キミのココロは何色ですか?
有汐 けい
第1話 Someday I'll Be Saturday Night
ーこの世界には2種類の人間がいる。
「生きている人」と「死んでいる人」そう、「生人」と「故人」。
そして、少し前まで僕は確実に「死んでいる人」側になっていただろう。
では、「自分の中に、死んだはずの女の子がいる」という状況は、一体どちらに当てはまるのだろうか。
彼女が現れたのは、手術が終わり、僕が再び学校へ通い始めた最初の夏休みのことだった。
終業式が終わり、月も変わってより一層、寝苦しい日が続いていた。
今日も早朝から愛を叫ぶセミ達の声が耳に張り付く。
朝焼けで鰹節のように燻された身体が水分を欲して、僕はゆっくりと身体を起こす。
重い瞼を擦り、携帯電話を開くと<新着メール1件>の文字が目に入った。
メールを開くと健一から<今日、店番で暇だから、遊ばない?>という遊びの誘いだった。
僕は、<昼過ぎくらいまでやったらええよ>と返信して、大きく欠伸をした。
埃と熱気が満ちた部屋の空気が喉にへばりつく感覚がする。
僕は少し気持ち悪くなって、すぐに階段を降りて洗面台の蛇口を捻る。
流れ出る水は、早起きな太陽が実直に働いたおかげで生温かった。
しばらくして、心地よい冷たさになった水をコップに入れて、うがいをした後に顔を洗った。
壁に掛けてあるタオルに顔を埋めると、ほのかに香るラベンダーが鼻をくすぐった。
僕は顔に付いた水気を取ると、魚の香ばしい匂いに誘われてリビングへ向かった。
リビングの扉を開けると、冷蔵庫の扉を開けたような冷風が頬を撫でた。
「あら、今日は珍しく早いわね」
エプロンをつけた母さんが菜箸を持ちながら声をかけてきた。
「なんか、寝苦しくてさ…」
「最近はタイマー切れたら暑いわよね。もう少しで、朝ご飯できるから」
「うん…」
リビングのソファに腰を下ろしてテレビの電源を入れてみるが、ニュースばかりで面白くなかったので、母さんの手伝いをすることにした。
食器棚から深緑と乳白色の混ざった茶碗を取り出して、炊飯器のお米をよそった。
「あら、ありがとう。あとは、お母さんがするから席着いてていいわよ」
僕は、食器棚の引き出しから自分と母さんの箸を持ち、コップに牛乳を注いで席に着いた。
席に着くとすぐに、グリルの中で艶やかに化粧された
「はい。先に食べてて」
「いただきます」
僕は、目の前に置かれた
キツネ色の表面が破れて見える白い身から出る湯気は、嗅覚を刺激して食欲を更に昂らせた。
僕は無意識にその身を次々と口へ運ぶ。
荒ぶる海に揉まれたその身は、弾力があり、程よい油が朝の乾いた喉を潤してくれた。
母さんが味噌汁を持って向かいの席に着いた。
「どう?焼き過ぎてない?」
「大丈夫。美味しいよ」
「なら、良かったわ。哲也、分かってると思うけど、今日は15時から塾の体験授業だから、忘れずにちゃんと行きなさいね!」
母さんが念を押すように、鋭い目つきで僕を見る。
「分かってるって…ご飯食べたら、塾に行くまで健一のトコに行くから」
僕はその鋭さから逃れるために、牛乳を飲んで母さんから目線を外した。
「別にいいけど…遅刻しないでよ!」
母さんは、自分で焼いた
「大丈夫、ちゃんと行くから…」
僕は赤黒い味噌汁を啜って、朝ご飯を平らげると食器を台所へ持って行った。
ミイラのように細くなった
再び廊下に出ると暖かく重い空気が肌にのしかかって来た。
僕は、
汗で湿ったパジャマを脱いで、洗濯されたばかりの藍色のポロシャツとチノパンに迅速に着替えて、携帯電話を持って極楽浄土とも言えるリビングへ再び入った。
「ふぅ…涼しい〜。……じゃあ、行ってくるから」
すでに朝食を終えて、台所でグリルを懸命に洗う母さんに声をかけた。
「はい、行ってらっしゃい。気をつけてね。帰る時はメールちょうだい」
「はぁい」
玄関で白と黒のコンバースのスニーカーを履きながら、母さんの声に答える。
重い腰を上げて、取手を強く握る。
取手が外の暑さを伝えてくれているかのように温かい。
僕はゆっくり息を吐いて恐る恐る玄関の扉を開いた。
外の空気に触れると、すぐに額から汗が滲み出し、容赦なく襲いくる熱波に気圧されそうになったが、一歩ずつ歩みを進める。
家の門構えから名残惜しい気持ちで玄関の方へ振り返る。
僕はゆっくりと鼻から空気を取り込み、自分の中に生まれた怠惰を外へ吐き出す。
踵を返して目の前に広がる生き生きとした青草を見る。
僕は足枷が付いたような重い足取りで、踏み倒された畦道を通って駅へ向かった。
駅に着いて時刻表を見ると、あと20分で電車が来るようだ。
この町での20分という待ち時間は大した時間ではない。
駅に向かう途中に、時刻表を見るのを忘れたことに気づいたが、杞憂だったようだ。
駅舎の中に入ると、四隅にはクモの巣が何重にも張り合わさり、券売機には見たことがない蛾が羽を休めていた。
地面にあった木の棒で蛾を突くと、黒い斑点を付けた羽をバタつかせて、面倒くさそうに壁に移動して、券売機を譲ってくれた。
切符を購入して、誰もいない待合室のベンチに座る。
滴り落ちてくる汗をポロシャツの袖で拭いながら、鞄から退院祝いに買ってもらったipodを取り出す。
聞いているだけで暑苦しいセミの鳴き声を遮るように、イヤホンを耳に装着する。
そして、先日入れたばかりの曲を再生した。
心の鼓動に呼応して、スネアドラムが三拍子を奏でる。
直後、涼やかな声が鼓膜を震わせる。
誰もいない駅で僕だけのライブが始まった。
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