第76話 夏休みの約束

 放課後に入ると、僕は今日もいつも通り生徒会室へ向かう。

 用件はもちろん、蝶野会長との会話の練習をするためだ。


 ちなみに、放課後に入った瞬間に僕はもう一度蜂須に声を掛けようとしたが、まるで相手にしてもらえなかった。

 昨日の謝罪のメッセージは誤爆だったのかと思いたくなるくらい、今日の蜂須の挙動は不自然極まりないのだが、これは一体どういう事なんだってばよ。

 ともかく、本人がダンマリを貫いている以上、僕の方からはこれ以上手の打ちようがない。

 なので、蜂須の事は一旦諦め、こうして予定通り会長の元へ向かう事にした訳だ。


 この会話の練習もそれなりに長く続けているが、そのかいあって、会長は素の状態でも難なく僕と話を交わせる程度にはコミュニケーション能力を向上させている。

 あとは、会長が僕以外の相手に対しても同じように喋る事が出来れば、晴れてこの単元は修了となるはずだ。


 しかし、今日は普段と異なる展開が僕を待ち受けていた。

 生徒会室の前で、神妙な表情を浮かべた会長が腕を組んで仁王立ちしていたのだ。

 いつもなら、彼女は生徒会室の中で僕を待っているはずなのだが、今日はどうしたのだろうか。


「こんにちは、会長。生徒会室の外で待ってるなんて、珍しいですね。」

「ああ、実はこれから少々買い物に付き合って欲しいのだよ。買い物をしながら会話の練習も付き合ってもらう、というのはどうだろうか。」

「はぁ。僕は構いませんけど。」

「なら決まりだな。早速出発するとしよう。」


 蝶野会長は実家を追放され、今は1人暮らしをしている。

 引っ越しが済んで暫く経ったとはいえ、後から必要な物を買う場合、男手がないと困る場面も少なからずあるだろう。

 僕としても、買い物くらい手伝う事は吝かではないので、ここは付き合うか。


 返事を決めた僕は頷きを返し、会長と共に校舎を出る。

 今日も空模様は晴天で、暑い陽射しが燦燦と降り注ぐ中、僕は自転車を押して移動しようと考えていたのだが、ここで会長から思わぬ提案が飛び出した。


「徒歩で移動も悪くないが、せっかく自転車があるのだ、2人乗りで行かないか?」

「はい? ふ、2人乗りですか!?」

「うむ。私の目的地までのルート上には傾斜の厳しい上り坂もなかったし、問題はないと思うのだが。」

「生徒会長が2人乗りするのは、風紀的に問題ありなのでは?」


 それに、2人乗りするって事は、蝶野会長が僕の背中にくっ付く形になる訳で。

 その結果何が起こるかというと、会長の豊かなアレが思い切り押し付けられるかもしれないのだ。

 感触を想像するだけでそそられる……じゃなくて、不味いだろ。

 恋人として付き合っているのならまだしも、そうじゃないんだから。

 あっさり流されるのではなく、きちんと節度を保つ事を意識するべきだ。


「むぅ……。恋人みたいな事をしてみたかったのに……。」

「そういうのは、本当に恋人になった相手にやってください。」


 頬を膨らませて拗ねた顔をしている蝶野会長は可愛いのだが、やっぱり年上っぽくない。

 でも、昼休みに蟻塚の狂気に晒されたばかりだったから、普通の女の子っぽい反応を目にすると癒されるなぁ。

 蜂須も今はよく分からない状態になっているし、現時点だと何気に会長が一番精神的に安定しているんじゃなかろうか。


「とにかく、行きますよ。早く買い物を済ませてしまいましょう。」


 日が落ちるのが遅い季節であるとはいえ、買い物に時間を掛け過ぎると、帰る頃には相当薄暗くなっているはずだ。

 僕はともかく、女子である蝶野会長をあまり長時間連れ回す訳にはいかない。


 という事で、早速僕達は街中へ繰り出した。

 時折周囲を警戒しながら見回してみるが、先日の怪しい人影は見えない。

 今日はたまたまなのか、それとも……いや、今の段階で結論を出すのは早計だな。

 油断して警戒を怠る事のないよう、気を付けよう。


「さあ、着いたぞ。ここだ。」

「え? ちょっ、ここって……!」


 いやいやいや、ちょっと待って!?

 いくら何でも、そこはハードルが高過ぎるだろ!?

 あんた、一体何考えてるんだよ!


「会長、ここで買い物するんですか?」


 僕が恐る恐る指差したアパレルショップの店頭には、女性向けの水着がズラリと並べられていた。

 以前僕がこの店の前をたまたま通った時は、春先を見据えた薄手のジャケットが店頭に並んでいるのを見た覚えがある。

 季節柄、プッシュする商品を水着に切り替えたという事なんだろうが、さすがに目のやり場に困るぞ。

 もちろん、蝶野会長の目的が水着とは限らない……と思いたかったが、残念ながらそれは早々に否定されてしまった。


「うむっ。もうすぐ夏休みだからな、水着を買いたいと思っていたのだ。」

「本気ですか……。って、そもそもプールか海水浴に行く予定がないと、水着は必要ないですよね?」


 学校での水泳の授業では、学校指定のスクール水着を使うので、わざわざ別の水着は買わなくて良いはずだ。

 つまり、蝶野会長はプールもしくは海水浴に行く予定を立てている、という事になる。

 でも、会長には一緒に出掛けてくれるような友人は……まさか、な。


「夏休みになったら、其方と水遊びに行こうと考えていてな。夏休みに入る頃には、最近始めたアルバイトの給料が支給されているだろうから、少し遠出をしてみたいのだ。今までは、学校の行事以外で遠出した事がなかったからな。」

「あー、そういう事ですか。」


 蝶野会長は、今まで家庭の方針で勉強尽くしの日々だったから、家族と何処かへ遠出する機会がなかったのだろう。

 その話を持ち出されると、こちらとしても誘いを断り辛い。

 僕も夏休みは特に予定が入っていなかったから、誰かと遊びに行く予定の1つや2つは入れたいと思っていたしな。

 危険な雰囲気のある蟻塚はともかく、会長が相手であるなら、軽く遊びに行くくらいはセーフだろう。


 本当は蜂須と遊びに行けたら一番良かったんだが、今の彼女にそんな話を持ち掛けるのは難しそうだし、一旦見送る他ない。

 夏休み前に蜂須が復調すれば、その時にまた改めて誘ってみても良いかもな。

 とりあえず、今は会長に返事をするのが先決だ。


「僕は構わないですけど、夏休み中のプールや海って、人で溢れ返ってますよね。そんなに人の多い所に水着姿で出る事に抵抗はないんですか?」


 ただでさえ顔が抜群に可愛いのに、グラビアアイドル級のスタイルまで兼ね備えている蝶野会長が周囲の注目を集める事は、想像に難くない。

 直接声を掛けてくるような不埒な輩が出現する可能性も、大いに考えられるだろう。

 本来は内気な性格の彼女が、それらに耐えられるとは思えない。

 ふと沸いた疑問を率直にぶつけると、会長はしたり顔で頷いた。


「もちろん、そこは考えてある。あまり人気のない川でキャンプをすれば良いのだよ。水着は川で水遊びする時に着るつもりだ。」

「なるほど、キャンプですか。他の人がいないような場所でキャンプをするなら、確かに余計な人目を気にする必要はないですね。ところで、キャンプをするとなるとテントを張ったりする事になると思うんですが、会長はテントの設営とかは……できないですよね?」

「ククク! 我が大魔法の前には、些末な問題に過ぎん! 心配は無用だ!」

「一体どこからそんな自信が沸いてくるんですか……。」


 あんた、家族と遠出した事がないって自分で言ってたろ。

 キャンプの経験も当然ないはずなので、テントの組み立て方なんて知っていたとしても机上の話止まりだろうに。


「実は今、女子高生が山でキャンプを楽しむアニメにハマっていてな。」

「アニメの影響ですか……。1人暮らしになってから、人目を憚らずにアニメを見れる環境になったのは結構ですけど、テントの組み方くらいは事前に調べておいてくださいよ?」

「無論だ。其方にも色々苦労を掛けると思うが、よろしく頼む。」


 夏休みにキャンプに出掛ける約束がまとまったところで、一件落着……となれば良かったのだが、残念ながらそうは問屋が卸さない。

 むしろ、ここからが本題だ。

 蝶野会長の水着選びは、まだ始まってすらいないのだから。

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