第2話 猛毒蟻
「蜜井、プリント返すぜ。サンキューな!」
午前中の授業が終わった直後、前の席に座っていた後藤が僕の方へ振り返り、僕が朝に貸したプリントをこちらに差し出してきた。
どうやら、午後の世界史の授業までに課題の作成を無事に終わらせたようだ。
午後までに間に合った事に安堵しながら僕がそれを受け取ると、後藤はニカッと笑みを浮かべて自分の弁当箱を掲げた。
「プリントの礼と言ってはなんだけどよ、オレの弁当の具、1つ分けてやるぜ?」
「悪いが、僕はこれから図書室に行かなきゃならないんだ。図書委員の当番、今日が初めてだから遅れる訳にはいかないんだよ。」
「おー、そうか。じゃあ、またあとでな!」
後藤の弁当のおかずの中に僕の好物があったので、それを貰えなかったのは名残惜しいが、今回ばかりは仕方ない。
鞄から自分の弁当の包みを取り出した僕は、後藤に見送られて教室を出た。
大学受験の際に内申点が少しでも有利になれば、という思惑もあって、僕は部活に入っていない代わりに図書委員になった。
偏見に満ちた考えかもしれないが、僕みたいな陰キャにとっても図書委員の仕事は比較的ハードルが低いしな。
図書委員の仕事は、昼休みと放課後に図書室を開け、貸出の受付や本の整理をするのが主な業務内容となる。
今日は、僕が2年生になって初めてその当番に割り当てられた日だった。
図書委員の当番は、基本的に2人1組で業務を回すのがうちのやり方だ。
僕と一緒に当番を担当するのは、この春に入学したばかりの1年生の女子なので、先輩である僕が遅刻するのは非常に不味い。
仕事のやり方なども相手に一から教えていかなくてはならないし、やる事はたくさんある。
図書委員は、図書室の受付で昼食を食べて良い事になっているが、果たして今日はゆっくり食べる時間が取れるだろうか……。
「ごめん。少し遅れてしまった。」
僕が図書室に足を踏み入れると、既に1人の女子生徒が受付で待機していた。
長くて真っ直ぐな黒髪を持ち、穏やかで温和な雰囲気の顔をした、1年生の割に大人びた美貌を持つ彼女こそが、僕と一緒に図書委員の仕事に臨む相方だ。
この前の委員会で顔合わせだけはしているが、実際に彼女と話すのは今回が初めてなので、僕はまず自己紹介から入る事にした。
「僕は、2年C組の蜜井義弘だ。これから宜しく。」
「私は、1年E組の
「うぐっ、悪かった……。」
おっとりした優等生らしい外見に反して、なかなかハッキリした物言いをする子だな。
しっかりしていそうな点は安心だが、その分、こちらも気は抜けなさそうだ。
「とりあえず、仕事を教えていくよ。まずは、本の貸し出しの受付から始めようか。」
図書委員として当番の日に行う業務は、本の貸し出しの受付・本棚の整理・部屋の清掃に大別される。
あとは月1で本の入荷や廃棄などもあるが、今日はそれらの業務はないので、説明はまた後日で構わないだろう。
図書委員の基本業務は、いずれも大して難しい仕事ではないんだけど、時々、厄介な事態に発展する事も少なからずあったりする。
もっとも、入りたての1年生にそのような難しい仕事を任せるつもりは、僕にはない。
最初から色々一気に教えても混乱するだろうから、今日は初歩的なポイントだけ教えていくとしよう。
「――と、大体こんな感じかな。何か分からない事はあるか?」
「いいえ、大丈夫です。先輩の教え方、意外と分かりやすかったので。」
意外と、って何だよ。
この蟻塚という女、本当に口が悪いな。
外見と中身が合ってなさ過ぎる……って、さっき蜂須と喋った時にもそんな事を思ったような気がする。
はぁ、これはもういいや。
昼休みの時間も残り少ないし、さっさと昼食を済ませよう。
放課後も図書委員の仕事で残らなくちゃいけないんだから、しっかり腹を膨らませておかないとな。
「そろそろ、昼食にするか。図書室は、受付の中でなら飲食は禁止されていないから、ここで食べよう。」
「え? 先輩と一緒に食べる事になるんですか?」
「図書委員の仕事中なんだし、図書室から出て食べる訳にはいかないだろ。」
「そうですか……仕方ありませんね。では、お昼にしましょう。」
どうやら、蟻塚に露骨に嫌がられてるみたいだな。
初対面の先輩への態度がひど過ぎるんじゃないのか、この女。
僕だって、そもそも積極的に蟻塚と話をするつもりは……おや?
「蟻塚さんの昼食って、それ、なのか?」
「ええ。何か問題でも?」
「いや、それが昼食って、さ……。色々変だと思うけど。」
蟻塚が包みを解いて取り出したのは、透明のプラスチックのパックに詰め込まれた焼き鳥だった。
焼き鳥の串には「もも」だの「ねぎま」だの、焼き鳥の種類を示す文字が彫られていて、どう見てもスーパーの惣菜コーナーで買ってきた物をそのまま持参したようにしか思えない。
更に、焼き鳥のパックと一緒に包みに入っていた小さなタッパには、真っ白なご飯だけが一杯に敷き詰められている。
華々しさとは無縁と言っても良い、女子力ゼロの昼食だ。
女子どころか、男子でもこんな無骨過ぎる昼食を持ってくる奴なんて見た事がない。
しかし、当の本人は、焼き鳥の串を美味しそうに「もしゃもしゃ」と頬張っている。
「別に、これがお昼ご飯でも問題はないと思います。焼き鳥、おいしいですよ?」
「さすがにそれは、味気なさ過ぎると思うけどな。もうちょっと見栄えの良い物の方がいいんじゃないか?」
「大丈夫です。私、これでも意外と友達いませんから、誰かにからかわれるような事はありませんし。」
いや、それ別に意外じゃないから!
幾ら外見が良くても、その性格と毒舌じゃ友達が出来ないのは当たり前だと思うよ、蟻塚……。
などという言葉が喉元まで出掛かったが、初対面の女子相手に、事なかれ主義の僕が本音をぶちまけられるはずもなく、結局言葉を飲み込んだ。
「予鈴が鳴るまでもう時間もありませんし、さっさとお昼を済ませてしまいましょう。放課後も仕事はあるんですから。」
「そうだな……。」
最早突っ込む気力も起きず、僕は無心で弁当箱の中身を腹に詰め込んだ。
そして、予鈴ギリギリに昼食を終えた僕らは、急いで図書室を出て、午後の授業に臨む。
昼休み明けの世界史の授業では、前の席の後藤も無事に課題のプリントを提出できたようで、特に何事もなく時間は進んでいった。
そうして、放課後に再び迎えた、図書委員の仕事の時間。
昼休みの時のように蟻塚に小言を言われないよう、僕はホームルームの終了と同時に教室を抜け、図書室の受付前へと急いだ。
だが、僕が到着した時点で蟻塚は既に受付に待機しており、何も言わずこちらへ視線を向けてくる。
彼女にまた小言を言われる前に、僕はとりあえず口を開き、自分から話を切り出す事にした。
「仕事を始めようか。お昼に教えた事は覚えてるか、蟻塚さん?」
「当然です。でも、その前に1つ、聞いても良いですか?」
「何だ?」
「先輩が来るまでの間、本の貸し出し表を見ていて気付いたんですが、返却期限が昨日の本が1冊返ってきていないみたいです。どうしましょうか?」
「ちょっと貸し出し表を見せてくれ。」
貸し出し表が綴じられたバインダーを蟻塚から受け取った僕は、紙をパラパラと捲り、一覧に書かれた生徒の名前や貸し出されている本の状況などに目を通していく。
すると、バインダーに挟まれていた一覧の中に、確かに昨日が返却期限の貸し出し記録が1件だけ残っていた。
昨日の当番だった図書委員の人が、どうやら見落としていたみたいだな。
こうして気付いてしまった以上、僕らで対処するしかないか。
ええと、本を借りている人の名前は……って、これはちょっと予想外過ぎるだろ。
僕でも知っている人物であったのは有難いが、僕は今までこの人と一度も喋った事はない。
しかし、相手が誰であれ、本を返してもらうようお願いに伺うのが、図書委員としての仕事だ。
少々緊張するけど、入ったばかりの蟻塚にこの仕事を振る訳にもいかないから、今回は僕が行くべきだろう。
ゆくゆくは蟻塚にもこの仕事を覚えてもらわなければならないが、今2人で図書室を出てしまうと受付に誰もいなくなってしまうので、彼女には居残りしてもらう必要がある。
「僕が今からこの人の所に行ってくるから、蟻塚さんは受付の仕事を続けてくれないか? 暫く1人にしてしまうけど、あとは頼む。」
「問題ありません。先輩の仕事振り、きちんと見届けさせてもらいます。」
「ああ。じゃ、行ってくる。」
全く、入ったばかりの1年の癖に、先輩にプレッシャーを掛けてくるとはな。
発破を掛けられた以上は、僕もここで失敗する訳にはいかない。
覚悟を決めて、行くとしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます