第6話 芽生える悪意
試合開始直後、僕はとりあえず四角形の陣地の隅に寄り、ボールが来てもかわしやすい位置を確保した。
さっきまでの雰囲気を見る限り、真っ先にボールを当てられて退場してしまっても「足を引っ張りやがって」と周りから非難される事はなさそうだが、だからと言ってあからさまに負けるのもさすがにどうかとは思うしな。
まあ、運動神経の良くない僕が多少頑張ったところで、結果は見えているだろうが。
「おっと!」
試合開始直後、相手の内野が投げてきたボールが、僕の横をギリギリ掠めて通過していく。
そこで一息つく暇もなく、相手チームの外野がキャッチしたボールが、再び僕のチームの陣地に飛んできた。
僕らの陣地を通過したボールは、今度は相手の内野にキャッチされ……といった具合に、開始早々、試合は完全に相手のペースで進んでいる。
うちと違って、相手側のチームはそれなりにやる気があるらしく、その結果、最初からこちらが防戦一方の状態になっているようだ。
「ちょっと、あんた達、避けてばかりいないでボールを奪いなさいよ!」
「え~、だって、ねぇ?」
「あんな速いボール、取ろうと思っても取れねぇよなぁ。」
蜂須が声を上げても、誰かがボールをキャッチしようとする気配はなく、ただひたすら陣地の中を逃げ回っている現状は変わらないままだ。
試合が防戦一方になっている原因は、僕達にあまりやる気がないという点も大きいが、理由はそれだけではないと僕は考えていた。
僕が知る限り、うちの男子メンバーは僕を含めて運動がそこそこ、或いは苦手な面子ばかりで固まっている。
運動が得意な奴は、後藤のようにサッカーやバスケのチームに入っているのだ。
うちのチームの女子に関しては、運動が出来るかどうか僕には分からないが、先程のギャル連中の会話を鑑みれば、やはり戦力として期待は出来ない。
詰まるところ、たまたま甘いボールが飛んできたりしない限りは、僕達がボールの主導権を握るのは困難という事だ。
そんな現状に業を煮やしたのか、とうとう蜂須が動いた。
「もういい! 次にボールが飛んで来たら、あたしが取る!」
「おー、頑張れ、綾音ー!」
「バシッと決めちゃってよ!」
ギャル連中からの声援を受けた蜂須は、足を開いて腰を落とし、ボールをキャッチするために構えている。
ボールを持っていた相手の内野の男子は、蜂須がボールを避けるつもりがない事を悟ったのか、ボールを握る手を蜂須に向けて大きく振りかぶった。
しかし、男子が女子相手に全力でボールを投げたら、果たして女子はキャッチできるだろうか。
決して無理ではないと思うが、厳しい事は間違いない。
男の僕ですら、まともにキャッチできる自信がないくらいなのだ。
故におそらく蜂須はボールを受け切れないのでは、という僕の予想は、直後に現実の物となった。
「きゃっ!」
相手チームの男子が全力で放り投げたボールを、蜂須は受け止め損ねてしまい、彼女の手から落ちたボールがこちらの陣地内を転がる。
近くにいたうちの男子がそれを拾ったため、結果的には蜂須の狙い通り、ボールの主導権がこちらのチームに移った訳だが、その代わりに蜂須が退場となってしまった。
「痛っ、指を突いちゃったみたい。あたし、保健室に行ってくるわ。悪いけど、あとお願い。」
「いってらっしゃーい!」
指を怪我した事を自己申告した蜂須は、ギャル連中に見送られて、外野には加わらずに校舎の方へ小走りで駆けていく。
彼女の後姿が遠ざかると、さっき蜂須に声援を送っていたギャル連中はクスクスと小さな笑い声を漏らし始めた。
「あんなに張り切っておいて、真っ先に退場とかマジ恥ずかしくない?」
「ちゃんとやれ、とか言ってた本人が最初に抜けるなんてねー。超笑えるんだけど!」
「わたし、1年の時もあいつと同じクラスだったけど、あいつ、あんまり運動得意じゃなかったよ。だから、どうせこうなるだろうなー、って思ってた。」
「綾音、先生からちょっと評価されてるからって、最近調子乗り過ぎでしょ。ほんとムカつく。」
蜂須がいなくなった途端、ギャル連中の口から再び零れ出したのは蜂須の悪口だ。
ギャル連中の気持ちも分からない事はないが、正直、聞いていて気分が良い話でもない。
とはいえ、彼女達に物申す勇気は僕にはないので、ドッジボールに極力集中する事で不快な声をシャットアウトしようと僕は気持ちを切り替えた。
「よっ、と。」
蜂須から託されたボールを受け継いだ男子がそれなりの活躍を見せ、相手の内野が1人減った。
これで、人数的には五分五分の状況だ。
だが、相手チームの男子が陣地内に落ちたボールを拾ったため、こちらの快進撃はそこで打ち止めとなった。
ボールの主導権が再び相手に渡った事で、相手チームの外野と内野が投げ合うボールが僕達の陣地を何度も往復していく。
何とかボールを避けて粘っていたうちのメンバーも、1人、また1人と退場していき、遂に相手のボールは僕目掛けて飛んできた。
僕はそれを避けようと横へ動くが、僕のすぐ目の前の進路上には、他の男子が立っている。
彼はボールの軌道をきちんと見切っていたらしく、自分は安全だと思い込んだからかその場を動こうとしない。
相手がよけてくれるものと思っていた僕は、慌てて足を止めようとしたが、さりとてボールを避けない訳にもいかず、体勢を崩してしまった。
「うおっ、ちょっ!」
「わあっ!」
目の前の男子に突っ込む形で、僕は地面に倒れ込んだ。
こけた瞬間、腕や足が砂でジャリッと擦れ、軽い痛みが走る。
しかも、足にボールが当たったため、僕はこれで退場だ。
全く、ツイてないな。
強いて言えば、僕が突っ込んでしまった男子が、間一髪で躓く事なく踏み留まっていたのが唯一の幸運だろうか。
相手を躓かせて怪我でもさせていたら、さすがに申し訳が立たなかった。
「おーい、大丈夫か?」
「痛た……。ちょっと膝を擦り剥いたみたいだ。保健室に行ってくる。」
審判を務めていた男子が駆け寄ってきたので、僕は擦り剥いた膝を手で示し、この場を離れる意向を伝えた。
アウトになった内野が外野に回らないというのは、うちのチームにとって不利な展開だ。
僕が保健室に行く事により、うちの外野は本来よりも2人少な……そういえば、蜂須はまだ戻ってきてないのか。
蜂須の怪我は、手当に時間が掛かる程ひどいようには見えなかったけど、どうなのだろう。
そんな事を思いながら、僕は校舎に入り、保健室の扉をガラリと開ける。
「失礼します。怪我を見て欲しいんですが……あれ?」
保健室の中を見回してみたものの、保険医の先生の姿がない。
ギラギラとした西日が差し込む部屋の中にいたのは、椅子に座って自分の指に包帯を巻いている最中の蜂須だけだ。
僕に気付いた蜂須の目が、僕の顔を真っ直ぐに捉える。
釣り目の鋭い眼光は、別に睨まれた訳でもないのに思わず後退りしたくなる程の迫力があった。
僕みたいな陰キャにとっては、一番苦手なタイプの瞳だ。
今すぐこの場で回れ右をして帰りたい気持ちで一杯だが、そんな事をすれば、相手に「逃げた」と思われてしまう。
蜂須に不快感を与え、そのせいで痛い目に遭わされる展開だけは避けなければならない。
どうしたものか、と僕が立ち竦んでいると、そこで青天の霹靂とも言うべき展開が起きた。
あろう事か、蜂須の方から、僕に声を掛けてきたのだ。
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