第10話 ウシの8の字ダンス
「…い!…〜い!テツヤ〜!朝だよ〜!携帯の目覚まし、鳴ってるってばぁ!」
いつもと違う起こされ方。
少し前と同じような起こされ方。
きっと、ここだけ切り取れば、これからラブコメみたいな展開があるのだろうが、残念ながら僕のヒロインは姿が見えない。
僕は朧げな意識の中、
耳に容赦なく叩きつける音を止め、重い瞼を開けて画面を見ると、時刻は午前七時を回っていた。
カーテンからは、先程の悪夢が嘘だったかのように煌々とした光が漏れている。
快適な部屋で大きく伸びをして、肺に涼やかな風を送り込む。
「やっと起きた〜。おはよ、テツヤ」
呆れた声でアオイが、話しかけてきた。
「ふぁ〜。おはよう…アオイ。とりあえず、良かった。目が覚めても、アオイとちゃんと話せて…」
何処にいるのか分からないが、誰もいないベッドの方へ身体を向けて、アオイと朝の挨拶をかわす。
「うん…。私もね、眠っちゃったら、もう…こっちの世界から消えちゃうかも…って思ってたから、目が覚めたらテツヤの部屋で、隣にテツヤがいて嬉しかった」
噛み締めるように、はにかむように、アオイは言葉を僕の頭に置いていく。
未だ呆然としている頭の中で、その言葉がゆっくりと染み渡る。
「良かったよ、ほんと…。ってか、幽霊って朝日とか大丈夫なのか?何か、夜に活動してるイメージだけど…」
カーテンを開けて、もしもの事があったら嫌なので念のために確認してみる。
「えっ⁉︎何か…私、ドラキュラみたいじゃん!た、多分…大丈夫だと思うけど…ちょっと、待ってて…」
「大丈夫っぽいよ!今、テツヤの部屋から足出してみたけど、消えてないし…」
しばらく反応が無く心配していた僕をよそに、アオイが楽しそうな声で報告してくれた。
「えっ⁉︎アオイって…足、あるの?」
僕の中の幽霊のイメージは、人魂みたいなものを想像していた。
「あるよ!!失礼だなぁ、もう!綺麗な足があるんだから!テツヤに見せてあげられないのが残念だなぁ!」
「いやぁ…、それは残念だわ…」
口を尖らせている様子の声を出している彼女の機嫌をこれ以上悪くしないように、なるべく悔しさをにじませる声を出してみる。
「浮いてるけど、足も手もあるし…パッと見は、普通の人間なんじゃないかな?まぁ、鏡を見たわけじゃないけど…あっ!そっか!…もしかしたら、テツヤが鏡を見たら私の姿とか見えたりしない?」
姿が見えずとも、前のめりになっていることが分かるようなその声は期待に満ちていた。
「どうだろ?」
正直、アオイがどのような姿をしているのかは確かに気になるが、それよりもホラー映画に出てくるような生気のない顔が鏡に出てきた時のことを思うと、あまり乗り気にはなれなかった。
「よし、じゃあ…試しに行こ!」
その声からは、今にも飛び出して試したい気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
「…もうちょと、寝かせて…昨日、遅かったし…」
二度寝の快楽を貪りたい気持ちの僕は、再び布団で横になり寝ようとするが、アオイはそれを認めてくれなかった。
「えぇ〜、テツヤって朝弱い系男子なの?はい、とりあえず、顔、洗う!」
「はぁ…。母親が二人いる気分なんですけど…。ふぁ〜…それにしても…アオイは朝から元気だなぁ」
僕は観念して、再び布団から身を起こして伸びをする。
「ちょっとぉ!!お母さんとか、冗談でも止めてよね!せめてお姉ちゃんにして!実際に妹だっているんだから!」
頬膨らませているかのように、アオイは鼻を鳴らした。
「その妹さんも大変だな。朝からうるさいお姉ちゃんがいて…」
僕はアオイに妹がいることに驚きながらも、冗談混じりにからかった。
「ヒナはそんなこと言わないから!私達、仲良し姉妹だし!」
<仲良し姉妹>、その言葉が胸に重くのしかかり、僕は押し黙ってしまう。
「哲也!!起きなさい!朝ご飯、食べちゃって!!」
不意に、いつもの母さんの声が家の中に響き渡った。
「はい、はい…起きてるって!」
一階に声が届くように、声を張る。
「ありゃ、テツヤのお母さんに怒られちゃった。朝ご飯って何なんだろ?人の家の朝ご飯なんて…ワクワクする!テツヤ、早く行こ!」
アブラナ畑に舞う蝶のように、甘い蜜に誘われたアオイが、僕を急かす。
しかし、そんな無邪気に舞う蝶を僕は指で捕まえる。
「なぁ、アオイ」
「んっ?なぁに?」
アオイが狐に摘まれたような声を出す。
「アオイの事なんだけど、しばらくは母さん達には内緒にしたいんだけど…いいか?この状況、素直に話して信じてくれるって思えないし…それに、もう母さんには心配かけたくないんだ…」
アオイの存在を隠すような事をお願いしている自分の胸にトゲが刺さる。
しかし、アオイからは予想だにしなかった悠々とした言葉が返ってきた。
「うん。私は問題ないよ!普通、こんな事が起こってるって言っても、テツヤが頭おかしくなったって思われるだけだし…」
アオイの前向きな性格に感謝しつつ、もう一つ、気になることを彼女にお願いしてみる。
「ですよね。多分、アオイの言葉は母さんには聞こえないと思うんだけど…念のため、リビングに入る時に挨拶とかしてみてくれないか?」
「うん、いいよ」
こちらも彼女は快諾してくれたので、僕は重い腰を上げて、カーテンを開ける。
「眩しっ」
僕は反射的に目を瞑る。
「暑そうだよね、外…」
アオイもその刺すような日差しを見て呟く。
僕は携帯電話をポケットに入れて、扉へ向かった。
「もし、母さんがアオイの声が聞こえてないようだったら、今までどおり話してくれて構わないから。あっ…でも、俺は今みたいにアオイと話せないからな」
念のため、彼女と最終確認をする。
「いいよ〜。一人で楽しむから!あっ、でもたまには頭の中とかで私とお話…してよね」
急に萎んだ声を出す彼女をなだめるように声をかける。
「たまにな、たまぁに」
今まで朝食を食べに行く時に、胸がはずむような気持ちになることなんて無かった。
冒険者になった気分で、僕は新たな世界の扉に手をかけた。
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