第65話 舞い堕ちる蝶

 蜂須さんが、蜜井くんと付き合っている。

 その話が嘘である事を、私はすぐに看破した。


 彼らは気付いていないだろうけど、私は蜜井くんの事を逐一観察している。

 私にとって大事な友人であり、想いを寄せている相手について情報を収集するのは当然の話だもん。

 問題なのは、何故蜂須さんがそんな嘘をついたのか、という事かな。


 考えられる可能性は2つ。

 1つ目は、蜂須さんも蜜井くんに好意を寄せており、ライバルである私を蹴落とそうとしているという流れだ。

 しかし、これはまずあり得ないだろうと私は思っている。

 私が蜜井くんに今の話を告げ口すれば、すぐに嘘が露呈してしまうからね。

 そうなれば、独断で嘘をついた蜂須さんは蜜井くんからの信用を失うはずだ。

 外見に似合わず頭の回る彼女が、そこに思い至らない訳がない。

 それ以前に、蜂須さんはそういった卑怯な手は好まない性格なんじゃないかな。


 だから、最もあり得る可能性として挙げられるのは、蜂須さんが蜜井くんから何かしらの相談を受けていて、その流れで「偽彼女」を名乗るようになったという線だ。

 もし私の推測が的中しているのなら、蜜井くんは今のところ私とも蟻塚さんとも付き合うつもりはない、と予想できる。


 では、何故今の時点で蜜井くんは私達と付き合うつもりがないのか。

 もしかしたら、既に彼には本命の人が他にいるんじゃないかな。

 この推測が的中しているのなら、私は彼を諦めるべきなのだろうか?

 昔の私だったら、絶対に諦めていたと思う。

 だけど、今の私は違うんだ。

 蜜井くんのお陰で、私は自分の想いを曲げずに貫く事の大切さを知ったから。


 私は、幼い頃からアニメや漫画が大好きだった。

 それを切っ掛けに、私は将来の夢として声優を志すようになった。

 だが、私の夢は両親や姉によって否定され、医者という道を歩く事を強要されていたのだ。


 そんな私に光を与え、背中を押してくれた蜜井くん。

 私は彼の事を諦めたくはない。

 自分の夢も、蜜井くんも、どちらも手に入れてみせる。

 そう誓ったからこそ、私はここで退く訳にはいかないの。


「いつもの蜂須さんは、真っ直ぐ相手の目を見て喋るけど、今の蜂須さんは私から目を逸らしていた。後ろめたい事があるから、私の顔を見れなかったんでしょ?」

「……そういう会長は、あたしの顔を真っ直ぐ見て喋ってますね。いつの間にかキャラも素に戻ってるし。」

「少し前までの私は、自分の中で作り上げたキャラクターに成り切っていないと、人とまともに話せなかった。キャラを作って演じている間だけ、人の目を見て喋る事が出来たの。私がありのままの自分でいられるようになったのは、蜜井くんのお陰。だから、私は彼が好きなの。」

「そうですか……。真剣なんですね。」


 私は、昔からコミュニケーションが苦手だったけど、人の顔色を窺って生きてきたので、相手の感情を読むのはそれなりに得意なつもりだ。

 だからこそ、私は、蜂須さんの顔に差した陰を見逃さなかった。


 もしかすると、蜂須さんも彼の事を?

 いや、それは決しておかしな話じゃないよね。

 実際、蟻塚さんも蜜井くんの良さに気付き、私に宣戦布告してきたもん。

 蜂須さんだって蜜井くんに助けられた事がある訳だし、彼に惚れても不思議じゃない。

 優しくて、何だかんだ言いながらも私達をいつも助けてくれる彼は、私にとってのヒーロー。

 彼の格好良さを知っているのは、私だけじゃなかったって事だ。


「蜂須さんに何を言われようとも、私は自分の想いを貫くつもりだよ。悪いけど、嘘で私を止められると思ったら大間違いだからね。」

「……。」


 真面目な性格の蜂須さんには、これ以上嘘で粘る真似は出来なかったようで、完全に沈黙してしまった。

 私が彼女に相談を持ち掛けたのに論破してしまうなんて、何だかおかしな展開だね。

 笑っちゃいけないって分かってるのに、ちょっと面白くて笑ってしまいそうだ。


「とりあえず、蜂須さんに橋渡しの役を期待できない事は理解できたよ。結局、私は1人で頑張るしかないんだよね。」


 蟻塚さんという強敵を前に勝ち切れる自信がなかったから、折角出来た友人を頼りたいと思った。

 友人が碌にいなかった頃の私だったら、絶対に思いつかなかった発想だ。


 でも、蜂須さんからの協力は残念ながら得られなかった。

 蜜井くんと同じクラスの彼女を味方につけられればグッと有利になったのは間違いないだけに、これが私にとって手痛い展開であるのは事実なんだよね。

 しかし、今の蜂須さんのスタンスを見るに、彼女が蟻塚さんの側につく心配もいらないはずだ。


 だったら、私はこれまで通りに、ううん、これまで以上に積極的に攻めなくてはいけない。

 それが例え邪道と呼ばれる手段であったとしても、ね。


 球技大会の折に、私は蜜井くんに語った。

 人は、己の望みを賭けて常に他者との競争を強いられているのだと。

 もし、私が漫画に出てくるような正義のヒーローであったなら、きっと正々堂々と戦う事を良しとするんだろう。

 だけど、私が生きているのは漫画フィクションの世界じゃなく、現実ノンフィクションの世界なのだ。


 正義が必ず勝つという理屈が通じるのは、幻想の中だけ。

 過酷なリアルを生き抜き、勝利を掴み取るには、泥に塗れる事を厭わない覚悟が必要だと私は思うの。

 手をこまねいていては、生き馬の目を抜く勢いで蜜井くんを奪われてしまいかねない。


「生徒会長が諦めないつもりだって事は、分かりました。あたしが幾ら説得しても、止められなさそうですね。」

「うん。分かってもらえて何よりだよ。」

「ただ、1つだけ言わせてください。蜜井から聞きましたけど、最近ずっとあいつに色仕掛けをしてるみたいですね? 蜜井も戸惑ってましたし、そういうのは止めた方が良いと思いますけど。」

「蜜井くんを困惑させてしまったのは申し訳ないと思ってるよ。でも、それが私の数少ない武器だから。」


 私に宣戦布告してきた蟻塚さんは、美人で背が高くスタイルも良い。

 おまけに頭脳明晰かつ運動神経も優れており、毒舌な所を除けば非の打ち所のない強敵だ。

 そんな彼女に対して私が明確に優位に立てるポイントとして真っ先に私が思い至ったのは、この恥ずかしいくらいに大きく実った胸だった。

 胸が大きいと無駄に目立ったり、丁度合うサイズのブラジャーを探すのに苦労するから、私は自分の胸が好きじゃなかったの。


 しかし、意中の異性を射止める場合に限っては、むしろこれが好都合に働く。

 もちろん、世の中の男性が皆「大きい方が好き」って訳じゃないけど、少なくとも蜜井くんはその例外に当て嵌まらない。

 蜜井くんの視線が時折私の胸に向いていた事に、私はしっかり気付いていたからね。


 だから、私はその長所を活かそうと色仕掛けを試みた。

 彼を自宅に招き、敢えて薄着の際どい恰好で応対したり。

 或いは、生徒会室で2人きりの状況を作り、シャツのボタンを外して胸の谷間をチラ見させたり。

 思い切った策をあれこれ打ってはみたものの、決定的な成果は出ていないのが実情だ。


 ――だったら。

 私は、私に打てる「最強の一手」を指す事も本格的に視野に入れなくてはならない。

 この禁断の一手は、下手をすれば私の夢にも大いに影響を与えかねないリスクがあるから出来れば避けたかったけどね。


 でも、私もそろそろ限界が近い。

 日々むくむくと膨れ上がる欲望を、何とかギリギリのところで押し留めているような状態だから。

 彼の事を想うだけで、お腹の奥がジンジンして、熱い吐息が口から零れてしまう。


 欲しい。

 欲しい、欲しい。

 私は彼が、欲しくて欲しくてたまらない。


 そして――誰にも彼を奪われたくない。

 ただ、それだけなの。


「蜂須さん、相談に乗ってくれてありがとう。」

「いえ……。」


 蜂須さんは明らかに困惑している様子だけど、私の覚悟はたった今伝えた通りだ。

 迷いも恐れも吹っ切った私は、次のステップへ踏み出す事を決めた。

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