第60話 頼れる相談役

 本格的に梅雨に入り、朝からじめじめした空気が首筋を撫でる今日この頃。

 僕はげんなりした気分で、朝の教室に登校してきた。

 自分の席に腰を下ろすと、既に着席していた隣人がこちらに向かって軽く片手を挙げる。


「おはよ。」

「ああ、おはよう、蜂須さん。」

「あんたさ、この前失くしたって言ってた傘、結局見つかったの?」

「いや、まだだな。会長からも特に見つかったという連絡は来てないよ。」


 僕が先日傘を紛失した話については、蝶野会長のみならず、蜂須にも伝えている。

 傘を盗んだ犯人がギャル連中だった場合、彼女にも被害が及ぶ可能性は低くないからな。

 あの日、帰りのバスの中で蜂須に状況を報告してから、彼女と何度もメッセージをやり取りしているが、現時点では何も進展はない。


「あんたも災難ね。次から次へとトラブルが絶えないみたいで。」

「まあな。と言っても、傘が無くなってから今までは、他にトラブルは起きてないけど。」


 以前までは教室で殆ど雑談を交わす事のなかった僕達だが、最近はこうして授業の時以外も普通に会話する機会が増えている。

 いや、より正確に言うなら、蜂須の方から僕に声を掛けてくる事が多くなったのだ。

 現に今の会話も、最初に切り出したのは彼女からだしな。


「トラブルと言う程ではないかもしれないけど、蟻塚さんと生徒会長、最近よくあんたと会ってるわよね。」

「あー……まあ、な。」


 最近の蟻塚は、毎日昼休みになるとこの教室を訪れ、「一緒に昼食を食べませんか」と誘いを掛けてくる。

 打って変わって放課後は、蝶野会長から「会話の練習に付き合って欲しい」と頼まれ、生徒会室へ赴く日々だ。

 さすがに面倒臭いという気持ちもあるが、その一方で、彼女達と会う事で得られる恩恵も存在する。


 蟻塚の場合は、惣菜のおかずを、特に男子高校生なら誰もが好きと言っても過言ではない唐揚げなどを一部分けてくれるのだ。

 そのお陰で、最近は購買で購入する昼食のグレードを落とし、余った昼食代をお小遣いに回せるようになった。

 セコい手なのは百も承知だが、アルバイトをしていない学生にとって、こういう小金稼ぎの手段は重要だ。


 一方、会長の場合は、僕の勉強を見てくれるのが地味に助かっている。

 何せ、彼女は学年1位の成績の持ち主だからな。

 そんな先輩に勉強を見て貰えたお陰で、つい先日の中間テストでは学年順位をそれなりに上げる事が出来た。


 このように、僕が彼女達と会う事には、一定のメリットがあるのだ。

 とはいえ、それを差し引いても手放しで喜べる状態でないのも確かな事実ではあるが。


「あの2人、結構癖が強いし、振り回されて大変そうね。」

「そうなんだよな。それに、平日は毎日のように顔を合わせてるし、休日も容赦なく電話やメッセージを飛ばしてくるし……。」


 蟻塚も蝶野会長も、他に碌な友人がいないせいか、僕にやたらと執着している雰囲気がある。

 幾ら相手が美少女とはいえ、さすがにこの頻度で振り回されると「嬉しい」よりも「しんどい」という感情の方が先行してしまうのは止む無しだろう。


「あんたには色々とお世話になってるし、あたしで良ければ相談に乗るわよ?」

「え、良いのか?」


 僕の周りの人間の中で、蜂須は一番信頼できる相手だと思っている。

 真面目で義理堅い性格の上、頭も良い彼女は、悩みを相談する相手として最適と言えるだろう。

 それに、蜂須はあの2人の事もよく知っているから、話の理解も早くて助かるしな。


「ええ、もちろんよ。それに、あんたがどっちかとくっ付いたら、あたしも吹っ切れるかもしれないしね……。」

「ん? どういう意味だ?」

「何でもないわよ。で、相談はどうするの? あんたさえ良ければ、あたしはいつでも構わないけど。」

「もうすぐ1時間目が始まるし、今からだと無理だろ。昼休みは蟻塚さんが来るし、放課後も1~2時間くらい会長に付き合わされるかもしれないし……。」

「そうなると、時間を合わせるのは難しいわね。せめて、昼休みか放課後のどちらかだけでも空けてもらえると助かるんだけど。今日はバイト休みだし、どっちでもあたしは空いてるわよ。」

「うーん……。」


 昼休みか放課後か。

 言い換えれば、蟻塚と蝶野会長のうち、どちらの時間を削るか。


 僕にとって誘いを断りやすいのは、蝶野会長の方だな。

 蟻塚は先日のようにとんでもない脅しを掛けてくる可能性があるので、策も無しに迂闊な一手は打てない。

 一方、蝶野会長は僕が強気に出るとヘタレる事が多いから、こちらとしてはやり易いんだよなぁ。

 これじゃどっちが年上なんだか。


「放課後で頼む。会長には断りの連絡を入れておくよ。」

「分かったわ。じゃあ、今日の放課後はよろしくね。」

「ああ。」


 僕達の話がまとまったところで、丁度予鈴のチャイムが鳴り、程なくして朝のホームルームが始まった。

 その後、僕は休み時間のうちに蝶野会長に連絡を入れ、昼休みは毎度の如く蟻塚に連行されて中庭で昼食を食べ、午後の授業も問題なく乗り切った。

 放課後を迎えてすぐに、僕と蜂須は席を立ち、少しだけ時間差を作って校舎の外に出る。


「で、何処に移動する?」

「そうねぇ……。あの2人に万が一見つかると厄介だろうし、なるべくなら人目につかない場所が好ましいわね。」

「一番安全なのは僕か蜂須さんの家だけど、蜂須さんの家は遠いんだっけか。」

「何処かのお店に移動するのが無難なんでしょうけど、あたし、今は金欠気味なのよね。出来ればあまりお金が掛からない場所が良いわ。」


 うーん、難しいな。

 ただ、今回は僕の方から蜂須に相談を持ち掛けるのだから、彼女に無用な出費を強いるのは気が引ける。

 僕が蜂須の分までお金を出すという手もあるが、僕の方もそこまでお金に余裕がある訳じゃない。


 しかし、今は梅雨の時期であり、今日も例に漏れず朝から雨がしとしと降っている。

 公園など、野外で喋るのは得策じゃないだろう。

 そうなると、必然的に選択肢は限られてくるか。


「ショッピングモールのエントランスなんかはどうだ?」


 僕達がよく利用しているショッピングモールのエントランスには、ベンチなどの座れる場所が多く存在する。

 先日の待ち合わせでも使用したあの場所であれば、屋内かつ無料で喋る事が出来るはずだ。

 同じ学校の生徒と鉢合わせる可能性も多少はあるが、現時点で他に有力な選択肢がない以上、これが最善だろう。


「まあ、妥当ね。なら、早速行きましょうか。」

「そうだな。早速――ん?」


 下駄箱を開けた瞬間、突然の違和感が僕を襲う。

 自分用の下駄箱の中に鎮座しているのは、当然自分の運動靴だ。

 しかし、その運動靴の向きがおかしい。

 僕はいつも靴の背を手前に向けた状態で靴を下駄箱に入れるのに、今は逆向きに収納されているのだ。


「どうしたのよ?」

「いや、ちょっとな……。」


 運動靴を手に取り、目を凝らして靴の外側や内側を観察してみるが、特に目立つ異変はなさそうだ。

 靴の中に手紙や画鋲、虫の死骸などが入れられているかもと予想していたが、そのような物は一切見当たらない。

 ただ単に、靴の向きが変わっていただけだ。


 下駄箱といえば、以前、ギャル連中が蜂須のパスケースを盗んで僕の下駄箱に突っ込んでいた事があった。

 だから、靴の向きを弄ったのは必然的に奴らである可能性が高い、と判断したくなるところだが、靴や下駄箱の中に何も異変がないのが気に掛かる。

 誰のせいでもなく、単に僕が無意識のうちにいつもと違う向きで靴を下駄箱に入れていただけなんだろうか。


「何もないなら、早く行くわよ。雨の日にあまり遅くなるのは嫌だしね。」

「ああ、分かった。行こう。」


 靴の事は一旦頭の片隅に置いておき、すぐに目的地に向かうとしよう。

 家が遠い蜂須の帰りが遅くなるのは困るだろうしな。

 そうと決まれば、早速出発だ。

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