第2話 アサガオのトゲ

 車内で火照った身体を冷やして、無駄に広い駅舎を出る。

 目の前にある見事なシャッター街を歩いて、しばらくすると目的地の「武田青果店」が淋しく口を開けていた。

 

 店に入ると健一は客の居ない店内で扇風機の前で携帯電話をいじっていた。

「何しよん?」

 少しびくついた健一がこちらを向いた。

「おう、早いやん」

「そう?メールでも言ったけど、15時に塾に行かないといけないから」

 健一が後ろにある扇風機を首振りモードにして、壁に置いてあったパイプ椅子を自分の隣に移動させて、座れと促したので礼を言って座った。

 

「それは別に構わんけど…ってか、お前、塾行くん?」

「母さんが勝手に申し込んだんよ。体験授業…」

 健一は黒々とした筋肉質の腕を胸で交差させると、背もたれに体重をかけた。

 セミの声に紛れて、錆びたパイプ椅子がピシピシと悲鳴をあげる。

 

「なるほどなぁ…哲也のお母さん、前は小学校の先生やっけ?とうとう、勉強勉強って言い出したん?」

「正解。顔を合わせる度に、夏休みの宿題やったか?ばっか…。正直疲れるし。健一はしてる?」

「しとらん」

 腕を組みながら堂々と言い放つ健一が、清々しいほどの笑顔でこちらを向く。

「さすが!健一さん!そんな健一さんなら、もちろん…やりますよね⁉︎これ!」

 僕は、鞄からPSPを取り出した健一に見せる。

「おっ、分かってますね…哲也さん、一狩りいきますか!」

 

 僕は、隣でPSPの電源を入れて立ち上げる健一に、思い出したように声をかけた。

「そういえば、先週、健一に入れてもらったライクラの新曲、あれ…ヤバイわ」

「やろぉ。俺も今回の曲、めっちゃ好き」

 目を輝かせながら健一が、握手を求めてきたので、豆だらけの掌を強く握る。

「いやぁ、やっぱ哲也とは趣味合うなぁ。新曲、初めて聞いた時、哲也が好きそうなリフあるなぁ…って思ったんよ。Cメロんとこ、好きやろ?」

「正解。あそこ、かなり好き。健一はサビんとこ?」

「正解です。あのスラップなぁ。あれ、実際弾いたらめっちゃ楽しいって」

 そう言うと健一は、新曲のサビのメロディを思い出して、右手で弦を弾く仕草をする。

 

 話の途中、PSPからディスクを読み込む音が消えて、画面に壮大な空と草原が映し出された。

「おっ、始まった。んで…今日は何行く?」

 その質問の答えは、家を出る前から決めていた。

「今日こそ…女王様、倒しましょう」

 僕は、不適な笑みを浮かべて健一を見る。

 すると、健一は右手の拳を左の掌に叩きつけて、パシッと大きく張りのある音を出した。

「よっしゃ!私、この日の為に店番しながらチビチビと素材集めて新しい武器作りました」

 そうして、僕らは<陸の女王>に挑むことにした。

 

 健一が出してくれたスイカを頬張りながら、道中に現れる怪物達と闘っていると、健一が唐突に思いもよらない話題を振ってきた。

「そうそう。14日にやる花火大会、お前行くん?」

「えっ⁉︎行かんよ。人多いし…」

 僕は健一の突拍子もない質問に少し驚いたが、即答した。

 

「俺さぁ。奈緒ちゃん、誘ったんよ。花火大会…」

 健一のまさかの告白が、僕の手を止めさせた。

「…マ、マジで⁉︎奈緒ちゃんってあの立石さんやろ?」

「そう」

 偉業を成し遂げたはずの健一は、隣で表情を変えずに現れた女王様に攻撃を加える。

「すげぇな。うちの学年No.1を誘うとか、俺には無理やわ…で…?」

 結果がどうだったのか、気になり僕は恐る恐る健一に尋ねてみる。

 

 健一は狩りの手を止めて、ゆっくりこちらを向く。

 真っ直ぐと僕の目を見ると、健一は健康的な肌と対照的な白い歯をチラリと見せてえくぼを作る。

「……撃沈した」

 僕は健一の角張った肩をゆっくりと叩いて、任務を遂行した兵士を労うように言葉を送った。

 

「お疲れさま」

 

 すると、目の前で項垂うなだれる健一が、更に予想だにしないことを口走った。

「実はさぁ……梢ちゃんも…誘った」

 先程と比べ物にならない衝撃が走り、僕の思考は停止する。

 思いもよらない形で、僕は「頭の中が真っ白」というものを初めて体験した。

 

「…は、はぁ?ちょっと、待てって。一応、聞くけど…梢って…まさか」

 もしかしたら、僕の知らない梢なのかもしれないと思い、確認してみる。

「そう、結城さん。哲也は二年の七月から毎日通学出し始めたけ、知らんかもしれんけど…梢ちゃんなぁ、結構人気あるんよ」

 淡々と話す健一の言葉を咀嚼しきれず、僕は開いた口が閉まらなかった。

「マジか!あの…梢が⁉︎」

「明るい、優しい、可愛い…そりゃ、男子から人気出るやろ、普通」

 健一は指折りながら、梢の人気の理由を教えてくれたが、僕は合点がいかなかった。

「そうなんかぁ…?俺はどうしても小学生の頃の梢のイメージが強すぎて…正直、キャラ変わり過ぎて…今の梢がピンとこない」

 

 健一は肩を落とすと、鋭い視線を僕に向けた。

「はぁっ⁉︎なに言っとん!ずるいんですけど!あんな子と幼馴染とか!」

「ちょっと待てって!中学の時は会っとらんし、高二で同じクラスにならんかったら、同じ高校ってことすら気付かんかったし…。それって幼馴染って言うん?」

 少し強い口調で責められた僕は、狼狽しながら自分が梢の幼馴染とは思えない理由を説明したが、納得していない様子で健一が口を開く。

「アナタ…毎日学校で、<おはよう、テツ君>って声かけられたり、手とか振られてません?」

「いや。テツ君、言うなや…」

 梢の真似をする健一に僕は反射的にツッコミを入れた。

「あんなぁ…そのやり取りだけで十分、幼馴染感出とるって。まぁ、俺としては、哲也とおると俺にも声かけてくれるけ、得した気分よ。毎回…」

 そう言うと健一は、ほんの少し腕を上げて伸びをしながら、チラリと横目で僕を見た。

 

 店先から見える道路は先程まで蜃気楼ができそうなほど熱せられていたのに、雲が出てきたのか徐々に日陰に侵食されている。

「なんなん、それ…。っで、梢と花火大会は行くん?」

 僕は止めていた狩りの手を再開し、女王の足をひたすら攻撃して無心を装う。

 

「……気になる?」

「いや、別に?」

 健一の放った弓矢が女王にトドメの一撃を加えて、初めて女王を倒すことができたのに、その喜びが素直に頭に入ってこなかった。

 

「うっしゃあ!!倒したー!!」

 隣で喜びの声を上げる健一が、ゆっくりとこちらを向いて、ニヤリと笑う。

「……ふぅん。なら、教えん」

 少し間を開けて放たれたその言葉は、僕の目の前でナイフをチラつかせている。

 

「何で?」

「…気にならんのやろ?」

 距離を詰められて得物を喉元に突き立てられた僕は、たじろいで反射的にPSPを鞄に入れて席を立った。

 

「…………。俺、塾行くわ」

「ごめん、ごめん。安心してください!!断れました、はい」

 店を出ようとする僕に健一が声をかける。

 健一から発せられた言葉が、僕の胸の中に生まれたモヤモヤを洗い流していく。

 

 僕は、一呼吸して後ろにいる健一の目を見て、笑ってみせた。

「雨降りそうやけど、スイカ…店に入れんでええの?」

「マジ⁉︎」

 店先にたくさん置かれたボウリングの玉ほどのスイカを健一と急いで店内へ入れた。

「ありがとな」

「おう。そいじゃあ…雨降られたら面倒だから、とりあえず…もう、行くわ」

 パイプ椅子を畳んで僕は店を出た。

「おう。塾頑張れよ」

 手を上げて挨拶する健一は、誰かにメールを打っているのか、何やら熱心に携帯電話で文字を打ち込んでいた。

 僕は、生温い湿気を切るように駆け足で駅へと向かった。

 

 

 

 

 

 

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