第32話 姉妹

「初めまして。わたしはね――そこの桃華の、姉よ。名前は蝶野優華ゆうか。よろしくね。」


 ショッピングモールのエントランスで、この後の予定を話し合っていた僕達の元に唐突に現れた、通行人の女性。

 冷ややかな表情で自己紹介をしてくれた彼女は、どうやら蝶野会長の姉であるらしい。


 言われて見てみれば確かに、この通行人の女性、もとい優華さんの容姿には、蝶野会長と似通った部分が見受けられる。

 例えば、彼女のセミロングの髪は会長と同じ栗色だし、顔の造形も優し気なゆるふわ系美人だ。

 更に、優華さんは非常に均整の取れた体型をしており、身長は目算でも蟻塚とほぼ同じくらい、おそらく170センチ近くはあるだろうか。

 白いブラウスの上からクリーム色のジャケットを羽織り、グレーのロングパンツを履いた彼女は、今時の大人の女性らしいコーディネートと高身長も相俟って、まるで本物のモデルのようだ。


 ただ、まるで能面のように澄ました表情のせいで、容貌に反して、優華さんは、冷徹な雰囲気を纏っている。

 美人ではあるが、近づき難い人物であるというのが、僕から見た彼女の第一印象だった。


「ところで、桃華。あんた、今年で3年生だよね? こんな場所で油を売っていないで、受験勉強しなくちゃ駄目でしょう?」

「そっ、それは……。わ、私は、大魔導士である故、大学など必要ないのだ!」

「その変な喋り方はどうしたの? まさかとは思うけど、あんた、高校3年生にもなって未だにアニメや漫画に興味があるんじゃないでしょうね?」

「うっ……!」


 優華さんに詰められ、蝶野会長の顔が引き攣る。

 そこに畳み掛けるように、優華さんは矢継ぎ早にまくし立てた。


「くだらない事ばかりしていないで、今から一緒に帰るよ。もし帰らないって言うのなら、桃華が今日遊び歩いていた事、後でお母さんに全部報告するけど、どうする?」

「……ぅぅ」

「今更わたしが言うまでもない事だとは思うけど、お母さんから何度も注意されてるよね? わたし達は将来、お母さんが院長を務めている病院を継がなくちゃならない。一生懸命勉強して医大に合格しなきゃいけないのに、呑気に遊び回ってる暇なんてあると思っているの?」


 え、蝶野会長の家って、割と凄い家だったのか!?

 会長の普段の言動はともかく、容姿や学業の成績などからして、育ちが良さそうな感じはしたけど、まさかそれ程の家の出身だとは想像すらしていなかった。


 将来、医者を目指すのならば、大学は必然的に医大を受験する事になるはずだ。

 医大に合格するためには、普通の大学を受験する場合よりも更に厳しい道のりを乗り越えなければならない。

 優華さんが言っているように、遊ぶ暇を惜しんで勉強に勤しむ必要があるだろう。


「反論がないなら、納得したって事にさせてもらうけど? どうなの、桃華?」

「わ、私はっ……。お、お母さんの後を継いで院長になるのは、お姉ちゃんの役目でしょ……。私が無理に医者になる必要なんて、ないんじゃない、かな……?」


 優華さんが発しているプレッシャーに圧されてか、蝶野会長はおどおどした態度で、いつもとはまるで異なる弱気な口調で反論している。


 今までに何度か垣間見た事はあったけど、これが本来の会長の姿なんだろうか。

 まともに相手の顔を見ようとせずに視線を泳がせ、やや俯き加減な姿勢で佇む彼女の姿からは、内向的で大人しい少女、といった印象を受ける。

 自らを「大魔導士」と称して堂々と中二発言を連発していたり、はたまた生徒会長として毅然とした態度を見せていた少女と同一人物だとは到底思えない。


 会長の豹変ぶりに驚いているのは僕だけではないようで、蜂須や蟻塚も一様に目を見開いて、姉妹のやり取りを見守っている。

 傍目に見ても会長が不利な状況なのは明らかだが、現時点においては、事情を知らない僕達が会長達の間に安易に割って入る事は出来ない。

 孤立無援の状態で何とか抗おうとする会長だが、既にこの場における雌雄は決しつつあった。


「勿論、次期院長の座を将来継ぐのは、長女であるわたしの役目だよ。だけど、それは予定であって確実な未来じゃない。わたしの身に何かが起きたり、或いは将来わたしと結婚する相手の家柄によっては、わたしが院長の座を継がない可能性だって充分にあり得る。あんたは、そういう時のための『予備品スペア』なのよ。」

「……っ!」


 蝶野会長は唇をキュッと噛み締め、瞳を潤ませて下を向いてしまった。

 彼女の身体は小さく震えていて、言葉はなくとも、彼女の苦しみをこちらに訴えかけてくる。


 自分の存在を姉のスペア呼ばわりされる悲しみや悔しさは、如何ほどのものだろうか。

 優華さんの発言は、赤の他人である僕ですら思わず眉を顰めたくなる程の暴言だ。

 それ程の暴言を直接浴びせられているのに、会長は言い返す事もせず、口を噤んでジッと堪えている。


 そんな会長の姿を見せられたら、事なかれ主義を自称する僕ですら思わず口を出したくなる。

 いや、最早我慢の限界だ。

 しかし、僕が口を開くよりも先に、とうに我慢の限界を超えていたらしい蜂須が声を上げた。


「もう止めてください! 幾ら何でも、その言い方はひど過ぎます!」

「部外者は、口を挟まないでもらえるかな?」

「蝶野先輩は、あたし達の先輩で、友人なんです! 部外者なんかじゃないわ!」


 強気に食って掛かる蜂須が気に入らないのか、優華さんは眉間に皺を寄せ、睨むような目つきで蜂須を見つめている。

 暫しの間、蜂須の様子を観察していた優華さんは、程なくしてフッと表情を緩めた。


 もしや、蜂須の説得が僅かでも届いたのだろうか。

 僕は一瞬だけそのような淡い期待を抱いたが、それは次の瞬間、呆気なく否定される事となる。


「ふぅん。あなた、桃華の後輩みたいだけど、この際だからさっきからずっと気になってた事を質問させてもらうね? あのさ、その髪の色は一体どうしたの? 化粧も派手だし、どう見ても不良のギャルにしか見えないのよね。」

「あたしの恰好なんて今はどうでも良いでしょ!? 今までの話にどんな関係があるんですか!?」

「関係は大有りだよ? 人の中身は見かけに依らない、なんて寝言があるけど、あれは全くの出鱈目なの。自分の外見に気を遣えない、自分の姿が周囲からどう見られるか分かっていない、そんな人間が『実は中身はまともでした』な訳ないでしょう。真っ当な人間から注意されたならともかく、あなたのような子に抗議されてわたしが納得するとでも思っているのかな?」

「それは……っ」


 中身はどうであれ、蜂須の外見は紛れもなく不良ギャルだ。

 蜂須と関わるようになる前の僕は、彼女が外見通りの怖い相手だと思い込んでいた。

 実際に話して仲良くなっていくうちに蜂須が意外とまともな人物であると、僕は認識を改めたのだ。


 僕でさえそうだったのだから、蜂須と初対面の優華さんが、蜂須に対して偏見を抱くのも無理はない。

 故に、蜂須が幾ら正論をぶつけたところで優華さんには響かないだろう。

 蜂須本人もおそらくそれに気付いたのか、反論の言葉は続かなかった。


「ほら。帰るよ、桃華。さもないと――分かるよね?」

「うぅっ……」


 蝶野会長が、今にも泣き出しそうな顔でこちらを見る。

 しかし、蜂須も蟻塚も、そして僕も、優華さんを説得できるだけの材料は持ち合わせていない。

 程なくしてそれを理解したのだろう、会長は諦めたように小さく頷き、優華さんと一緒にこの場から去っていった。

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