第43話 僕の選ぶ道

 漫画の新刊コーナーから立ち去ろうと、蝶野会長が一歩を踏み出した瞬間。

 僕は彼女の肩を掴み、その足を強引に止めさせた。


「きゃっ!? な、何をするのだ!?」

「驚かせてしまってすみません。あの、僕に何か力になれる事はありませんか?」

「……話を聞いていなかったのか? 今の其方に出来る事は、何もない。」


 まあ、そうだろうな。

 話を聞く限り、蝶野会長が抱えている問題に僕が関与できる余地は皆無。

 しかし、直接助ける事は出来なくても、彼女を支える事なら僕にだって出来る。


「蝶野会長は、本当は医者になりたくないんですよね? 他に、目指している夢があるんじゃないですか?」

「そんな事を聞いてどうするのだ? 我が運命は、最早変える事など出来ない。」

「話だけでも聞かせてもらえませんか? 会長は、僕の事を友人と思ってくれているんですよね? だったら、会長の話、聞かせて欲しいです。」


 まずは、蝶野会長の事情を知らなければ何も始まらない。

 彼女が抱える事情について、僕は断片的にしか情報を持っていないのだ。

 だが、会長はあまり乗り気ではないみたいだな。


「うぅ……。私は参考書を買う、という名目でここに来ている。あまり長居をすると、またショッピングモールに行った時のように連れ戻されてしまう。いや、それだけでは済まなくなるのだ。」

「具体的には、どうなるんです?」

「分からない。最悪の場合、家を追い出されるかもしれないな。ははっ……。」


 力なく笑う蝶野会長の顔は、今にも泣き出しそうで。

 これ以上踏み込む事を、僕に躊躇わせる。


 ――でも。


 何となくではあるが、今ここでこの人を離してしまったら二度と戻ってこないんじゃないか、という予感が僕にはあった。

 特に根拠のない予感だけれど、会長の表情を見ていれば、確信を持ってそう断言できる。

 だから、僕はここで立ち止まる訳にはいかない。


「もしもの事があったら、責任の一端くらいは持ちますよ。」

「全部ではなく一端だけか。其方らしいな。」

「ええ。僕は事なかれ主義ですから。全部はさすがに持てませんよ。」

「ククッ……! 涼しい顔で、随分とふざけた冗談を吐いてくれるな。」


 僕の矛盾した発言が多少なりとも効いたのか、蝶野会長の顔に仄かな笑みが生まれる。

 満開の笑みとまではいかないけれど、雲間から差し込む一条の光のような笑みは、彼女を僅かに明るく照らしてくれた。


「そこまで言うのなら、良かろう。だが、もしもの時は本当に責任の一端を持ってもらうぞ?」

「もちろんです。会長に何かあったら、僕がちゃんと責任を取りますよ。」


 自らも責任を被る事は、事なかれ主義と明確に反する。

 しかし、それを理解していながらも、僕は蝶野会長の念押しに対して即答した。

 すると、何故か会長が顔を赤らめ、視線を斜め下に逸らす。


「そ、そんな言葉を簡単に言ったら駄目だよ……。ほ、本気にしちゃいそうになるし。」

「え? 今、何か言いましたか?」

「っ、な、何でもない! と、とにかく、いざという時に本当に責任を取ってもらうから、覚悟しておくのだぞ!」

「はぁ。もちろんそのつもりですが。」


 蝶野会長を助ける事が出来なければ、次にギャル連中が動き出した時、僕は恐らく無事では済まない。

 これといった特技や長所のない、カースト最底辺の陰キャな僕には、あいつらに対抗する術がないからな。

 万が一の場合に、会長の力は僕にとって大きな助けとなる。


 要するに、ここで僕がどの道を選ぼうと「事なかれ」で済まないのなら、せめて一番マシなルートを選ぶというだけの話だ。

 とはいえ、単純な打算ありきで僕は彼女を助けようとしている訳じゃない。


 人として、多少なりとも親しくなった人を見捨てる事に抵抗はある。

 今まで自分を少なからず助けてくれた実績のある相手なら、猶更だ。


「さすがに書店で長々と立ち話をするのは迷惑だろう。場所を変えるぞ?」

「そうですね。あ、その前に、漫画だけ買わせてもらってもいいですか? すぐ済ませますので。」

「ああ、すぐに済むなら構わない。」

「すみません、ありがとうございます。」


 蝶野会長に了解を取ってから、僕は目当ての漫画の新刊を速やかにレジに持っていき、会計を済ませた。

 これで、もうここに用はない。

 時間もないし、すぐにでも移動を開始しよう。


「お待たせしました。何処かの喫茶店にでも移動します?」

「いや、別の場所にしよう。人目につく場所で話したい事ではないからな。」

「分かりました。」


 万が一の場合に責任の一端を担ぐ、とは言ったものの、もちろん万が一の事態が起きないに越した事はない。

 人目を避けて静かに話が出来る場所となると、僕の自宅なんかは……いや、無理があるか。

 自転車で通学している距離なので、移動手段が徒歩である蝶野会長を連れて帰るのは時間が掛かる。


 となると、必然的に選択肢は限られてくるか。

 いまいちムードに欠ける場所ではあるが、書店の裏手の方角にあるカラオケ店の個室なら、他人の目を避けつつ話が出来そうだ。


 そう考えた僕は、蝶野会長を連れてカラオケ店に入る。

 このカラオケ店は高校から比較的近い場所にあるためか、同じ高校の制服を着た女子生徒数人が、受付で入店手続きをしているのが見えた。


 しかし、あの女子達の後姿、非常に見覚えがあるな

 少し明るめに染めた髪や、着崩した制服、やや短めのスカート……って。


「あっ!」

「っ!」


 僕達の前に並んで受付を済ませた女子達が、一斉に移動しようと振り返った時。

 僕達の顔を真正面から視認した相手の表情に、驚きの色が満ちる。


 だが、それも一瞬の事。

 僕の隣に立っている蝶野会長の存在を目にした彼女達は、「早く行こ」と言いながら逃げるようにして廊下の奥へと消えていく。


「あのー、お客様。受付でよろしいでしょうか?」

「す、すみません! お願いします!」


 暫く呆然とその場に立ち尽くしていたせいだろうか、受付の店員が、恐る恐る僕達に声を掛けてきた。

 そのお陰でようやく我に返った僕は、慌てて受付で入店手続きを済ませる。

 手続きが終わると、僕達は早速個室に入り、室内のソファに腰を下ろした。


「さっきの使い魔達は、以前其方達とやり合った相手だったな?」

「はい。まさかこのタイミングで会う事になるとは思いませんでした。」


 受付で鉢合わせた女子達は、僕や蜂須と敵対している例のギャル連中だった。

 蝶野会長が先日刺したばかりの釘が未だ効いているからか、奴らは露骨に僕達を避ける態度を取っていたが……。


「あまり時間もありませんし、今はあいつらの事は一旦置いておきましょう。さっきの反応を見るに、すぐに問題を起こす事はなさそうですし。」

「そうだな。それにしても、カラオケ店に入るのは初めてだ。」


 店内に入るなり、蝶野会長は物珍しそうにキョロキョロと視線を彷徨わせていた。

 一体どうしたのだろう、と思い首を傾げると、会長はおもむろにマイクを握る。


「1つ聞きたいのだが、せっかくだし、少しだけ歌ってもいいか!?」

「いい訳ないでしょ。真剣な話をしに来たのに、何考えてるんですか。」

「わ、分かっているとも……。愉快な話ではないから、つい現実逃避したくなっただけだ。すまない。」

「もういいですよ。それより、時間もないですし早速話してもらっていいですか?」

「そうだな。では悪いが、少し時間をもらうぞ。」


 コホンと咳払いをしてから、蝶野会長は真剣な表情を作った。

 多少の茶番を挟んできたせいで、いまいち締まらない感じもするが、果たして彼女はどのような話をしてくれるのだろうか。


 不安と緊張を覚えながら耳を傾ける僕に、蝶野会長が語ってくれた話は――。

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