第63話 強奪宣言

 蜂須と偽彼女の契約を交わした僕は、その翌日の昼休みから早速その口実を利用させてもらう事にした。


 しかしながら、誤った情報が噂として流れる事を僕達は望んでいない。

 そこで、昼休みに突入してすぐに、僕は席を立って購買へ向かった。

 更に、少し遅れて教室から出てきた蜂須も、僕の後にぴたりとついて来る。

 クラス内で騒ぐと、余計な噂が広まりかねないので、やり合う前に予め場所を変えておく必要があるからな。

 2人揃って教室から移動しなかったのも、誤った噂を広めないための対策だ。


 僕が購買でパンと牛乳を購入し、食事場所を求めて移動を開始した直後、狙い通り惣菜の入った袋を提げた蟻塚が接触してきた。


「先輩! どうして教室で待っていてくれなかったんですか!? 約束しましたよね!?」


 眦を吊り上げ、蟻塚は不満を隠す事なくぶちまけてくる。

 教室でこれをやられると面倒だからわざわざこうして移動してきたのだが、誘導が上手くいって何よりだ。

 だが、問題はここからだろう。


「悪い。話をする前に移動させてもらっていいか? 食事をしながら話がしたいんだ。」

「それは構いませんが、もしかして蜂須先輩も一緒なんですか?」

「ああ、そうだ。」

「へぇ、そうですか……。」


 蟻塚はスッと目を細め、訝し気に僕と蜂須を交互に見る。

 頭脳明晰な彼女の中では、この一連の流れについてある程度の推測が立っている事だろう。

 それでも、僕の方から今すぐに答えをここで明かす訳にはいかない。

 蟻塚が騒ぐ可能性も考慮し、出来るだけ人気のない場所へ移動する方が先決だ。


 僕達は無言で廊下を歩き、蟻塚といつも昼食を食べている中庭に出る。

 そして人目に付きにくい場所にあるベンチを見つけた僕は、ベンチの真ん中辺りに腰を下ろした。

 すると、すぐに蟻塚と蜂須がベンチの両端、僕の隣を確保してくる。


「どういうつもりですか、蜂須先輩? 付き合ってもいないのに、先輩とやたら距離が近いように見えますけど。」

「それはこっちの台詞よ。蜜井……じゃない、義弘とあたしは付き合い始めたから。悪いけど、今後はあたしの彼氏に粉かけるのは遠慮してもらえる?」


 え、ちょ、名前!?

 今思い切り名前で呼ばれたぞ!?

 こ、これは……うん、ヤバいな。

 思わず顔がニヤけてしまいそうだ。


 名前で呼ぶと言えば、蟻塚も「下の名前で呼んで欲しい」と僕に幾度も要求していたっけ。

 意中の相手に下の名前で呼んでもらえる事って、こんなにも嬉しいんだな。

 蟻塚がやたらとこだわっていたのも、今ならよく分かる。

 頑なに名前呼びを断った事にほんの僅かな罪悪感が生じてくるが、だからってここで妥協する姿勢を見せる訳にはいかない。

 僕は蜂須に目配せをし、軽く頷き合った後、改めて蟻塚へ向き直る。


「は……あ、綾音の言う通りだ。僕達は、今付き合ってるんだ。」


 緊張しながら僕が蟻塚にそう告げると、蜂須が身じろぎでもしたのか、僕の腕に彼女の身体が軽く触れた。

 僕は蟻塚の方を見ているので蜂須が今どんな顔をしているのかは分からないが、僕が下の名前で呼んだ事に対して、少しは動揺しているのだろうか。

 いや、それはさすがに都合の良過ぎる妄想だな。


「ふーん、本当に付き合ってるんですか? 先輩、目が泳いでいませんか?」

「そ、そんな事はないぞ。」

「ま、どっちでも良いですよ。先輩が蜂須先輩と付き合っていても構いません。私にとっては、大した問題ではないですからね。」


 は?

 ちょっと待て、それはどういう事だ?

 もしかして、蟻塚が僕を好きかもしれない、というのは完全な勘違いだったのか?

 だとしたら、洒落にならないくらい恥ずかし過ぎるぞ!

 顔が滅茶苦茶熱くなっているのが自分でもはっきり分かるくらいだ。


 しかし、幸か不幸か、そんな心配はすぐに杞憂に終わった。

 目の据わった蟻塚が、冷たい笑みを零してこう言い放ったからだ。


「先輩。蜂須先輩と別れて、私と付き合ってください。」

「なっ!?」

「ちょっと蟻塚さん、あたし達の話を聞いてたの!?」

「もちろん聞いていたに決まっているじゃないですか。だから『別れてください』って言ったんですよ?」


 おいおいおい。

 最初は冗談かとも思ったが、どうやら、蟻塚は本気でこんなふざけた発言をしているらしいな。

 さすがにこの展開は僕も蜂須も予想していなかったところだ。

 まさかこんな形で食い下がってくるとはなぁ……。

 この子の倫理観は一体どうなってるんだよ。


 慌てて僕が蜂須の方へ目を向けると、彼女は額に薄っすらと汗を浮かべて焦り顔になっていた。

 ちょっと困っている顔も可愛いな、などと思っている暇もなく、蜂須は僕と目が合い、肘で僕の脇腹を小突いてくる。


「あんた、どうするのよ。これ、不味いんじゃないの?」

「分かってる。今必死に返事を考えてるところだ。」

「先輩達、さっきから何をコソコソしているんですか? 私の前でイチャつくなんて、嫌がらせのつもりですか?」


 思わずゾッとする程に冷え切った声が、僕と蜂須の内緒話に割って入ってくる。

 蟻塚に聞こえない程度の小声で作戦会議を続けるつもりだったが、やはりそれを簡単には許してくれなさそうだ。

 となれば、こちらも覚悟を決めて決断する他ない。


「さっきの告白の返事だが、僕は蟻塚さんとは付き合えない。綾音からあっさり乗り換えるくらいなら、そもそも最初から綾音と付き合ったりなんかしないからな。」

「なるほど、確かにそうですね。でしたら質問なのですが、先輩は蜂須先輩の何処が好きなんですか?」

「急に何なんだ? そんな質問をして何が意味があるのか?」

「もちろん意味はありますよ。私の方が蜂須先輩よりも魅力が上だと証明するために、まずは蜂須先輩の強みを聞いておこうと思ったんです。」


 こいつ、真っ向から論破、いやプレゼンを仕掛けてくるつもりか。

 昼食をまだまともに食べていないのに、時間だけが無駄に過ぎていく事に焦りを覚えつつも、僕はここでどうすべきかを考える。


 僕が蜂須の事を異性として気にしている、というのは紛れもない事実だ。

 実際に付き合っている訳ではないが、友人として付き合いはあるので、彼女の人となりなどもある程度は把握している。

 この場で蟻塚に蜂須の良さを語る事自体は、然程難しい事でもない。

 しかし、それで蟻塚が諦めるかどうかは、また別の話だろう。


 つまり、ここで僕が蟻塚の要望に応えたところで、時間をただ浪費するだけに終わる。

 蟻塚が用意した土俵の上で戦っても、こちらに勝ち目はないという訳だ。

 だが、この状況を覆す肝心の一手は、まだ僕も思い付いていない。

 蜂須は、何か考えてくれたりは――


 ――チュッ。


「え……?」


 頬に生暖かく少々湿った何かが、柔らかく押し付けられる感触。

 驚きの余り硬直した僕は、視線だけをゆっくりと隣に向ける。

 すると、吐息が掛かるくらいの距離に近付いた蜂須の顔が僕の視界を占領した。


 目を閉じた彼女の、長い睫毛。

 すっきりした形の良い鼻。

 赤らんだ頬と、額にじんわり滲んでいる汗。

 眩しいくらいに煌めく鮮やかな金髪。

 そして、僕の頬に触れている――彼女の唇。


「ど、どう? あたし達が簡単に別れたりなんてしないって、これで分かってくれた?」


 蜂須さん!?

 あの、もしかしなくても、僕の頬にキキキ、キスとかしたよな!?

 い、幾らなんでも大胆過ぎるんじゃないのか!?

 というか、まさか気になっている子にこんな形でキスしてもらえるなんて、最高過ぎるだろ!


 緊迫した場面なのに、それを忘れてしまいそうなくらいに悦びの感情が溢れてくる。

 蜂須はまるで熟れたリンゴのように真っ赤な顔をしているが、きっと今の僕も似たような顔をしているはずだ。

 唇同士でないとはいえ、気になっている女子からキスをされてドキドキしないはずがない。

 気まずさや恥ずかしさを隠すように、蜂須は蟻塚を睨んだ。


「なるほど。確かに、付き合っていない間柄でこれ程の大胆な真似はなかなか出来ませんね。ですが……」


 蟻塚は、まだ殆ど手を着けていない昼食を片付け、ベンチから立ち上がる。

 僕達を見下ろす彼女の顔は、逆光のせいで真っ黒に見えてしまい、妙な威圧感を発していた。


「分かりました。この場は退きましょう。但し、私はまだ負けたつもりはありませんから。覚えておいてくださいね、蜂須先輩。」


 意味深な言葉だけを遺して、蟻塚がようやく中庭から去っていく。

 望み通り蟻塚を追い返せたのに、腑に落ちない何かは未だに僕の胸に刺さり続けていた。

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