第12話 シャウエッセン?…知らない子ですね。
(おっはようございま~す!!)
アオイの渾身の挨拶が頭の中に響き渡る。
母さんがこちらを向いたので、アオイの事が見えているかと少し肝を冷やしたが、僕に向けられた表情は普段とあまり変化が無かった。
「あら、おはよう。自分から起きてくるなんて珍しいわね」
母さんは、フライパンの上で踊るウインナーを菜箸で皿に盛り付けながら、こちらに目線を向けた。
(…テツヤのお母さん、私の事見えてないし、声も聞こえてない感じ…だよね?)
(多分…そうだと思うけど…しばらく様子をみよう)
アオイには悪いが、僕は少し胸を撫で下ろして母さんに声をかける。
「おはよう。まぁ…たまにはそんな事もあるって。それより、父さんは帰って来てないの?」
いつもの迫力のある声が聞こえなかった理由を母さんに尋ねた。
卵を割って目玉焼きを作り出した母さんが、いつもの調子で淡々と話し始めた。
「お父さんね、帰ってくるの明日になったんだって。例の大雨で新幹線のダイヤがまた乱れてるみたい。ほら…今日は、パンだから自分で焼いてちょうだい」
「そっか…」
僕は台所にあった袋から食パンを一枚取り出してトースターに入れて、ダイヤルを回した。
(ちょっと〜…なんで一枚なの?私の分も焼いてよ)
腹を空かせた幽霊が、荒ぶる声で熱心に抗議をしてきた。
(あっ、ごめん。ついつい…)
僕はもう一枚食パンを袋から取り出して、仕事中のトースターへ入れた。
それを見ていたのか、隣にいた母さんが話しかけてきた。
「あら、珍しいわね。朝から食パン二枚食べなんて…お腹空いてるの?」
「な、何か、お腹が空いてて…」
怪しまれないように意識していたはずが、無意識に言葉が口からこぼれ出ていた。
「あら。哲也は成長期だからたくさん食べなきゃね。じゃあ、目玉焼きもう一個作らないと…」
少し頬を緩めて、嬉しそうな母さんが冷蔵庫から卵を取り出してフライパンに追加した。
(やったぁ!!…めっだま焼き~♪…めっだま焼き~♪)
年上とは思えない幼稚な歌が、糖分不足の頭の中で披露された。
(何だよ、その歌)
僕は笑いを堪えて、思わず彼女に突っ込みを入れた。
(ん?今、作った曲…即興にしては、いい感じじゃない?)
(そうだな…良いんじゃないか…。それより、俺はこれぐらいでいいけど…アオイはどう?)
満足げに鼻を鳴らす彼女の機嫌を損なわないように同調しつつ、僕は話題を別の流れに持っていく。
(んっ?テツヤ、それ…マジで言ってる?ほとんど焦げ目付いてないじゃん!私のはもっと焼く!)
化粧っ気のない食パンを片手に、僕は諭すようにアオイへ言葉を返した。
(いや…普通にこれくらいが美味いから、マジで…。まぁ…とりあえず、アオイの丁度いい焼き加減になったら言ってくれ。取り出すから)
(え~!絶対、ちゃんと焼いた方が美味しいって!)
僕は、ほんのり頬を染めた食パンを小さな皿に乗せ、冷蔵庫から牛乳を取り出してコップへ注いだ。
その間、頭の中で唸り声をあげているアオイは、店の商品を窓越しに見るようにトースターを見ているのだろう。
しばらくして、アオイが僕を呼んだ。
(テツヤ、できた!)
注いだ牛乳を飲んでいた僕は、慌ててトースターへ向かい、キツネ色に色付いた熱々のトーストを取り出した。
(よし、上出来!)
パン焼き職人のアオイは、満足そうに呟いた。
「今日は、ずいぶんと焼いたわね」
こんがりと焼けたトーストを見て、母さんが不思議そうにこちらを見た。
始業前の頭を無理矢理フル回転させて、適当な言い訳を捻り出す。
「どうせ二つ食べるなら、違う焼き加減のを楽しみたいって思って…」
しかし、母親のカンというのは鋭いようで、母さんの怪訝そうな目線が、僕の瞳に差し込まれる。
「哲也、あんた…今日、いつもと何か違うわね。何かあったの?」
「いや…別に何もないよ。それよりコレ、もう持って行っていいの?」
僕はその場を離れようと、台所に置いてあった目玉焼き、ポテトサラダとウィンナーが乗った皿を持って、そそくさとその場を離れた。
「まぁ…何もないならいいんだけど…あっ、マーガリンとジャム忘れてる」
「あ〜、はいはい」
府に落ちない声を背中に受けながら再度、台所へ向かい、マーガリンとジャムを手に取り、椅子へ座った。
(うわぁ~美味しそう!)
テーブルの前に並んだ朝の定番料理を見て、アオイが声を弾ませた。
期待に胸を膨らませるアオイに、僕は念のために釘を差す。
(いや、アオイがこれを食べれるかどうか、まだ分からないからな)
すると、子供扱いをされて不満げな様子のアオイが、冷静にこちらに提案してきた。
(分かってるよ〜。とりあえず、哲也が何か食べてみて。私に何か反応があるかもしれないし…)
アオイの言うように、嗅覚と同様、他にも何か反応があるかもしれないと思い、僕はその提案に同意した。
(分かった。じゃあ、食べるか…)
「いただきます(いただきます!)」
少し胸を弾ませながら、自分用に焼いたトーストにマーガリンとイチゴジャムを塗って、口へ運んだ。
若干の香ばしさの中に、ほのかに残る小麦の風味が口に広がる。
我ながら、今日も絶妙な焼き加減だ。
(テツヤ!テツヤ!私にもパンの味ちゃんとするよ!ん〜、美味ひぃ〜幸せ…)
喜び勇むアオイの声が、頭の中で飛び跳ねる。
(マジで⁉︎)
(マジ!マジ!不思議な感じ…ん〜なんて言ったらいいかな…テツヤにあ〜んってご飯食べさせてもらってる感じ!ちゃんと口の中にパン、入ってるよ!)
原理はよく分からないが、これでお腹が空いたと駄々をこねられる心配も無くなり、僕は一安心した。
お腹を満たせる事を知った腹ぺこ幽霊が、ここぞとばかりに注文をしてきた。
(良かった〜、ご飯食べれて!ねぇねぇ…テツヤ。私、ウィンナー食べたい!)
自分で食べる物を選べないアオイがウィンナーを所望してきたが、僕の意思とは違った。
(えっ、俺は目玉焼き食べたいんだけど…)
(えぇ~。この匂い嗅いだらウィンナー食べたくなるよ、普通!はい、私に食べさせて!テツヤがあ~んしてくれるの…待ってる)
頭に聞こえてくる彼女の<あ〜ん>の声は、先程までと違い、甘く艶やかで僕は全身がむず痒くなった。
(何だよそれ…)
素直に要求を受け入れない僕に、アオイが痺れを切らして急かしてきた。
(だってさ、私…自分で食べられないんだもん。しょうがないじゃん。だから、早く…ちょうだい)
恋人達のようなやり取りに僕は居た堪れなくなり、大人なしくアオイに従うことにした。
(…わ、分かったよ!ウィンナー食べればいいんだろ!)
フォークでウィンナーを突き刺すと弾ける音とともに肉汁が流れ出てきた。
口に運ぶと、小麦とイチゴが残る口が、肉の甘味と塩味に上書きされていく。
(う~~ん!美味し過ぎ!ありがと、テツヤ)
(どういたしまして)
要望を聞いた僕は、当初の目的だった目玉焼きに塩胡椒を振る。
すると、目疑う光景を見たアオイが声をかけてきた。
(えっ⁉︎目玉焼きってソースじゃないの?)
こちらも、アオイの言うことが理解できず…聞き返す。
(えっ⁉︎マジで言ってんの?ソースはないだろ…)
そう言いながら、黒い斑点模様の目玉焼きを食べる。
(ふんふん…あっ、案外…塩胡椒もなかなかイケるね。ソースも美味しいから!あっ、あとテツヤ、私のオススメはね…パンの上に目玉焼き乗せて、マヨネーズかけて食べると美味しいよ。やってみて)
その悪魔のような提案を聞いた僕は、早速トーストの上に目玉焼きを乗せて、冷蔵庫からマヨネーズを取り出してかけた。
母さんが自分の朝食を持って、向かいの席に座り、真新しい物を見るような目でこちらを見た。
「アンタ、何かスゴイの作ってるわね」
「いや、ちょっと思い付いたんだよ」
少しオシャレに見える普段のトーストを一気に口に入れた。
卵の黄身とトーストの焦げ目、そしてマヨネーズの酸味が綺麗に調和され、想像以上に美味しかった。
(ん〜…やっぱ美味しい!)
(おっ、イケるな、これ)
(でしょ!)
自慢気に鼻を鳴らすアオイを遮って、母さんが話し始めた。
「哲也。昨日言ったとおり、今日、夏期講習の予約するから…8月8日からだから忘れないでよ」
「へいへい」
僕は、皿に残っているウィンナーやポテトサラダを掻き入れた。
(ちょっと…テツヤ、もうちょっとゆっくり食べてよ!私、そんなにすぐに飲み込めないって!)
彼女の言葉が頭に入らず、僕は無心で食べ物を口に運ぶ。
その間も母さんが何か話していたが、とりあえず頷いて右から左へ流す。
最後のウィンナーを食べて、食器を片付けてリビングの扉へ向かう。
「今日はどうするの?」
テレビを点けて、チャンネルを回しながら母さんが、僕の予定を尋ねた。
「家で自習する」
アオイの事もあるので、今日は家にいる予定だった。
「今日は夕飯…18時くらいにするからね」
「りょーかい」
僕は、残り少ない自由な時間を謳歌するため、居心地の悪くなった部屋を
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