第70話 窓の外に映るモノ

 蝶野会長は、如何にして僕と蜂須の偽カップル関係を知ったのか。

 種が分かれば、それは何でもない話に過ぎなかった。


 先日、会長はランジェリーショップに寄った帰りに蜂須に遭遇し、彼女から「僕に執拗以上に迫るな」と釘を刺されたらしい。

 その際に、蜂須の方から僕と付き合っていると明言したようだ。

 しかし、会長は蜂須の嘘を見破った。

 蜂須が特にボロを出していなかったにも拘わらず、あっさりと真実を見抜いてしまう辺りは、伊達に生徒会長を務めていた才女なだけはあるな。


 とにかく、これは僕にとって不都合な展開だと言える。

 偽彼女という名の盾は、会長にはもう通用しないのだ。

 会長からのアプローチを退けるには、他に真っ当な理由を用意する必要が出てくる。


「僕は誰かと付き合うとか、今は考えてないんです。なので、綾音に偽彼女の役をお願いしただけです。」

「むぅぅ、蜂須さんもそうだったけど、蜜井くんも相手の事を苗字じゃなく名前で呼ぶんだ……。」


 悔し気に頬を膨らませる蝶野会長は、年上なのにあどけない可愛いらしさがあって思わずドキッとさせられる。

 誰とも付き合うつもりはないと言った傍から「ちょっといいかも」なんて……いや、全然思ってないからな!

 惑わされちゃ駄目だ!


 そもそも、僕が今一番気になっている女子は、蟻塚でも会長でもなく、蜂須なのだ。

 彼女と偽物ではない本物の関係を築きたいと、僕は考えている。

 だが、ここで僕が会長を選べば、必然的にその蜂須と付き合える可能性は潰えてしまう。


 最初からないに等しい可能性を追うのは愚策かもしれない。

 会長だって充分に魅力的な女の子だし、僕なんかが付き合えるレベルの相手でないのは確かだ。

 もちろん、蟻塚についても同じ事が言える。

 ならば、彼女達と一度付き合ってみるのも有りではなかろうか。

 実際に付き合ってみたら、相性がピッタリで楽しくやっていける可能性だって大いにあるはずだ。


 僕は、一体どうするのが正解なんだろうな?

 自分の想いを貫く事が正しいと信じていたはずなのに、その芯が僅かに揺れる。

 そこに畳み掛けるように、会長が追撃の一言を見舞ってきた。


「蜜井くん! 私も君の事を、な、名前で呼んで、いいかな!?」


 おおう、デジャヴを感じるやり取りだな。

 発言者は以前と異なるけど。

 ここでどう答えるべきかという点も問題だが、今はそれよりも不味い事がある。


 蝶野会長なりに勇気を振り絞っての発言だったのか、彼女の体勢はやけに前のめりになっていた。

 そのせいで、彼女の二の腕に圧迫された豊かな2つの膨らみが、ボリューム感をアピールするようにカメラに迫っているのだ。

 ただでさえ目が吸い寄せられてしまう程の存在感があるというのに、これはさすがに目に毒だろう。

 僕は慌てて目を逸らし、会長の要望に答えを返した。


「駄目ですよ。名前呼びは、ちょっと距離感が近過ぎる気がするので……。」

「なら、どうして蜂須さんだけはお互いに名前で呼び合う事を許可しているの?」

「偽彼女の役目をしてもらうのに、名前で呼び合わなかったら不自然じゃないですか。だから、綾音は良いんですよ。」


 このくらい、頭の回る蝶野会長なら僕に尋ねるまでもなく分かる話だと思ったのだが。

 そんなに難しい話でもないのに、何故このような質問をしてきたのか、会長の意図がまるで読めない。

 僕が首を傾げると、会長の顔から赤みが引き、睨むような目つきに変わった。


「私との会話の練習は、コミュニケーション能力を磨くための物だよね? だったら、私と距離を詰めるために名前で呼び合う事には一定の正当性があるはずだよ。」

「それは……」

「もう1つ。蜂須さんとの関係が偽物だという事、私には既にバレているのに、君はさっきからずっと『綾音』って呼び続けているよね? 偽彼女の建前を成立させるために名前で呼び合っているんだから、真実が明らかになった今、私の前でその呼び方を続ける事に意味はないと思うんだけど?」

「た、単なる癖ですよ。今までずっとそう呼んでいましたから。」

「本当に? 他に理由はないの?」


 蝶野会長は、いつになく厳しい詰問口調で僕を攻め立ててくる。

 この容赦のなさ、会長の姉の優華さんに少し似てきたな……。


 会長の指摘は、こちらの痛い所を的確に突いてきている。

 その場凌ぎの反論では、間違いなくあっさり跳ね除けられてしまうだろう。

 どう反論すべきか僕が思案している間に、会長はいつの間にか落ち着きを取り戻したのか、前のめりになっていた姿勢を正していた。


「ごめん、やっぱり今の質問は答えなくていいよ。」

「え? は、はぁ。」


 何故か蝶野会長が退いてくれたが、だからと言って安心など出来ない。

 会長の問い掛けは、間違いなく核心を突く物だったからだ。


 もしかして、会長は僕の答えを聞くまでもなく真相に辿り着いた?

 いや、まさかな。

 さすがに僕の考え過ぎだろう、うん。


「あのね、蜜井くん。その、ちょっとお願いがあるんだけど……。」

「何でしょうか?」

「君の部屋、もっとよく見せてもらえないかな? そっちは今スマホで通話中みたいだし、簡単に出来るよね?」

「どうして急にそんな事を? 僕の部屋をじっくり見たって、何も面白くはないと思いますが。」

「友達の、それも男の子の部屋なんて見た事がなかったから。ちょっと気になったの。駄目かな?」


 蝶野会長は、どうやら僕の部屋に興味津々のようだ。

 人の部屋の内装って、そこまで気になるものなのか?

 しかし、会長が本当に僕に好意を寄せているのだとしたら、無理もないのかもしれないな。

 僕だって、蜂須がどんな部屋に住んでいるか気になるし、実際に行けるのなら行ってみたいと思うし。


「仕方ないですね。少しだけですよ。」


 僕は以前、蝶野会長が1人暮らししている部屋に招かれた事がある。

 それを思えば、あまり気は進まないが僕の部屋の内装を見せるくらいはしておくべきだろう。

 最近おざなりになりつつある事なかれ主義を今一度取り戻すためにも、一方的な貸し借りのないフェアな関係をなるべく維持したいからな。


「本当!? じゃ、じゃあ、しっかり部屋の中を観察させてもらうねっ!」

「いや、喜び過ぎでしょ……。部屋をただ見せるだけですよ?」

「で、でも、男の子の部屋って、やっぱり気になるし。例えば、その……え、エッチな本とかが見えちゃうかもしれないでしょ?」

「そんな物はありませんよ。仮にあったとしても見せませんって。」


 この人は、一体僕を何だと思ってるんだ。

 現在進行形でスケスケのネグリジェ姿を晒しているあんた程ひどくはないつもりだぞ。


 嘆息しつつ、僕はスマホを手に取り、部屋の中央でグルリと一回転して部屋の全体を映像として蝶野会長に送る。

 その最中に、いつの間にか会長がまたしても前のめりな姿勢になっていたので、僕のスマホの画面の下半分を占める程に大きく映し出された胸の谷間から目を逸らした。

 部屋の内装をほぼ晒し終えたところで、会長から次の指示が飛んでくる。


「窓にカーテンが掛かっているけど、外の景色を見せてもらえないかな?」

「は? 外の景色ですか? どうしてそんな物が見たいんです?」

「蜜井くんがいつもどんな景色を見ているのか、共有したいと思ったから、かな。ダメ?」

「まあ、そのくらいのお願いなら別に構いませんが……。」


 意味不明なお願いに首を傾げつつも、僕は言われた通り窓を覆い隠すカーテンを全開にした。

 すると当然ながら、灰色の空と激しく降り続ける雨、轟音と共に落ちてくる雷光に彩られた近隣の住宅と、住宅街の中を横切る通路が姿を覗かせる。


 学校から帰宅した時と比べて、天気に変化は見られない。

 さっきから雷が高頻度で落ちているようだけど、まさか停電になったりしないよな?

 窓のすぐ外に見える電柱を目にして、ふとそんな不安が僕の胸の内を過る。


 こういう天気にワクワクするような人間も少数派ながら存在はするらしいが、少なくとも僕は違う。

 でも、蝶野会長は中二病だし、案外こういう天気が好きなんだろうか。


「んー、雨がひどいせいで電柱が見辛いなぁ……。」

「え、電柱?」

「あ! ううん、な、何でもないよ? 気にしないでいいからね?」

「はぁ……。」


 蝶野会長の発言の意味が全く理解できないんだが、この人は窓の外の電柱を見ていたのか?

 普通は分厚い雨雲に覆われた空や、眩しい稲光にばかり目がいくものだと思うんだが。


 まあ、中二病の人の感性を常識で推し図ろうとするのがそもそもの間違いか。

 考えるだけ無駄だな。


「うん、もう大丈夫。お部屋を見せてくれてありがとう。」

「別にお礼を言われる程の事じゃないですよ。」


 部屋の内装を見せて欲しいと頼まれた事以外は、特に変わった事もなく僕達の会話はその後も暫く続いた。

 そして、僕が母に夕食に呼ばれたのを機に会話は終わりを迎え、チャットルームは閉鎖されたのだが。


 ……。


「えへへっ。ちゃんと録画も出来てるし、たくさん収穫があって良かったぁ。またね、蜜井くんっ♡」

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