第86話 病み堕ちていく女王蜂
良かった。
義弘には、まだ気付かれていない。
どうやら、あいつはうまく立ち回ってくれたみたいね。
あたしとの契約に応じなければ、あいつは留年や退学の危機に晒される事になる。
だからこそ、あいつはあたしに従う他ない。
そこを突いたあたしの作戦は、見事に功を奏したようだ。
「ふー……。」
注文したコーラを啜り、あたしは暫し目を閉じる。
そして、改めて自分の考えを整理してみる事にした。
まず、あたしには、義弘を守るという使命がある。
何度もあたしを助けてくれた、あたしの大好きな人を守るためなら、例え人から卑劣と謗られるような手であっても躊躇なく行使する覚悟がある。
だからこそ、あたしはとある人物と契約を結んだ。
ま、その辺りの話は今はいいわよね。
それよりも気になるのは、義弘の自転車のサドルが濡れていたという話の方だ。
あたしが今まで集めた情報から推測するに、今回の犯人は「あの人」だと思うけどね。
以前、彼女が義弘の私物をこっそり拝借して欲求を晴らしている場面を、あたしは目撃した事がある。
だから、あたしの推測はまず間違いないと言い切れるわね。
そして、先日のゲームセンターなどで遭遇した人影の方も、犯人の目星はついている。
というか、あの時あたしがお手洗いに向かった時、とある人物の姿が一瞬だけ見えたのよね。
だから、多分こっちの犯人も間違いないはず。
さて、問題はここからよ。
義弘を付け狙うあいつらから、どうすれば義弘を守れる?
こちらで策を打っているとはいえ、いつまでもこの膠着状態は続かない。
あたしが裏で手を回している事に気付けば、あいつらは確実にすぐ対応してくるだろう。
だったら、あたしが採るべき手段は――。
「ねぇ、義弘。あんたは、あたしの事、どう思ってる?」
「え? それは、えーとだな……」
あたしから顔を背けた義弘は、頬を指で掻きながら「あー」とか「うー」と唸っている。
本人を目の前にして言い辛い事でもあるのだろうか。
もしかして、未だにあたしがギャルだから怖がられている?
ショックだけど、割とあり得そうよね……。
ギャルデビューしてからのあたしが身に着けてきた言動などは、一朝一夕に直るものじゃない。
今更昔のまじ……優等生だった頃の「わたし」に戻るつもりはないけど、将来の事を考えれば、多少の矯正くらいはいずれ必要になるかもしれないわね。
あたしは疫病神だから彼を不幸に巻き込んでしまうかも、と思って今まで本気の告白は避けてきた。
だけど、最早そうも言っていられない状況になりつつあるのは間違いない。
しかしながら、義弘の今の反応を見るに、「偽じゃなくガチで付き合ってみる?」なんて事、冗談でも言えないわね……。
全力で告白したとしても、玉砕するビジョンしか見えないもの。
どうしよう、とあたしが首を捻って考え事をしていると、あたしからの問い掛けに対する答えを思いついたのか、義弘がこちらを見た。
「綾音は、見た目はギャルで怖いけど、実は頭が良くて気が利く、『真面目』な子だと思うぞ。それと――」
「う、ぐっ……!」
義弘が悪気なく口にした、あたしの大嫌いな単語。
それが耳に入った瞬間、胸がムカムカして、あたしは思わず口元を手で押さえる。
――ああ、気持ち悪い。
義弘も、あたしの事をそんなふうに思っていたの?
真面目に生きるなんて懲り懲りだと、優等生を辞めてギャルになったあたしが真面目に見えていたっていうの?
ふざけんなっ!
あたしは、真面目な奴が損をする、貧乏くじだらけの人生とはもうおさらばしたの!
髪を金色に染めて、制服も着崩して、座る時の姿勢も悪いのに、何であたしが真面目なのよ!?
「綾音? 急に気分が悪くなったように見えるけど、大丈夫か?」
「う……ぷっ、ごめん。ちょっと、席外すわね……。」
「あ、ああ。」
吐き気を堪え切れず、あたしは慌ててお手洗いに駆け込む。
そして、こみ上げてきた物を便器に向かって吐き出した。
「おっ、おぇぇぇっ!」
ホント、この発作はいつになったら治るのよ!
何であたしばっかりが、こんな思いをしなくちゃならないの!?
「はぁっ、はぁっ……。落ち着いて。落ち着くのよ、あたし……。」
あたしが気分を悪くした切っ掛けは、義弘が何気なく言った一言だ。
だけど、あいつはあたしの事情なんて一切知らないのだから、あいつを責める事は出来ない。
全く、何でさっきのあたしは義弘に八つ当たりしちゃったんだろ。
自分で自分が情けなくなる。
「あたしは、一体どうしたいのよ……。」
己の疫病神体質に義弘を巻き込むのを恐れて、このまま一定の距離を保ちながら義弘を助けるのか。
それとも、疫病神なんて知った事かと己の欲望のままに突き進むのか。
今のあたしは、中途半端だ。
だからこそ、今この場ではっきりさせなくちゃならない。
自分がどうしたいのか。
そして、自分がどうあるべきなのかを。
もっとも、答えなんて考えるまでもなく既に決まっているけどね。
「ふ……そうよ。不良ギャルのあたしが選ぶべき道なんて、1つしかないでしょ。」
人の迷惑など顧みず、自分のやりたい事を好き放題に楽しむ。
そんなあたしになるんだって、あたしは誓ったはずよ。
この高校に入学する前に。
そう。
迷う事なんて、もうあたしには1つもないんだ。
あの日、あたしは過去の自分と決別したのだから。
「決めたわ。義弘を、何としてもあたしの物にしてみせる。蟻塚さんにも、生徒会長にも渡さない……!」
当然、あたしの疫病神体質にも巻き込ませたりなんかしない。
あたしが、義弘を守るんだ。
どんな手を使っても、ね。
だってあたしは、品行方正とは程遠い、不良だもの。
「ふー……。」
あたしは目を閉じて、乱れていた呼吸を少しずつ落ち着かせていく。
頭の中が冷静になってくるにつれて、あたしの脳裏に昔の事がふつふつと浮かんできた。
かつては自他ともに認める優等生だった「わたし」が、どうして不良ギャルの「あたし」に堕ちたのか。
不良ギャルの「あたし」の原点は、そして全ての不幸の始まりは、あの日からだった。
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