第61話 彼女面

 傘を差しながら歩く事暫くして、僕と蜂須はショッピングモールのエントランスに到着した。

 今日は雨が降り続いているという事もあってか、いつもより心なしか客足は少ないようで、普段は大勢の客で賑わっているはずのエントランスは閑散としている。

 これだけ人が少ないのは、僕達にとっては好都合だ。

 人が多いと、座れる場所が見つからなかったかもしれないからな。


「ちょっと喉が渇いたわね。話の前に、自販機で飲み物を買っても良いかしら?」

「ああ、それは構わないけど……あ、そうだ。飲み物代は、僕が蜂須さんの分も出すよ。今日はこっちが相談に乗ってもらう側だしな。」

「いいの? だったら、今回はお言葉に甘えさせてもらおうかしら。」

「決まりだな。じゃあ、早速買ってくる。」


 雨が降っていたため気温は然程高くないが、その分湿度が高いため、僕も薄っすらと汗をかいている状態だ。

 蜂須もどうやら同じらしく、いつもはサラサラの金髪が湿気でやや縮れているし、少し額に汗を滲ませた彼女はやけに色っぽい……って、今はそんな事を考えてる場合じゃなくてだな。


 気を取り直して、僕は蜂須から希望を聞いた後、自分の飲み物も一緒に自販機で購入した。

 そして、蜂須に炭酸のサイダーを渡してから、2人掛け程度の幅があるベンチに並んで腰を下ろす。

 エントランスを行き交う買い物客の姿を漫然と眺めつつ、僕は自分から口火を切った。


「蟻塚さんと蝶野会長の様子が、最近変なんだ。」

「あの2人が変なのは、今に始まった事じゃないでしょ。」


 蜂須の容赦ない物言いに、僕は思わず苦笑いを零した。

 いや、確かに彼女の言う通りなんだが、蜂須がここまでストレートに毒を吐くのは珍しい。

 こういう暴言は、蟻塚の専売特許だと思っていたんだがな。


「蟻塚さんは、毎日僕を昼休みに誘いに来て、一緒に昼食を食べようと言ってくるようになったんだ。」

「あんたはあまり乗り気じゃなさそうね? うちのクラスの男子達が羨ましそうにあんた達を見てたけど、あんたは嬉しくないの?」

「まあ、全く嬉しくないと言えば嘘になる。性格はともかく、蟻塚さんが美人なのは間違いないしな。」

「で、昼食を一緒に食べるだけなら特に問題なんてなさそうに思えるけど、あんたは何が引っ掛かってるワケ?」

「蟻塚さんの言動が、以前とは別の方向で悪化している事だな。」


 最近の蟻塚は、まるで既に僕と付き合っていると言わんばかりの積極性を発揮している。

 例えば、今日の昼休みのやり取りを例に挙げると――。


「先輩、口を開けてください。」

「は? 何でだ?」

「食べさせてあげるからに決まってるじゃないですか。あーん、ってして欲しくないんですか?」

「そりゃ、好きな子にしてもらえたら嬉しい事だとは思うけど……。」

「なら、問題はないですよね? 地味で平凡な先輩が、私みたいな可愛い子にあーんしてもらえる機会なんて滅多にないですよ。」

「いや、『好きな子にしてもらえるんだったら』という前提だ、って言っただろ。僕は別に蟻塚さんの事は」

「何ですか? 何か文句があるんですか?」

「……っ」


 ――とまあ、こんな感じだ。

 平然と彼女面する蟻塚に僕が苦言を呈すると、彼女は仄暗く据わった目で僕を凝視し、身をこちらに乗り出して、囁くような声音で反論を繰り出してくる。

 初夏の日差しが降り注ぐ中庭は、暑さのせいか他の生徒はあまり寄り付かず、僕達がほぼ密着状態になっていても気にするような人はいない。


 しかし、このまま蟻塚の彼女面ムーブがエスカレートすれば、周囲から奇異の眼差しを向けられるようになるのも時間の問題だろう。

 事なかれ主義の僕としては、もちろん避けたい展開であるのは言うまでもない。

 蟻塚が本気で僕を好きだというのならそれに応えるのも1つの手かもしれないが、正直、蟻塚の性格などを考えると上手くやっていける気がしないんだよなぁ。

 例え幾ら美人でも、事ある毎に高圧的に出てきて、公衆の面前でも容赦なく罵倒してくるような奴はさすがに願い下げだ。


「確かに、あの子の態度は多少目に余るものがあるわよね。それにあの子って何気にハイスペックだし、付き合う男はなかなかしんどいんじゃないか、って思うわ。」

「そうなんだよ。実際にこっちのスペックが負けているのは事実だから、罵倒されると余計にキツいんだよなぁ。」


 僕の偏見かもしれないが、男という生き物は自身の恋人にマウントを取られるのを嫌がる人が多い。

 例えば、自分より高学歴だったり背が高かったりする女性などは苦手だ、とかな。

 恐らくは、「男として女を支えていかねばならない」という古来から擦り込まれた認識とプライドが強烈に刺激されるが故なのだろうが……。

 僕は自らを地味で平凡な陰キャであると認めているので、そのような認識やプライドは比較的薄い方だと自負しているが、それでも他人に面と向かってマウントを取られるのはあまり気分の良い事ではない。


「注意しても直してくれる見込みはなさそうだし、蟻塚さんの事はきっぱり拒絶して距離を置く方が良いんじゃない? 図書委員でペアを組んでいるのはどうしようもないけど、それ以外の絡みは無しにできるでしょ?」

「まあ、僕が徹底的にあいつとやり合う気になれば、な。」


 懐いてくれている後輩に厳しい態度を示す事は、僕にとっても本意ではない。

 しかし、心を痛めるのを覚悟してでも、僕は蟻塚に自らの意思を正面からぶつけるべきなんだろう。

 最初から分かり切っていた結論ではあるけど、可能であるならその選択肢を選びたくはなかった。

 だけど、蜂須に相談したお陰で、少しは覚悟を決められそうだ。


「あとは、生徒会長の方ね。会長は言動が少々痛いだけで、あんたに不快な思いをさせたりはしない人だと思うけど、何が問題なのかしら?」

「蝶野会長、最近両親と大喧嘩して1人暮らしを始めたんだよ。その直後の辺りから、放課後とか、休日もたまに呼び出されて、会話の練習とかに付き合わされるようになったんだ。」

「会話の練習? あんた達、一体何をやってるのよ?」


 蜂須は、怪しむように露骨なジト目を向けてくる。

 うん、やっぱりそういう反応になるよなぁ。

 会話の練習、なんて言われても意味不明だろうし。

 ただ、蝶野会長の人柄などを知っている蜂須であれば、こちらがきちんと説明する事で理解に至るはずだ。


「会長は、コミュニケーション能力に不安を抱えているだろ。それを克服したいんだってさ。」

「あー、なるほどね。あの人、キャラを作っていない状態だと途端に喋れなくなるみたいだものね。」


 蜂須が素の蝶野会長を目撃したのは、ショッピングモールで会長が姉の優華さんと対峙した時の1回だけ。

 姉に厳しく詰められた会長は、普段のキャラが崩れ、内向的で弱々しい少女の姿を晒していた。

 あの時のやり取りは、蜂須も強く印象に残っていたようだ。


「ま、会話に付き合う代わりに勉強を見て貰えるから、それについては有難いな。お陰でテストの点数も上がったし。」

「ふーん。勉強ならあたしが教えてあげても良かったのに……。」

「え?」

「何でもないわよ。話を聞く限り、会長の方は問題ない気もするけど、何が困ってるの?」


 蜂須は露骨に話を切り替え、真剣な表情を改めて作り直した。

 ほんのりと顔を赤らめながらも強気に取り繕おうとする彼女は、やっぱり可愛い。

 それに、ラベンダーのような爽やかな匂いもするし、無防備に空いたシャツの隙間から覗く白い鎖骨は思わずドキリとする程の色気がある。

 性格も良いし、蜂須みたいな子と付き合えたらどんなに楽しいだろうか。


「ちょっと? あんた、話聞いてるの? それに、また変な顔してるし。」

「ご、ごめん。ちょっとボーッとしてただけだ。」

「はぁ、全く。あんたの相談に付き合ってるんだから、もっとちゃんとしなさいよね。」

「うん、気を付けるよ。」


 物言いがキツいのは蜂須も蟻塚も同じだが、蜂須の場合は言葉の端に良識や優しさを感じるから、嫌な思いは全然しない。

 むしろ、怒り顔の彼女も可愛くて魅力的だと思える余裕があるくらいだ。


 とはいえ、もちろん僕の方から告白なんてする勇気はない。

 仲が良いのは間違いないが、告白が成功するビジョンが見えないからな。

 そんな思い切った手段に出られるのなら、僕は陰キャをとっくに辞めているだろう。


 でも、いつまでも僕はこのままで良いのか、という疑問は頭の中にずっとある。

 いつか、そう遠くない未来に、僕も何処かで殻を破る覚悟を試される時が来るのかもしれないな。

 そんな事を、僕はぼんやりと思った。

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