言い分が今の状況とあまり関係ない気がするぞ。

 深く考えるだけ無駄だし、今はさっきの質問をどう避けるかを捻り出す方が優先なので、この場ではこれ以上追及しないけど。


「さあ、選んでください、先輩。」

「ククク。当然、私を選ぶだろう?」

「いいえ、選ばれるのは私です。選ばれない理由がありませんからね。」


 あのー、2人共、表情が緩んでいるように見えて目が全く笑っていないんですが。

 ここで答えを返す事自体は至って簡単だが、その後を考えるとそれは得策とは言えない。


 僕の本命は、蜂須だ。

 彼女と本当に付き合いたいというのが、僕の偽らざる本音。

 なのに目の前の2人からアプローチを掛けられているので、僕は困っているのだ。


 蟻塚も蝶野会長も、ハイスペックな美少女であり、平凡そのものな僕と釣り合う相手ではない。

 普通であれば、こちらが土下座して交際を申し込んだとしても手が届かないレベルの少女達だ。

 しかしながら、外見はともかく、中身に問題があり過ぎる。

 結局のところ、中身がまともな蜂須に惹かれるのは至極当然の帰結と言えよう。


 ともかく、ここで僕が彼女達のいずれかを選ぶ事は、2人に妙な勘違いをさせかねない行為だ。

 やはりここは――。


「ごめん、ちょっとトイレ! 本当に漏れそうだから!」

「あ、先輩!?」


 隙を突いて、僕は2人の間を抜け、図書室の外へ飛び出した。

 幸いと言うべきか、後ろから僕を追ってくる声や足音は聞こえない。

 それでも僕は、念のため廊下を小走りで駆け抜け、曲がり角に身を隠して様子を窺ってみたが、やはりあの2人が迫ってくる気配は感じられなかった。


「ふぅ……。」


 良かった、とりあえず首の皮一枚で繋がったな。

 だが、いつまでも安心は出来ない。

 夏休み中であるにも拘わらず僕がこうして学校に出てきたのは、図書委員の仕事があるからだ。


 図書室から脱走したままの状態を長時間続けるのは、決して好ましい事ではない。

 傍からは単なるサボりにしか見えない行為だからな。

 故に、僕がこうして休んでいられるのも、精々10分から15分前後が限界だろう。

 蟻塚や蝶野会長が僕を追い掛けてこなかったのは、それを理解しているからに違いない。

 放っておいても僕が必ず戻ってくると分かっていれば、わざわざ労力を割いて追い掛ける必要性は皆無だ。


「うーん、どうしたものかなぁ。」


 僕が1人でそのまま戻ったところで、さっきと同じ展開がまた繰り返されるだけなのは火を見るよりも明らかだ。

 だったら、他にも誰かを伴って戻るのが望ましいだろうな。

 第三者の目があれば、さすがにあの2人も露骨な行動には出られなくなるはずだ。

 ここで問題となるのは、誰を一緒に連れていくかだが……。


「適当な相手がいないんだよなぁ。」


 ただでさえ友人が少ないのに、今は夏休み中という事もあって、そもそも校内にいる人間の数が限られている。

 連れてこれそうな人間を挙げるとするなら、部活動のために登校してきている奴、例えばサッカー部に所属している後藤辺りが候補になるだろうか。

 だが、部活中のあいつを呼び出してこっちに連れてくる訳にはいかないよな。


 となると、僕と一緒に図書室に来てくれそうな奴なんて他に候補がいないぞ。

 今回ばかりは、観念して1人で図書室に戻るしかないか。

 とはいえ、さすがに無策で戻るのは危険だ。

 予め、あの2人からの質問に対する回答を用意してから臨むべきだろう。

 多少なりとも時間の猶予を得たのだから、その時間を活用しない手はない。


 蟻塚と蝶野会長、どちらが僕のタイプにより近いか。

 難しい質問ではあるが、容姿や性格などを踏まえた上で総合的に考えれば――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る