第5話 夢万灯
…ギャハハハ
楽しそうな子供の声が途切れ途切れに聞こえる。
腕からは堅い物が当たっている感覚が伝わってくる。
後ろから聞こえる椅子と床の擦れる音が耳を
僕は重い頭をゆっくりと上げて前を見た。
目の前には黒板。
整然と並ぶ小さな机と椅子。
そして、走り回る小さな子供達。
状況が飲み込めず、ふと目線を落とすと自分の机の上にはケロッピーの筆箱とロケット鉛筆があった。
(これは…昔、使ってた筆箱…?)
そんなことを思っていると、ゾクゾクと背中を何かが這うような感覚がした。
驚いて後ろを見ると、一人の男の子がニヤニヤしながらこちらを向いていた。
「ハハハハハッ!ビビリ過ぎやわ。哲也。お前、さっきの授業寝とったやろ」
楽しげに話す彼の口から上は、黒い線がいくつも乱雑に入り混じって、誰なのか判断できない。
「だ、誰?」
久しぶりに聞く自分の高い声に驚いたが、状況はある程度は理解できつつあった。
彼は一瞬、驚いた様子を見せたがすぐに口角を上げて話し出した。
「えっ、何?そういう遊び?鈴木だよ、鈴木。お前の後ろの席の…」
僕は頭の中を駆け回りながら<鈴木>という人物の記憶を探してみたが、全く思い出せなかった。
「あぁ…悪りぃ悪りぃ。そうだったわ。鈴木だよな!…で、今は何の時間?」
少し話を合わせるようにして、鈴木から今の状況について聞き出そうとした。
「今?今は10分休み。次は6時間目の社会」
鈴木は頬杖をついて気怠そうに淡々と答えてくれた。
これ以上聞くと煙たがれそうな雰囲気だったので、最後の質問を鈴木に投げかけた。
「あとさ、何年生で、今日は何日だっけ?」
「はぁ。まだやんの?…6年で11月6日」
予想通り、鈴木はため息混じりに面倒くさそうに答えた。
「そっか…ありがとう」
礼を言いながら頭で鈴木から得た情報を処理する。
(小6の11月か…)
背中を教室の壁につけて窓際の席を見る。
同じクラスにいるはずの彼女を探そうとするが、目の前の群がって騒ぐクラスメイト達がそれを阻む。
…キーンコーンカーンコーン
不意に5分前の予鈴が鳴り、目の前にいるクラスメイト達が徐々にその数を減らしていった。
ようやく、秋風にたなびくレースのカーテンを見ることができたので、目線を一番後ろの席へ移す。
腰のあたりまで伸びた長い髪。
文庫本を捲る細い指。
夕陽を乱反射する眼鏡。
彼女の席だけ、時が止まっているかのような厳かな空気を
ーそう、僕の知る梢の姿がそこにはあった。
「おい、哲也。お前、結城の事…好きなん?さっきからずっと見とるなぁ…」
鈴木がニヤニヤと白い歯を見せながら話しかけてきた。
「はぁ?何言ってんの?お前!」
不意に振られた話題に動揺して答えると、鈴木は僕の肩をバシバシと叩いて笑い出した。
「冗談やって、怒んなし。まぁ、真面目な話、…結城、ゴリラに目つけられとるから、教室ではあんま話しかけられんわぁ。まぁ…哲也は幼馴染やから、気になるんはしゃあないか…」
(ゴリラ?……あぁ、ハハハ。猿渡の事か。確かに…そんなヤツいたな)
鈴木は更に何かを思い出したのか、話を続けた。
「結城といえば…こないだ家に帰る時にうちの近くにある川の近くにおって、座って何か描とったんよ。アイツん家、うちと反対方向なんに…。相変わらず、頭良いヤツの考えることはよう分からん」
梢の方へ顔を向けて喋る鈴木の口から冷ややかな矢が飛ぶ。
「そうか…梢が…」
僕はこのやり取りに既視感を覚えたが、その先は頭の中に
「哲也には悪いけど、俺、実は…結城、結構タイプなんよ。やけ、仲良くなりたいんやけど…。はぁ。結城もなぁ…、修学旅行の班決めん時にゴリラに歯向かわんかったら良かったんよ。あれから半年くらいゴリラに睨まれとるからな。あのゴリラ、歯向かうヤツには容赦せんからなぁ。男子もゴリラに嫌われたらクラスの女子に総スカンされるけ、なかなか結城には話しかけられんし…」
驚く自分を横に、頬杖をつきながら梢の方を向いて鈴木がぼやいていると、隣の席に座ったクラスメイトの女子が興味深々に話かけてきた。
「なになに?今、結城さんの話しとらんかった?」
僕らの前に立ちはだかった女の子の顔には鈴木と同じ乱雑な線が入り乱れている。
「いやね、哲也が結城の事好きって話」
「は、はぁ⁉︎な、何言ってんの!お前!」
不意打ちを食らって、慌てふためく僕を見て鈴木は隣でゲラゲラと笑っている。
獲物を見つけて獣となった名もなき少女は、更に僕の方へ身を乗り出してきた。
「やぁぁん。何それ!マジ⁉斎藤君と結城さんって幼馴染やんね⁉︎いつから?いつから好きやったん?もう、コクったん?」
楽しそうに質問攻めをする甘い声に誘われて、周りの席に座っていた女子達も集まり始めた。
…キーンコーンカーンコーン
10分休み終了のゴングと同時に前方にある扉が勢いよく開くと同時に先生が入ってきた。
「はぁい。じゃあ、最後の授業始めるよ。はい、そこ!もう、チャイム鳴ってるんだから自分の席に着きなさい!」
「ちぇっ…」
「え~、斎藤君、後で詳しく聞かせて」
「良いとこやったんに~」
各々が捨て台詞を吐いて自分の席へ戻っていき、教室には静寂が作り出されようとしていた。
ふと、教室の奥の方から、文庫本に向けられていたはずの目線がこちらへ向けられていることに気が付いた。
彼女の方へ目線を配ると、その眼鏡の奥から向けられる生気のない目線は直ぐに外されてしまった。
「はぁ…」
ため息をついて、教科書を探して机の中を探っていると、冬雨交じりの重く囁く鈴木の声が耳元から聞こえた。
「なぁ…。なんで、あの時、お前は、守ってあげなかった?」
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