第74話 不協和音
僕を狙っている謎の追跡者がいるかもしれない。
そんな悍ましい疑念に囚われ、これ以上ゲームセンターに留まる気になれなかった僕と蜂須は、ゲームセンターから速やかに脱出する事にした。
それからは特に目的もなく街の中をうろつき、目に入った適当な店を幾つか巡って時間を潰す。
蜂須は周囲を警戒しているのか、険しい表情を崩さず辺りをキョロキョロしていたが、これといった手掛かりが新たに見つかる事はなかった。
さっき見たあの人影は、ただの気のせいなのか。
はたまた、僕達が警戒を強めたのを察知して、一時的に身を隠しているのか。
真偽は定かではないが、だからこそ、不安ばかりが頭を過ってしまい、精神的な消耗を余儀なくされる。
とにかく、今日中に手掛かりを得られなかった以上は、長期戦を覚悟する必要もありそうだ。
「怪しい奴がつけて来ている気配は結局なかったわね。あんたが見た不審な人影っていうのが、ただの気のせいだったらいいんだけど……。」
「まあな。でも、もし気のせいなんかじゃなかったら、何かしらの手を打つ必要がある。策を考えておかないとな。」
「そっちについては問題ないわ。手は既に考えてあるもの。」
「本当か? どんな案があるんだ?」
夕暮れ時の道を並んで歩く蜂須は、口元に軽い微笑を浮かべている。
しかし、自らの考えた策に自信あり、という雰囲気の笑顔ではないように僕には思えた。
と言うのも、彼女の瞳は普段よりも瞳孔が大きく開いており、異様な光が宿っていたからだ。
何だろう?
今の蜂須の目は、前に蟻塚がしていた虚ろな昏い瞳によく似ている気がする。
蜂須なりに僕を本気で心配してくれているのは間違いないと思うし、彼女は常識人だから、蟻塚のように妙な事を仕掛けてくる心配はしていないが……。
それでも、見ているだけで嫌な悪寒を感じさせてくる目だ。
「あたしの考えた案は、至ってシンプルよ。偽カップル作戦を続行するの。あたしが常に傍にいるようにすれば、あんた1人が無防備に狙われる確率を下げられるでしょ?」
「学校だと、トイレや体育の授業の時以外はいつも一緒に……いや、図書委員の仕事の時と、放課後に蝶野会長に会う時は別行動だったか。それを続けるって事だよな?」
「いいえ。今後、あんたが図書委員の仕事に向かう日は、あたしも図書室に付き合う。もちろん、あんたが会長に会いに行く時も一緒に行くわ。これで、学校にいる間は殆ど1人にならずに済むわよね。」
なるほど、な。
僕が常に誰かと共に行動していれば、悪意を持つ何者かに奇襲を受ける可能性は確実に減らせる。
ただ、謎の人影の正体が学校の関係者でないなら取り越し苦労になってしまうけどな。
しかしながら、この作戦には1つだけ、大きな欠陥がある。
「悪くない作戦だが、問題なのは――」
「学校の外に出た時、ね。」
僕が皆まで言わずとも、蜂須も当然のように問題点を認識していた。
まあ、そうだよな。
蜂須は金髪ギャルの恰好をしてはいるけど、僕よりも頭が良いし、この程度の問題に気付かないはずがないか。
「あたしの家、学校から遠いものね。あんたの家の場所は知らないけど、多分うちからかなり遠いでしょうし。」
蜂須の家が僕の家や高校から遠い場所にある事は、先日のパスケースの一件で既に確認済だ。
帰り道も一緒に、という訳にはいかない。
蜂須は学校帰りにアルバイトをしているはずなので猶更だ。
「もしもの時に備えて、お互いの居場所が分かるアプリをスマホに入れておく、っていうのはどうかしら? これなら万が一の事があっても、居場所を通報したりすぐ駆け付けたりできるでしょ?」
「え……そ、それはやり過ぎじゃないか?」
「やり過ぎなんかじゃないわ。何かがあってからじゃ……取返しのつかない事になってからじゃ、遅いのよ!」
「うぉっ!?」
突如金切り声を上げた蜂須に驚かされ、僕は勢い良くビクンと跳ねてしまった。
周囲に通行人はいなかったため、奇怪な視線で見られたりはせずに済んだのは幸いだな。
それはさておき、今の彼女の言動が異常であるのは明らかだ。
どういう訳かは不明だが、まるで何かのスイッチが入ったかのように暴走している気がする。
普段落ち着いている蜂須らしくない。
このまま彼女を放置するのは危険じゃないだろうか。
そう感じた僕は、蜂須の両肩にポンと手を置き、正面から彼女の顔を見据えて説得を試みることにした。
「落ち着け、綾音。怪しい人影が本当に僕を狙っているのかすら、まだ正確に分かっていないんだ。今の段階でそこまで焦る必要はないだろ?」
「そんなに悠長な事を言っている場合じゃないでしょ! 義弘の方こそ、もっと危機感を持ってよ!」
今にも掴み掛ってきそうな勢いで、蜂須が前のめりになる。
眉間に皺を寄せ、鬼のような形相を浮かべた彼女からは、近付く事すら躊躇いたくなる程の狂気が放出されていた。
それでも、僕は堪えてその場に留まるが――。
「いいから、あんたのスマホをあたしに貸しなさい! あんたが面倒だって言うなら、あたしの方で全部アプリを設定してあげるから!」
「ちょっ、本当に落ち着けって! 綾音、さっきからおかしいぞ!?」
「あたしはおかしくなんてない! こんな異常事態なのに、未だに呑気なあんたの方がおかしいのよ! どうしてあたしの言っている事を理解してくれないの!?」
「だから、落ち着け……わっ!?」
「分かってくれないなら、もういい! あんたなんか、知らない!」
顔を紅潮させた蜂須は、完全に冷静さを失っており、僕に怒声を浴びせてからクルリと踵を返して走り去ってしまった。
遠ざかっていく彼女の背中を、僕はすぐに追い掛ける事が出来ず、ただ茫然と見送る。
「綾音……。」
夕焼け空の下、蜂須の姿はいつの間にか完全に僕の視界から消えていた。
生暖かい微風に頬を撫でられる感触が、呆けていた意識を引き戻し、現在の状況を脳にインプットしてくる。
鈍っていた思考が回転し始めるにつれ、僕の全身から汗がドッと噴き出してきた。
「僕は、どうしたら良かったんだ?」
蜂須が僕を心配してくれていたのは分かる。
だけど、さっきまでの蜂須の言動は、明らかに常軌を逸していた。
今まで蜂須と一緒にいたのに気付かなかった、彼女の新たな一面。
それを僕は正面から受け入れる事が出来なかったのだ。
こんな僕を、情けない奴だと笑う人もきっといるだろう。
でも、僕はあくまで常識的な対応を心掛けたつもりだ。
何かを間違えたとは思っていない。
とにかく、今は反省を後回しにして、蜂須を追い掛ける方が先決だな。
彼女の移動手段は徒歩と電車なので、駅に辿り着かれてしまう前に追いつく必要がある。
幸い、僕には自転車があるから、多少急げばすぐに追いつけるはずだ。
「はあ、はぁっ、はぁ……!」
蜂須が利用するであろう駅に向けて、僕は必死に自転車を走らせる。
しかし、暫く走っても蜂須の背中は見つからない。
真っ直ぐ家に帰った訳ではないのか?
だとしたら、完全にお手上げだ。
彼女が行きそうな場所に、他に心当たりがないからな。
蜂須の提案通り、互いの位置が分かるアプリをインストールしていれば、彼女の居場所を特定して追いつく事は可能だっただろうに。
何とも皮肉な話だ……。
「だけど、やっぱり放っておく訳にはいかないよな。」
謎の追跡者が実在するのであれば、そいつが蜂須を標的にする可能性だって考えられる。
蜂須の居場所が分からないからといって、放置するのは危険だ。
僕がそう思った矢先、ポケットの中のスマホが震える感触が走った。
自転車から一旦降りてスマホを取り出してみると、事もあろうに蜂須からのメッセージが着信している。
果たして、先ほどの罵声の続きでも浴びせられるのだろうか。
はたまた、絶交宣言でも飛び出すのか。
否応なしに緊張しながらも、僕がスマホの画面を表示すると――。
「ごめん。あたし、ちょっと冷静じゃなかったかも。もう日が暮れてきたから、今日はこのまま帰るわね。後日改めて謝罪させてもらえる?」
律儀な蜂須らしい文章を見るに、彼女はどうやら正気に戻ってくれていたようだ。
暫く走っているうちに、多少なりとも頭が冷えたのかもしれないな。
この分なら、僕が慌てて蜂須を追い掛ける必要もないだろう。
メッセージにもある通り、後日もう一度話を聞けば良いだけだ。
「僕も帰るとするか。」
いつの間にか、着ていた服は汗でびっしょりに濡れて、肌に貼り付いてしまっている。
既に本格的な夏に突入しかけているというのに、必死にペダルを漕ぎ過ぎたみたいだ。
今日はさっさと家に帰って、夕食の前にシャワーで汗を洗い流すとしよう。
夏の訪れを告げる夕暮れを眺めながら、僕は再び自転車に跨った。
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