第42話 新刊の発売日

 終業のホームルームが終わるや否や、僕は一目散に教室を飛び出した。


 今日は、「漆黒の魔法戦記」の最新刊にして最終巻の発売日。

 結局、昨夜は遅くまで夜更かしして、既存の単行本を全部読破してしまった。

 そのせいか、この漫画にハマっていた頃の気持ちが数年ぶりに再燃している状態だ。

 睡眠時間を削ったために朝は眠くて仕方なかったが、昼休みに仮眠したので、今は幾分か頭がスッキリしている。


 教室を出た直後、廊下を歩きながら僕はスマホを確認するが、昨日送ったメッセージに対する蝶野会長からの返事は、今もまだ来ていない。

 会長の事は気になるものの、生徒会副会長の沢谷曰く、蝶野会長は暫く生徒会に顔を出さないそうなので、生徒会室に行っても無駄足になるだけだろう。


 休み時間に直接教室を訪ねるという手もあるにはあるが、上級生の教室を堂々と訪ねる度胸は僕にはない。

 そう考えると、この前僕の教室を訪ねてきた蟻塚は、やはり肝が据わっていると言える。


 まあ、会長の事は一旦置いておくとして、だ。

 放課後に特に用事はないので、僕はすぐさま高校の近くの書店に向かおうとしたのだが――。


「あ、先輩。お疲れ様です。」

「蟻塚さんか。どうしたんだ?」


 下駄箱で靴を履き替えた直後、蟻塚に声を掛けられ、僕は止む無く足を止める。

 すると、蟻塚はニコニコと笑みを浮かべながら予想外の言葉を口にした。


「今日これから暇ですよね? うちに遊びに来ませんか?」

「え? 今、何と?」

「先輩、まだ若いのに難聴ですか? 補聴器の購入をお勧めしますよ。」


 こいつ……!

 今、明らかに「僕が暇」と断定して誘いを掛けてきたよな?

 更に毒舌の追い打ちと、本当に容赦がない。


 相変わらずの失礼ぶりに思わず苦言を呈したくなるが、事なかれ主義の僕は反論するつもりは……いや、別にいいか。

 僕が蟻塚に反旗を翻したところで、今更大きな問題に発展する事はないだろう。

 不本意ながら、それなりに仲良くなった自覚はあるしな。


「誰が難聴だ。ただ普通に聞き返しただけだろ。」

「はい、もちろん分かっていますよ? 先輩の事ですから。」

「まるで、僕が蟻塚さんの所有物であるかのような物言いだな……。」


 以前よりも、蟻塚の毒舌ぶりが心なしかパワーアップしている気がする。

 この子は本当にどういうつもりなんだか。


「さあ、先輩。一緒に帰りましょう?」

「悪いが、僕はこの後寄りたい場所があるんだ。」

「寄りたい場所、ですか? 一体何処へ寄るつもりなんです?」

「別に何処だって良いだろ。」


 素直に「書店に行く」と伝えても良かったのだが、書店で本を買った後の予定について突っ込まれると面倒なので、僕は答えをはぐらかした。

 蟻塚は僕の返答が不満なのか、頬をちょっと膨らませていて、それが妙に可愛く見えてしまうのは僕も大分毒されているせいだろうか。


 とはいえ、蟻塚には悪いが、今日だけは何としても自分の予定を優先させたいのだ。

 漫画の単行本は2~3時間もあれば余裕で読み終わるし、明日なら多少付き合ってやる事も出来るしな。


「とにかく、今日は駄目だ。誘うなら明日以降にしてくれ。」

「仕方ありませんね。では、日を改めて……いえ、明日は昼食を一緒に食べませんか?」

「は? 昼食を?」

「ええ。先輩はどうせいつも1人ぼっちで昼食を取っていますよね? だから、私のように美人な後輩と食事する機会を、先輩に恵んで差し上げようかと思いまして。」

「自分で美人って言うな、自分で。」


 見た目通り、蟻塚がもっとお淑やかな性格だったら、僕は彼女の事を意識していたかもしれない。

 だが、中身がこれではそういう気分も半減してしまう。

 美少女の後輩と2人きりで昼食、というシチュエーションは、世の男子高校生達にとって垂涎物ではあるが、相手が蟻塚だとあまり嬉しさを感じないんだよなぁ。


「じゃあ、僕はそろそろ行くから。」

「はい。さようなら、先輩。約束、忘れないでくださいね?」

「仕方ないな……。」


 昼食を一度共にするくらいなら、図書委員の当番の時もやっているし、ここは妥協しても良いか。

 釈然とはしないが、可愛い後輩が懐いてくれている訳だしな。


 そんなこんなで蟻塚と別れた後、僕は自転車に乗って校舎を飛び出し、近所の書店を目指してペダルを漕ぎ始める。

 蟻塚に引き留められたため多少時間を喰ってしまったが、タッチの差で目当ての新刊が売り切れる心配はあまりしなくても良いだろう。

 だからと言って悠長に寄り道している暇はないので、僕は真っ直ぐ書店に辿り着くと、すぐさま漫画の新刊コーナーに向かった。


「あれ?」


 漫画の新刊コーナーには、僕と同じく学校帰りと思われる学生達の姿が散見される。

 その学生達の中に見知った女子の背中を見つけ、僕が近付くと、相手もこちらの気配に気付いたのか、クルリとこちらへ振り返った。


「あ……み、蜜井くんか。き、奇遇だな。」

「こんにちは、蝶野会長。会長もここに来ていたんですね。」

「まあ、な。参考書を見に来たんだ……。」


 蝶野会長は、バツが悪そうに僕から目を逸らしている。

 土曜日に別れて以降、連絡がずっと取れないままだったから心配していたのだが、見たところ元気そうには見えるな。

 しかし、会長の身に何かがあった事だけは間違いない。


「会長、あれから何度か連絡したのに、何で返事をくれなかったんです?」

「すまないな。実は、母にスマホを取り上げられてしまったから、連絡が出来ない状態だったのだよ。」

「えっ、スマホを!? 何で!?」

「私の両親や姉は、私を医者にするため、受験勉強に専念させたいと考えている。この前の土曜日のように、私が友人と遊びに行くのを防ぐために、友人と連絡が取れないようスマホを没収したのだ。」


 まさか、蝶野会長がスマホを没収されていたとは驚きだな。

 蝶野会長の家庭の事情は、彼女の姉の優華さんが話していた内容から、ある程度察せられる。

 会長は、これからどうするつもりなのだろうか。


「会長は、最近生徒会室に顔を出していないと聞きましたが、多分それって勉強に専念するためですよね? このまま本当に医大を目指すつもりなんですか?」

「……仕方ないだろう。私には、世界どころか自分の状況を変える力すらない。私は……大魔導士でも何でもない、ただの無力な女子高生なんだよ。」


 繕ったようなぎこちない笑顔を浮かべる蝶野会長の目が、漫画の新刊コーナーに山積みになっている本に向けられた。

 彼女の視線を追って僕も横を見ると、そこには僕が今日買うつもりだった漫画、「漆黒の魔法戦記」の最新刊が置かれている。


 そういえば、会長の喋り方や、大魔導士を自称しているところ等は、漆黒の魔法戦記の主人公・カイルによく似ているな。

 もしかして、会長の中二病キャラのモデルになったのは――。


「会長も、漆黒の魔法戦記を読んでいるんですか?」

「えっ!? な、ど、どうしてそれを!?」

「いや、参考書を買いに来たって言いながら、漫画の新刊コーナーにいますし。それに、さっきから漆黒の魔法戦記の最新刊をちらちら見ているようなので。」

「ク、ククク……! さ、さすがは我が友だな。私の事をよく理解している。」

「実は、僕も最新刊を買いにここへ来たんです。会長も買うつもりだったんですか?」

「それは……」


 言い淀む蝶野会長を見て、僕は今の質問が悪手であった事に気付いた。

 スマホを没収される程に厳しい環境下に置かれた彼女が、漫画を購入できるはずがない。

 会長に尋ねる前に、その事に思い至るべきだったな。

 僕は慌てて頭を下げ、会長に謝罪した。


「すみません。今の発言は無神経でした。」

「気にしないでくれ。其方に悪い点などない。それより、私の方こそすまなかった。気に掛けてくれていたのに、ずっと返事が出来なくて。」

「いえ、スマホを没収されていたのなら仕方ないですよ。」

「そう言ってもらえると、幾分か気持ちが楽になる。ではすまないが、私はこれで撤収させてもらうとしよう。」


 いつものように僕にしつこく絡む事なく、蝶野会長はこの場から立ち去ろうと踵を返す。

 彼女の寂しげな背中からは、頼れる生徒会長の面影がまるで感じられなかった。


 このまま蝶野会長を帰らせてしまっても良いのだろうか。

 彼女は、僕や蜂須がギャル連中とやり合った時に、親身になって問題解決のために動いたり、相談に乗ってくれた。

 いや、それだけじゃない。

 その少し前くらいに、図書委員の仕事を多少強引ながら手伝ってくれた事もあったか。


 ――だったら。

 僕がここで取るべき行動は、1つしかないはずだ。

 事なかれ主義は、恩を返さなくても良い理由にはならないのだから。

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