第71話 方針転換

 昨日とは打って変わって、日曜日の今日は、朝から雲1つない澄み切った青空が広がっている。

 夏の到来を思わせる晴天にふさわしく、今日は朝からやけに蒸し暑い。

 この暑さは辛いが、天気予報で言っていた通り、この空模様なら問題なく外出できそうだ。

 もし外出が難しい天気だったら予定の変更を強いられていただけに、一安心だな。


 ベッドから起きるなり、窓の外を見渡して天気を確認した僕は、早速服を着替えて支度を整える。

 今日は、この後に人と会う予定が入っているのだ。

 しかも、2人きりで。


「緊張するなぁ……。」


 昨夜、急遽こちらから連絡を入れ、会う約束を取り付けたまではいいものの、2人きりとなるとやはり色々と考えてしまう。

 ただ、それは決して悪い意味での緊張ではない。


 僕はいつもより入念に服を選び、髪を整え、最後に鏡で全体をチェック。

 気になる相手と会うのだから、身だしなみは普段以上にしっかり見ておかないとな。


「よし。これでいいか。」


 まるで本当のデートに臨む時のように入念なチェックを終え、「問題なし」と納得できたところで、僕は家を出る。

 時刻はまだ昼食前で、これから相手と合流した後、昼食を食べながら話す事になっているのだ。

 これはもうデートと言っても良いのでは、と浮き立つ気持ちを抑えながら、自転車を押して家の敷地から一歩外に出たその時。


「ん……?」


 家のすぐ外、僕の視界の端にある電柱の影に、黒い何かが急いで引っ込んだような……。

 ただの気のせいか?

 しかし、1つ気になる事もある。


 というのも、黒い何かが身を隠したあの電柱は、蝶野会長が昨日のビデオ通話で何故か注視していた物だったからだ。

 もしかして、昨日の会長の言動と何らかの関係があるのだろうか。


 例えば、あの電柱に今引っ込んだ何かの正体は幽霊で、会長は霊感があるからその存在に気付き、電柱を凝視していたとか。

 荒唐無稽にも程がある推測だとは分かっているが、残念ながら僕の頭にはそれ以外の推理が浮かばない。

 ただ、あんな場所に幽霊が出るなんて聞いた事はないし、僕も心霊現象に遭遇した覚えはこれまで一度もなかったんだよなぁ。


「気にし過ぎない方が良い、か。」


 電柱の影に何かが隠れたのは、僕の見間違いだったという事で片付けてしまおう。

 それよりも、今は約束に遅れない方が大事だ。

 僕はその場で自転車に乗り、ペダルを漕ぎ始める。

 じわりと汗を滲ませながら道を駆け抜け、街に入って僕が止まったのは、既に待ち合わせ場所として恒例となりつつある例のショッピングモールだった。


「何か、最近いつもここに来てるよなぁ。」


 もう少し待ち合わせ場所にバリエーションを持たせたいところだが、悲しいかな、友人の少ない陰キャはこういう時の手札が乏しいのだ。

 やはり、リア充への道のりはまだまだ遠いな……。

 おっと、暗い顔をしている場合じゃない。

 気を取り直して僕が店内のエントランスに入ると、すぐにそれに気付いた待ち人が挨拶代わりと言わんばかりに片手を挙げた。


「おはよ、義弘。」

「綾音、おはよう。悪いな、急に呼び出したりなんかして。」


 半袖の黒いシャツと白いショートパンツを身に着けた蜂須が、ベンチから立ち上がってこちらに近付いてきた。

 今日は暑いからか、蜂須の恰好は普段にも増して軽装だ。

 そのお陰で、白く細い二の腕や見事な脚線美を拝めるのは、眼福としか言いようがない。

 蟻塚や蝶野会長よりも華奢でスレンダーな体型をしている彼女だけど、それでも彼女は充分に魅力的だ。


「あんた、さっきから何処見てるのよ?」

「えっ? あ、わ、悪い!」

「全く……。ま、あんたに見られても別に嫌な気はしないけど。」

「へ?」

「何でもないわよ。それより、さっさと移動しましょう。お昼、一緒に食べるんでしょ?」

「ああ、そ、そうだな。じゃあ行こうか。」


 腕を組んで呆れ顔を浮かべていた蜂須が、溜息をついてから僕と一緒に歩き始めた。

 彼女にてっきり怒られるかと思っていたが、あっさり許してくれたのは意外だったなぁ。

 それに、少し気になる発言もあったが……あれは、一体どういう意図で発したものなんだろうか。

 会話の流れで有耶無耶になってしまい、今更掘り返せる雰囲気じゃない。

 とりあえず、今は一旦本題に集中すべきだな。


「で? 昨日あんたから簡単に報告は受けてるけど、改めて状況を説明してもらっていいかしら?」

「もちろんだ。」


 休日の昼間とあって、ショッピングモール内のレストランは何処も家族連れなどで賑わいを見せている。

 それらの店舗の中から、蜂須のリクエストに合わせて洋食メインのレストランに入り、各々の注文を店員に伝えた。


 僕が頼んだのは、オーソドックスなハンバーグランチだ。

 比較的値段もお手頃で、且つボリュームもそれなりとあって、メニュー表には「当店イチ推し!」というフレーズも添えられている。

 一方の蜂須は、シーフードパスタとミニサラダを頼んでいた。

 こちらも女性に人気の一品であるらしく、僕が頼んだハンバーグランチと同じくメニュー表でおススメされている。

 注文した料理が来るまでの間、手持ち無沙汰な時間を無駄にしないためにも、僕達は早速本日の議題について議論を始める事にした。


 僕が今日蜂須をこうして呼び出したのは、他でもない、昨日の蝶野会長とのビデオ通話でのやり取りを振り返るためだ。

 会長には、僕と蜂須が偽カップルの関係である事がバレていた。

 会長曰く、蜂須から聞き出したという話だったが、その辺りの真偽をここでハッキリさせておかなくてはならない。

 無論、蜂須がわざと情報を漏らしたなどとは思っていないが、どういった経緯でバレたのかは気になるからな。


 一応、昨日の時点で簡単な経緯は蜂須に説明済だが、改めて僕の口から全体のあらましを彼女に伝える。

 話が終わった頃合いに丁度各々が注文した料理も届き、本格的な話し合いへと突入していった。


「会長にあたし達の関係がバレてた件だけど、あれ、普通に見抜かれちゃったのよね。あたしとしてはボロを出したつもりはなかったのに。」

「まあ、普段はアレでも一応生徒会長だしな。能力は普通に優秀な人だし、無理もない。」

「そうね。確かに少し見くびりすぎていたかもしれないわ。でも、会長に嘘が通じなかった上に、蟻塚さんも諦める気配がない。これ、もう偽彼女の意味なんてないんじゃないの?」


 そう、問題はまさにそこだ。

 望まないアプローチを避けるための偽カップル計画は、早々に頓挫の様相を呈している。

 これ以上続ける意味が希薄であるのは明白だ。


 しかし、蜂須が自分の彼女になってくれる事自体は、例え偽であっても嬉しいんだよなぁ。

 ただ、これは本来の趣旨からは大きく外れた目的であり、蜂須にとっては良い迷惑でしかないだろう。

 真面目にこれからどうすればいいか考えてみるが、僕が思いついた案は1つだけ。


「偽じゃ通用しないって言うなら、本物に……」

「は?」

「ご、ごめん。冗談だ。」


 蜂須にギロリと睨まれてしまっては、この先の台詞を言う訳にもいかない。

 冗談にかこつけて本音を伝えてみたはいいものの、蜂須の反応がこれだと望み薄だな。

 そもそも僕なんかじゃ蜂須と釣り合わない。


「いっその事、もうどっちかと付き合ってみるって手もあると思うわよ。お試しで付き合ってみて『相性が合わない』って向こうに思わせてしまえば、それで解決するんじゃないの?」

「なるほど、そういう考えもあるか。」


 最初から頭ごなしに断るよりも、そちらの方が相手も納得してくれそうだ。

 それに、試しに付き合ってみて意外と良い感じだったら、本当に付き合う事を視野に入れるのも良いかもな。


 問題なのは、蟻塚と蝶野会長のどちらとお試しで付き合うか、だ。

 例えお試しとはいえ、二股をかけるのはやはり望ましくないだろう。

 うーん、難しいな。


「とりあえず、このランチが終わったら、実際に街へ繰り出してシミュレーションしてみましょう。あんた、誰とも付き合った経験ないでしょ?」

「まあ、な。綾音はそういう経験があるのか?」

「ないわよ。あたしがそんな軽いキャラじゃないって、あんたも分かってくれてると思うけど。」

「そうだな……。」


 金髪ギャルの恰好をしていながら「彼氏がいた事はない」というのは恥ずかしいのか、蜂須の頬がやや赤くなっている。

 ギャルらしからぬ可愛らしい照れ顔を目の当たりにして、思わず表情が緩みそうになるのを堪えながら、僕は残りの昼食を腹に詰め込んだ。

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