第64話 橋渡し
あー、やっちゃった。
蜜井を守るためとはいえ、「偽彼女になる」って自分から言い出すとか、あたしは一体何をやってるのよ。
もっともらしい大義名分を掲げて、自分の願望を垂れ流してるだけじゃないの。
疫病神のあたしなんかと深い関わりを持ったら、あいつもああなってしまうかもしれないのに。
しかも、しかもよ。
あたし、蜜井の頬にキスとかしちゃったし!
ああでもしないと蟻塚さんを退けられなかったから、こればっかりは仕方ないけど。
いや、唇同士じゃないから、この場合はノーカウントになるのかしらね?
「はぁ……っ。」
ああもう、あたしの馬鹿!
また蜜井の事ばっかり考えてるじゃないの!
意外と頼れるところがあってカッコいいなとは思ってたけど、自覚していた以上にあたしってば骨抜きにされてるのかも……。
「この事を考えるのは一旦終わり! 気持ちを切り替えなきゃ!」
敢えて声に出してそう言う事で、あたしは強引に今日の昼休みの出来事を頭の中から追い出す。
今日はアルバイトがお休みなので、あたしは真っ直ぐ帰路に就く……訳ではなく、これからショッピングに向かう予定なのだ。
アルバイトのお給料が入ったばかりだから、前から目星を付けておいたアクセサリを買おうと思ってたのよね。
ギャルの友人達との縁が切れた今、あたしが無理にギャルファッションにこだわる必要性は薄れた。
ただ、そういう打算を抜きにしても、割と派手な恰好は個人的に気に入っていたりする。
昔の『わたし』は、こんな如何にもな不良系ファッションを毛嫌いしていたのに、あたしってば、外見だけじゃなく中身もすっかり変わっちゃったなぁ。
中学生までは、あんなに真面目……マジ、メに……うっ!
「おっ、おえぇぇぇぇっ! ト、トイレ!」
しまった、迂闊だったわ。
あんな忌々しい単語と昔の姿を同時にうっかり思い浮かべてしまうなんてね。
慌てたあたしは、すぐ目の前にあったランジェリーショップのトイレに駆け込み、イメージするだけで吐き気を催す程に大嫌いなその言葉と共に吐瀉物を放出した。
「おげぇぇぇぇ……! ふっ、はあ、はぁっ……。」
女子としては如何なものかと思うけど、吐いたお陰で少しだけ気分が落ち着いてきた。
ホント、いつになったらこの発作は無くなるんだか。
でも、あたしはやっぱり不幸をばら撒く疫病神なんだって事を再認識させてくれたトコだけは、この発作に感謝しておこうかな。
あたしなんかが蜜井と一緒に幸せを掴む未来は、決して訪れる事はない。
それを改めて脳に刻み付け、あたしはトイレの鏡に自分の姿を映す。
「あーあ、ひどい顔。」
あたしの目の前にある鏡の中では、血色の悪い顔をした、目つきの悪い金髪のギャルが佇んでいる。
こんな顔の女が街中を歩いていたら、人混みがモーゼの海割りみたいに引いていくでしょうね。
そんなくだらない洒落を脳内でぼやきつつ、あたしは乱れた金髪を軽く梳き、顔色を多少誤魔化せるようにメイクも少しだけ弄った。
「これで良し、と。あんまり本気でメイクをやり直すのも手間だしね。」
まだ若干顔色は悪いままだが、周囲の人から妙な注目を浴びる事のない程度には誤魔化せているはずだ。
だけど、この後ショッピングを続ける気力は一気に失せてしまったわね。
今日はこのまま帰ろうかな、と思いながらトイレを出ると、ランジェリーショップのレジで会計中の女子高生と目が合う。
「生徒会長? あの、こんにちは。買い物ですか?」
「む? 悪い、少し待っていてくれるか?」
「分かりました。じゃあ、ちょっと待ってますね。」
レジでお金を支払っていたのは、あたしと同じ高校の夏服に身を包んだ、蝶野生徒会長だ。
彼女が上着を着ていないせいでよく目立っている、紺色のスクールベストの胸元を押し上げる膨らみに、あたしの目はいつの間にか釘付けになっていた。
半袖のシャツの上からスクールベストを着ているのに、あのボリュームは凄いわね……。
女のあたしでも思わず凝視しちゃうくらいなんだから、男子なら絶対に気になっちゃうだろうなぁ。
それに比べてあたしは……まあ別にいいんだけどね。
そもそも、あたしにだって膨らみはちゃんとある訳だし。
他の人より慎ましやかなのは悩みどころだけれど。
「すまない、待たせてしまったな。」
「いえ、全然大丈夫です。」
「む? 其方、顔色が少々悪いな。調子が良くないのか? だったら、速やかに帰宅して休むか、病院へ行った方が良いと思うが。」
「心配してくれてありがとうございます。でも、もう何ともないですよ。少し落ち着いてきたので。」
「ふむ、それなら構わないのだが……。そうだ、体調に問題ないと言うのなら、今から相談に乗ってもらえないか?」
んー、相談かぁ。
呑気に相談に乗れる程、あたしの体調は回復し切っている訳じゃない。
ただ、生徒会長には恩義もあるし、「体調は問題ない」と言い切ってしまったから、ここで断る訳にもいかないわよね。
それに、蜜井のためにこの場で生徒会長から少しでも情報を引き出しておきたいし。
「分かりました。なら、場所を変えましょうか。あたし、静かで落ち着いた所に行きたいんですけど、いいですか?」
「無論だ。では行くとしよう。」
あまり騒がしい場所だと、変な刺激を受けてまた体調が悪化しかねないしね。
という事であたし達が向かった先は、公園の一角にある人気のないベンチだった。
喫茶店とかでも良かったんだけど、途中で体調が悪化した場合の面倒を考えたら野外の方が気楽だ。
ベンチに横並びになって座り、あたしは背もたれに体を預ける。
ほんのりと赤く染まりつつある空を視界に収めながら、軽く深呼吸を繰り返すだけで、まだ僅かに残っていた気持ち悪さも消えていった。
「すまないな、時間を取らせてしまって。」
「いえ。で、相談の内容って何なんですか?」
あたしが問い掛けると、生徒会長は気まずそうに視線を逸らし、頬を赤く染めた。
この反応、もしかして。
そもそもの話、会長があたしに相談しそうな話題なんて、かなり限定されているわよね。
「実はだな……蜂須さんに、み、蜜井くんとの橋渡しをお願いできないだろうか?」
「あたしが橋渡しを、ですか?」
やっぱりその手の相談だったか。
あたしは蜜井と同じクラスだから、生徒会長からすれば相談するには最適な人選に見えるものね。
とにかく、今の発言を鑑みるに、生徒会長が蜜井に好意を持っているのは確定と言っていいんじゃないかしら。
ただ、この件については、蜜井からも相談を受けている。
あいつには本命の子が他にいるっぽいし、あたしが「偽彼女」として盾になるという約束を交わした以上、残念ながらあたしは会長の期待には応えられないの。
「ごめんなさい。実は、あたし蜜井と付き合い始めたんです。」
あたしは頭を下げ、生徒会長に謝罪する。
彼女の相談に乗れないお詫び、そして嘘をついたお詫びのつもりで。
胸の奥がチクチクと痛むけれど、これは仕方ないのよ。
だって、あいつから頼まれた事なんだから――。
ううん、違う。
あたしがこうして頭を下げている理由は、それだけじゃない。
例え「偽」であったとしても、今のあたしは蜜井の彼女だ。
そして、あいつが本命にフラれた時にあわよくば「本物」への昇格を狙う気持ちも、正直なところ「ない」とは言い切れない。
こんな中途半端なままじゃ、駄目なのに。
あたしは、一体どうしたいんだろう。
その答えが出ないままに、会長からの応答が返ってきた。
「今の話は本当か?」
「は、はい。本当です。」
とてもじゃないけど、あたしは生徒会長の目を真っ直ぐ見れなかった。
会長の想いが真剣であればある程、あたしの中の罪悪感は膨張していく。
だが、その罪悪感を断ち切るように、会長は意外な一言を発したのだ。
「その話、嘘だよね?」
「え?」
逸らしていた視線を慌てて生徒会長に向けると、あたし達の視線が正面から交錯した。
怒りとも哀しみともつかぬ感情を讃えた顔の会長から、あたしは目を離す事が出来ない。
彼女の表情から察するに、鎌をかけた雰囲気じゃなさそうだ。
明らかに確信を持って、会長はあたしを追い詰めようとしている。
嫌な予感に囚われたあたしが見守る中、ゆっくりと口を開いた会長は――。
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