第78話 防衛作戦

 はぁ……あたし、やっちゃったなぁ。

 どうして、もっと冷静になれなかったんだろ。

 合わせる顔がなくて、義弘の事、学校でも無視しちゃったし。


 だからと言って、このままあいつを放置する訳にもいかないわよね。

 義弘を狙っている何者かが本当に実在するのなら、あいつも不幸になってしまうかもしれない。


 ――今のあたしの家族のように。


 あの悲劇を、二度と繰り返させてなるものか。

 義弘は、一見地味だけどいざという時はしっかりしているし、頼れる男子だ。

 あたしの大切な友人で、あたしの――ううん、それは今は置いておくとして。

 とにかく、あいつは不幸に陥っていいような奴じゃないのよ。

 多少強引な方法を使う事になるとしても、あいつを守らなきゃ。

 他でもない、このあたしが。


「ちょっと、蜂須さん! 話を聞いてるかい?」

「へ? あ、すみません!」


 考え事をしていたせいで、つい仕事が疎かになっていたのか、険しい顔の店長に叱られてしまった。

 今は仕事中なんだから、余計な事を考えて迷惑を掛けるのは絶対に駄目よね。

 正気に戻ったあたしは、慌てて店長に頭を下げた。


「蜂須さん、あそこのテーブルのお客さんの所にこれ持っていって。」

「は、はい、行ってきます!」


 脳内を支配し掛けていた思考を強引に追い出し、あたしは改めてアルバイトに精を出した。

 そして、夕方のラッシュを過ぎ、客もある程度掃けてきた時間になると、そのまま退勤。

 生暖かい夜風に吹かれながら、あたしは駅までの道を歩く。


 冬の寒い時期だと、駅まで徒歩で移動するこの帰り道が地味に辛いのよね。

 男子は平気そうにしてる奴が多いけど、女子はあたしも含めて冷え性な子が多いし。

 そもそも、制服がスカートだから下から冷気が入ってきちゃうのよ。

 ギャルファッションを維持するために、去年のあたしはスカートは短くして防寒対策も疎かにしてたけど、あたしにもうギャルの友人はいないし、今年は普通にロングスカートの下にジャージを履く形で防寒対策しようかしらね。


 って、今はもう夏に入ろうとしているところなのに、冬の事なんて考えてどうするのよ。

 そういうのは、実際に寒くなり始める直前くらいに考えればいいでしょ。

 もっと優先して考えなきゃいけない議題が、あたしにはあるんだから。


「義弘を狙ってる奴の正体を突き止めるには、どうすればいいのかしらね。」


 義弘は「気のせいかもしれない」と言っていたけど、あたしにはそうは思えない。

 あたしの経験上、悪い予感っていうのは、往々にして当たるものなのよ。

 実際、あたしの家族がそうだったから。


 義弘を狙っているかもしれない何者かの魔手を防ぐ方法。

 それは、あいつを極力1人きりにしない事くらいじゃないかしら。

 だけど、同じクラスの友人に過ぎないあたしはおろか、義弘のご家族だって、あいつといつも一緒に行動してる訳じゃないわ。


 なら――そうだ。

 あいつの行動や周囲の様子を、ずっと監視できる体制を作れば良いんじゃないの?

 でも、義弘は多分それを嫌がるわよね……。

 この前、スマホにお互いの居場所が分かるGPSアプリを入れよう、って提案したら蹴られちゃったし。


 義弘の同意も無しに、あまり強硬な策は打ちたくない。

 しかし、ここで躊躇っているうちに、あいつの身に取り返しのつかない事態が起きたら?

 それでもあたしは、自分の選択が間違っていなかったと、胸を張って言い切れる?


「ただいま。」


 夜遅くになって、あたしはいつも通り安アパートの一室へと帰ってきた。

 あたしを出迎えたのは、これまでと何も変わらない、無慈悲な現実だ。


 相変わらず出しっ放しになったままのコタツ、そこかしこに散乱している精神科の薬。

 狭い部屋の隅に置かれた仏壇。

 そして、痩せこけてまるでゾンビのような風貌になってしまった母。


「……。」


 現在の時刻は22時を回っており、普段の母であればこの時間にはとっくに布団に入っているはずだ。

 だが、今日は違った。

 コタツに突っ伏していた母は、隈が目立つ顔をこちらに向け、あたしをまじまじと見つめてきたのだ。


「あたしに何か用?」

「……。」


 母は、あたしに何も返事をせず、窪んだ眼でこちらを凝視しているだけだった。

 あたし達母子の会話なんて、あたしが中学を卒業する前には完全になくなっていたから、今更驚きもしないけどね。


「何もないなら、あたし、適当にシャワー浴びて寝るから。」


 無駄な沈黙を振り払い、あたしはお風呂に入る事にした。

 我が家のお風呂は非常に狭いが、もう慣れてるし、特に思う事はない。

 たまには足を思い切り伸ばしてお湯に漬かりたい、って気持ちはあるけどね。


 それにしても……。

 お風呂に入る度にどうしても見えてしまう自分の体に、あたしはガッカリしてしまう。

 あたしって、昔からあまり体つきが成長していないのよね。

 背は低い方だし、胸もかろうじて膨らみはあるけど、ってレベルだし。

 蟻塚さんや蝶野生徒会長が羨ましい。

 あの2人、顔は良いしスタイルも抜群だし、外見だけならハリボテギャルのあたしなんかより全然イケてるんだもの。


 義弘には、そんな彼女達よりも気になっている女子がいるみたいだけど……まさか、ね。

 あいつと仲が良い女子なんて、あの2人を除けばあたしくらいだ。

 それでも、あいつがあたしの事を異性として意識しているとは思えない。

 もしかしたらあたし達って両想いなのかも、なんて一瞬でも考えたあたしは、自意識過剰なのかもね。


 って、あたし、また関係ない事ばっかり考えちゃってるなー。

 今考えるべきなのは、そんな話じゃないのよ。


 狭い浴槽の中で膝を抱え、もう何度目になるか分からない溜息をついて、あたしは改めて思考を整理してみる。


「まず、義弘を狙っている奴は、実在していると仮定して考えるべきね。」


 厄介な問題が立ちはだかった時は、最悪の状況を想定して対策を打つ。

 基本中の基本だけど、一番大事な事よね。

 義弘を守るためには、あいつとなるべく一緒に……いえ、そうとは限らないのかしら。

 誰かがいつも義弘と一緒にいたら、あいつを狙っている何者かは恐らく姿を現そうとはしないだろう。

 敵の正体が分からなければ、根本的な解決は図れない。


 だったら、相手の正体を炙り出すために、義弘と敢えてこのまま距離を置くという手もアリかもね。

 その上で、GPSを駆使する等の手段で義弘をこっそり監視する事によって、あいつの身を守る。

 ――うん、これがきっと最善策のはず。

 貧乏な女子高生のあたしに打てる手は、他には思い浮かばない。


「やってやるわよ。それがあたしの恩返しで――あたしの精一杯の想いなんだから。」


 義弘の事は、絶対にあたしが守ってあげるわ。

 例え後ろ暗い手段を用いる事になったとしても、背に腹は代えられないもの。

 そうと決まれば、インターネットで早速必要な物を取り寄せたり、色々作戦を考えないとね。

 お風呂から上がったら、すぐに行動開始よ!

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