第58話 引っ越し先訪問

「えっと、ここだよな……?」


 日曜日の昼下がり、僕はスマホを片手にとあるアパートを訪れていた。

 街外れにあるこのアパートは2階建てで、灰色のコンクリートの外壁には所々に目立つ汚れが散見される。

 周囲に大きなショッピングモールや駅がないため、不人気な立地である事が窺え、古臭い外観も相俟って「如何にもな安アパート」という感想しか出てこない。


 スマホの画面に表示された地図アプリによると、「彼女」の今の住所はこのアパートで間違いないはずだ。

 アパートの敷地に足を踏み入れ、教えてもらった部屋番号を確認した後、僕は目的の部屋の前で呼び鈴を鳴らした。


「こんにちは。蜜井です。」

「おお、来てくれたか!」


 程なくして、扉をガチャリと開けて出てきた部屋の住人は、栗色ボブカットの癒し系美人の女子高生。

 僕の1つ年上の先輩である、蝶野生徒会長だ。


 会長は、家族に対して自分の夢を貫き通そうとした結果、実家から追い出される事となった。

 そんな彼女が昨日引っ越してきた先が、この古いアパートの一室という訳だ。


「これ、引っ越し祝いの品です。」

「おお、まさかそんな物を貰えるとは思いもしなかったぞ。ありがとう。」

「いえ……。」

「む? さっきからどうして目を逸らしているのだ?」


 蝶野会長は不思議そうに首を傾げ、キョトンとした顔をしている。

 どうやら、この人には全く自覚がないらしいな。

 まあ、会長はそういう意識が薄そうなので、仕方ないと言えば仕方ないかもしれないが。


 僕が会長から微妙に視線を逸らしてしまった理由は、彼女が目のやり場に困る恰好をしていたからだ。

 今日の気温は季節を少しだけ先取りした夏日の暑さで、昼下がりの今の時間、気温は30度に達している。

 その暑さ故、自宅からここまで自転車を漕いできた僕は、全身に薄っすらと汗をかいていた。

 汗臭い状態で女子と会うのは多少抵抗感があるが、この際仕方がない。

 それよりも今問題なのは、会長の恰好の方だ。


 この暑さだからか、会長も薄着の恰好をしており、上は白いタンクトップ、下は黒いショートパンツという出で立ちをしている。

 前回プライベートで会った時のような中二感はなく、至って普通の部屋着のようだが、会長の体型でこんな恰好をするとかなり刺激が強い。

 何せ、真っ白な鎖骨や肩の辺りが丸見えだし、タンクトップの緩い胸元からは深々とした谷間が存在感を主張している上、剥き出しの太ももは程よくムッチリしていて肉感的な色気がある。


 今の会長の姿は、普段の学生服では見えない部分が曝け出されており、こちらの煩悩を強烈に煽ってくる。

 思わず「誘っているのか?」と言いたくなる姿だが、おそらく会長にはそんなつもりは微塵もないだろう。

 幾ら人付き合いが苦手であるとはいえ、こういう恰好が無防備過ぎるという事を、会長にはこの機会に理解してもらった方が良さそうだ。


「会長、男子を部屋に招き入れる際にそういう恰好で応対するのはどうかと思いますが。」

「む? 何か変だったか?」

「えっとですね……」


 ストレートに理由を告げるのは、さすがに憚られる。

 とはいえ、迂遠な言い回しで会長に伝わるかと言われると、やはり不安だ。

 ここは、はっきり言う他ない。


「まあ、端的に言うと、一般的な男子高校生にとっては刺激の強い恰好だと思うので。僕は外で待っていますから、その間に着替えてもらえると助かります。」

「ふむ。しかし、残念ながら昨日引っ越ししたばかりで、荷解きがまだ完了していないのだ。殆どの着替えはまだ段ボール箱の中なのでな、今すぐに着替えるのは大変なのだよ。私は気にしていないから、どうぞ上がってくれ。」

「いや、僕は気になるんですが……はぁ、もういいです。とりあえず上がりますね。」

「ああ、入ってくれ。」


 蝶野会長は昨日の引っ越しで疲れているだろうし、今からわざわざ着替えのためだけに荷解きを急がせるのも申し訳ない。

 僕が多少我慢すれば済む事だ、と自分に言い聞かせ、僕は会長の部屋に入った。


 会長が借りている部屋の間取りはごく普通の1LDKで、リビングと思しき部屋には段ボール箱が幾つも山積みにされている。

 まだ引っ越したばかりという事もあり、部屋のインテリアは必要最低限に留まっている模様だ。

 部屋の中央に空いたスペースに置かれているテーブルの前に僕が腰を下ろすと、会長が飲み物の入ったグラスを2つ持ってきてくれた。


「今日は暑かっただろう。呼び付けてしまってすまないな。」

「いえ、元はといえば僕の方から相談を持ち掛けていた訳ですし、気にしないでください。」


 ただでさえ部屋があまり広くないのに、積み荷がまだ残っているせいで、余計に部屋が狭く感じられるな。

 普段以上に互いの距離が近いせいか、蝶野会長の体から発せられていると思しき濃厚な甘い香りが僕の鼻腔を擽ってくる。

 女子の部屋に入るのは蟻塚の家に行って以来2度目になるが、女子っていつもこんな良い匂いを発しているんだろうか。

 ただでさえ薄着の会長が目の前にいるのに、甘い匂いのせいで余計に変な気分になってくる。


「蜜井くん、どうかしたのか?」

「あ、いえ。良い匂いがするな、と思っただけです。」

「そうか。クク、我が魅惑の芳香が効いているようだな! かいがあったというものだ。」

「はぁ。まあ、そうかもしれないですね。」


 蝶野会長の中二発言を適当にいなしたものの、僕が実際にドキドキしているのは確かだ。

 そういう意味では、「魅惑の芳香」という中二ワードもあながち的外れではないと言えよう。

 とにかく、これ以上会長のペースに乗せられては駄目だ。


「そろそろ相談の本題に入ってもいいですか?」

「うむ。この前私と生徒会室で会った後、傘が無くなっているのに気付いたという話だったな?」

「はい。誰かが間違えて持って帰った可能性もありますが、ギャル連中が蜂須のパスケースを盗む嫌がらせをしていた実例もあるので、一応相談しておきたいなと思いまして。」

「なるほどな。しかし、あの使い魔達は其方の傘のデザインを知っていたのか?」

「うーん、そこがよく分からないんですよね。」


 ギャル連中が僕の傘を意図的に盗むためには、僕の傘がどんなデザインの物であるかを予め把握しておく必要がある。

 同じ高校に通っている以上、登下校の際に僕の傘をギャル連中が目撃している可能性はもちろんあるが、どうなんだろうな。

 状況だけ見れば、ギャル連中以外の誰かが僕の傘を持っていった確率の方が高そうにも思える。


「傘を盗まれた後、其方はどうやって家まで帰ったのだ?」

「職員室まで傘を借りに行こうとしたんですけど、廊下で蟻塚さんとばったり出くわして、予備の傘を持っていると言われたのでそれを借り受けたんです。」

「ほう、そうだったのか……。」


 蝶野会長が考え込む仕草を見せたが、それも一瞬のこと。

 彼女はいつもの不敵な笑みを浮かべ、得意気に口角を吊り上げた。


「状況は理解した。私の方でも少し調べてみるとしよう。」

「ありがとうございます。そうしてもらえると助かります。」

「うむっ! さて、其方の相談も一段落したところで、今度は私のお願いを聞いてもらいたいのだが、構わないか?」

「会長のお願い?」


 はて、お願いと言われても……あ。

 そういえば、先日生徒会室で蝶野会長と話した時に、「会話の練習に付き合ってくれ」と言われていたな。

 もしや、それの事だろうか。


「実は、お願いしたい事は2つあるのだ。」

「え、2つですか? 会話の練習は以前お願いされた覚えがありますが。」

「ああ、それもお願いしようと思っていたが、もう1つ用件があるのだよ。この部屋にある荷物の片付けをを手伝ってもらえないか?」

「あー……。なるほど、そっちですか。だから、ここに僕を呼んだんですね。」

「すまないな。やはり1人だと大変なので、男手があると助かるのだよ。」


 荷解きされていない段ボール箱は、まだまだ部屋の中に積まれている。

 明日が月曜日である事を考えると、今日中に出来れば全ての荷解きを終えておきたいところだろう。


 しかしながら、蝶野会長1人で片付けるのはそれなりに骨が折れるはずだ。

 例え1人分でも男手を借りられるなら、作業がグッと楽になるのは間違いない。

 正直予想外のお願いではあったが、蝶野会長が引っ越しする事になった原因に僕も一枚噛んでいるので、その責任を取ってこのくらいの作業は引き受けても良いだろう。


「分かりました。手伝いますよ。でもいいんですか? 兄弟でも彼氏でもない男に荷物を漁られるなんて、普通は嫌がるものだと思いますけど。」

「心配無用だ。其方が相手ならな。」

「え!? あ、はい……。」


 急にそんなドキッとするような事を言わないでくれませんかね?

 まるで、僕となら恋人になっても良い、と言っているように聞こえてしまうので。

 中身が中二病キャラでも外見が美少女だから、びっくりするけど悪い気はしない……って、そうじゃなくてだな!


「やっぱり、勇気を出してもう少し攻めないと効果はないのかな……。」

「何の話ですか、会長?」

「いや、何でもない。遅くならないうちに、まずは荷物の片付けから始めるとしよう。」

「そうですね。じゃあ、早速やりましょうか。」


 荷物は結構な数があるが、2人掛かりでやれば数時間も掛からずに片付けられるだろう。

 日が暮れる前に速攻で終わらせるつもりで取り掛かるか。

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