第80話 夏の始まり

「えー、ではこれで解散とする。くれぐれも、夏休みだからってハメを外し過ぎるんないぞ。」

「はーい!」


 終業式、そして担任の諸注意もつつがなく終わり、僕達のクラスはようやく解散となった。

 現在の時刻は11時に差し掛かる直前といったところで、窓から見える本日の天候は夏真っ盛りの晴天だ。

 待ちに待った夏休みが到来し、今日の昼からは自由に遊び回れる。


 もっとも、ぼっちの僕には夏休み中に友人と遊ぶ予定はないが……いや、蝶野会長と川へキャンプに行く約束があったか。

 まあ、それはそれとして、夏休みは僕のようなぼっちにとっても待ち焦がれていた長期休暇であるのは間違いない。


 ちなみに、1学期の通知表の成績は、勉強が中の上、運動が中の下という感じだった。

 いつもと変わり映えのない、平凡を絵に描いたような成績だ。

 運動はともかく、勉強の成績に関しては、将来を考えるなら向上を狙いたいところだな。


 そういえば、僕の周りの女子って、みんな勉強が出来る奴ばかりじゃないか?

 蝶野会長も、蟻塚も、そしてこの後待ち合わせの約束をしている蜂須も、みんな成績優秀者だ。

 後輩の蟻塚はともかく、他の2人に勉強を教えてもらうというのは有りかもしれないな。

 多少なりとも成績を向上させられれば、大学受験にも生きてくるだろうし。


 と、そんな事を考えながら、僕は1人で自転車を押して校門を出る。

 蜂須とはショッピングモールで待ち合わせをしているから、そこに至るまでの間は別行動だ。

 僕と違って向こうは徒歩での移動なので、僕よりも到着は必然的に遅くなるだろう。

 こちらものんびりと移動を――。


「先輩。私と一緒に帰りませんか?」

「蟻塚さんか……。」


 長い黒髪を靡かせた蟻塚が、僕の進路を塞ぐように横からスッと回り込んできた。

 蟻塚から放課後に誘いを受けた時は、蝶野会長との会話の練習を盾にして、いつも断るようにしていたんだけどなぁ……。

 彼女とは基本的に昼休みの時だけ一緒にいる事が多かったのだが、今回はパターンを変えてきたみたいだ。

 今日は僕が生徒会室に寄らない事を察知したのか、はたまた、終業式の日に生徒会室に長居する訳がないと踏んで誘いに来たのか。


 いずれにせよ、僕にはこの後の予定が入っている。

 だから、ここで僕が返すべき答えは1つしかない。


「悪いけど、今日は――」

「蜂須先輩と会う予定があるんですよね? もし良ければ、私もご一緒させてもらえませんか?」

「え?」


 待て、どうしてこいつは僕と蜂須がこの後会う事を知っているんだ?

 蟻塚には一言もそんな話をした覚えはないし、蜂須から情報が洩れるとは思えない。

 僕と蜂須の会話を何処かで盗み聞きしていた?


 いや、僕達が約束を交わしたのは、朝のホームルームが始まる直前。

 あの時点で、教室前に蟻塚の姿はなかったはず。

 だとしたら、僕と蜂須の会話をうちのクラスメイトの誰かが聞いていて、それを蟻塚に連携した?

 考えられる線は、そのくらいしか思い浮かばないが……。


「僕は、この後で綾音とデートするつもりだったんけどな。デートに他の女子がついて来るのは、明らかにご法度だろ。」

「デートなんかじゃないですよね? 最近の先輩方は、会話もまともにしていない様子でしたし。見え透いた嘘なんかで、私は誤魔化せませんよ?」


 この女、下調べを相当済ませているみたいだな。

 まるでストーカー並み……いや、まさか。

 もしや、最近僕の周りで見る不審な人影の正体は、蟻塚なのか?


 確固たる証拠がある訳ではないが、あの人影の正体が僕の知人なのだとしたら、蟻塚は真っ先に犯人候補として名前が挙がってくるだろう。

 証拠を掴むためにも、蟻塚を蜂須と引き合わせ、2対1で問い詰めてみるのも有りかもしれない。

 僕1人で蟻塚を丸め込むのはかなり骨が折れるだろうしな。


「分かった。バレてるんなら仕方がない。だが、綾音が嫌がったら諦めてくれ。綾音に連絡もせずに連れていく訳にはいかないからな。」

「あ、それなら心配はいりませんよ。ほら。」


 蟻塚は、いつの間にか手にしていた自分のスマホの画面をこちらに向けてくる。

 その画面には、蜂須とのメッセージのやり取りの履歴があり、最新の履歴には「蜜井先輩からOKを貰ったので、ご一緒させて頂きますね」とのメッセージが……って、行動が早いな!

 自らを優秀と自称するだけはあって、抜かりがない奴だ。


 行動力のある彼女らしい手際に僕が驚いていると、蟻塚のスマホが唐突にブーブーと振動し、画面の上部に通知が出た。

 その通知の内容は――


「蝶野生徒会長より、新規メッセージが届いています」

「今何処にいるの!? 放課後は私が蜜井くんを誘って自……」


 んん?

 通知に表示されるメッセージは途中で見切れてしまう物だから、全文を確認する事は出来なかったが、蝶野会長からのメッセージに僕の名前が入っていなかったか?

 きちんと確認したいところだけど、蟻塚がすぐにスマホを引っ込め、真剣な顔で何かを打ち込み始めたので、僕が彼女のスマホに届いたメッセージを見る事が出来たのは一瞬だけだった。


「すみません。少しお待ちくださいね。」


 蟻塚はスマホを操作しつつ、僕に一言断りを入れてきた。

 彼女の表情は真剣そのものだったが、よく見ると口元が僅かに緩んでいて、薄く笑みを浮かべているのが分かる。

 蝶野会長と蟻塚が個人的にメッセージのやり取りをしていた事には驚きだが、今のメッセージの内容はやはり気になるな。

 それとなく探りを入れてみるか。


「蝶野会長とは割と仲が良かったりするのか?」

「私が、ですか? そうですね、話は合う方だと思いますよ。唯一、相容れない点を除けばですけど。」

「まあ、あの中二病はどうにもならないものな。」


 生粋のアニメオタク且つ中二病の蝶野会長は、普通の女子高生にとって会話を成立させるのが難しい相手だ。

 だからこそ、会長はこれまで碌な友人がいなかった訳だしな。

 僕を介する形で蟻塚とはそれなりに打ち解けたのだろうが、会長の中二病に対しては未だに相容れないか。


「先輩は何か誤解されているみたいですが……いえ、何でもありません。こちらはもう大丈夫ですので、向かいましょうか。」

「あ、ああ。分かった。」


 僕達は再び歩き出し、目的地であるショッピングモールを目指す。

 容赦なく照り付ける真夏の陽光と、うるさく鳴き続ける蝉の声は蒸し暑さを加速させ、前へ進もうとする僕の足を鈍らせてくる。


 暑い。

 早く冷房の効いたショッピングモールで休憩したい。

 だが、蟻塚を置いて自分だけ自転車に乗っていく訳にもいかないからなぁ。


「先輩、さっきから暑そうですね。結構暑がりだったりするんですか?」

「いや、別に普通だと思うが。そう言う蟻塚さんだって、結構汗をかいてるように見えるぞ。」


 前髪を汗で濡らした蟻塚は、さっきから手を団扇代わりにしてパタパタと首筋を扇いでいる。

 背中に垂らした長い黒髪を度々かき上げたりもしているし、見るからに暑そうだ。

 考えてみれば、蟻塚みたいな髪型って通気性が悪くなるから、夏は辛いのかもしれない。


「その髪型、変えた方が良いんじゃないか?」


 髪型を変えれば、多少は暑さがマシになるはずだ。

 そう考えて意見を出したつもりだったが、何故か蟻塚は驚いたように目を大きく見開いた。


「まさか先輩からそんな言葉が出てくるとは、思いもしませんでした。ですが、先輩がそうして欲しいと言うのなら、もちろんお答えさせて頂きますよ。先輩は、どんな髪型がお好みですか?」

「へ? 僕の好み? いや、蟻塚さんが好きな髪型にすればいいだろ。」

「はー……。全く、先輩は相変わらず察しの悪い人ですね。」


 おい、何でこの流れで僕がディスられてるんだ。

 黒髪ロングの髪型だと暑いだろう、と察して提案したつもりなのに、どういう事だってばよ。


「先輩に期待した私が馬鹿だったみたいですね。まあ、先輩が好きそうな髪型に心当たりはあるので、構いませんけど。」

「ん? 好みの髪型について話をした覚えはないんだが……。」


 こいつ、何かを盛大に誤解しているんじゃないか?

 僕の好みは清楚系なので、容姿だけなら今の蟻塚は普通にタイプなんだけどな。

 ただ、それをこの場で直接伝えてしまうと、蟻塚からのアプローチが激化するのは目に見えている。

 そこで、僕は敢えてそれ以上何も突っ込みを入れる事なく、もう目前まで迫っていたショッピングモールを軽く見上げた。

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