性欲がないかもしれない僕に初恋が訪れました

篠騎シオン

初恋のはなし

「あたし、2月29日生まれだからさ、4年に1度しか誕生日が来ないわけ。だから、みんなと違ってまだ3歳とちょっとなんだよねー」


「なにそれ、マジウケるw」


「そーなの、うらやましいっしょ」


「でもそれだと酒飲めるのも数十年後じゃね?」


「結婚できるようになるのも遠いねー」


「えー、2月29日生まれ最悪じゃん!」


ガハハと下品に笑いながら会話を続けるクラスの女子が、僕は苦手だった。

中学に入って、友達は一気に色めき始めた。

男友達は隠れてエロ本を持ってくるし、彼女を作る。でも僕には、露出の多い彼女たちや同級生の何に魅力を感じるのか全くわからない。


けれど、僕も股間がうずくような感覚には覚えがないわけではなくて、生理現象としてソレは起こる。そして、僕はソレの処理に困る。

どんな事を想像しても、刺激を与えてみても、どうにもそれはおさまってくれない。

かといって放置していたら、苦しい。

こんな思春期の悩みを誰に言えようか。

素直に性欲を感じ、発散できる友達が羨ましかった。


14歳の春。

そんな悩みを抱える僕は。

恋を、まだ知らない。


◇◇◇


その日、僕はとても眠かった。


昨夜、どうにも股間が落ち着かなくて結局寝付けず、気が付いたら朝を迎えていたのだ。


ふっと、目を覚ますと教室内が喧噪に包まれていた。

どうやら僕が居眠りをしている間にチャイムが鳴ったらしい。

今日は僕が消す当番だから、次の授業が始まるまでにさっさとうつして消さなくてはならない。


僕は必死になって集中してシャーペンを動かし、ノートをとり終わり黒板を消しに向かう。

けれど、あまりに集中していたせいで、僕は気づかなかったのだ。

眠いせいで反応していた自分の体に。


くすくす、くすくす


背後から女子の笑い声が聞こえる。


何だ、と思って振り返ったのがよくなかった。


かしゃり


持ち込み禁止のはずの携帯のシャッター音が聞こえる。


「お前さー、なーに学校で勃起させてんの?」


その言葉で僕は自分の下半身をみる。

そして、自分の状態に気付き、慌てて携帯の方を向く。


かしゃり


再び放たれるシャッター音。


その瞬間、僕はパニックになって教室を飛び出していた。


性欲がない僕だって。

それが恥ずかしい状態だって知ってる。


あの女子たちのことだ、すぐにクラス中に触れ回るだろう。


いやだ。


僕は上履きも履き替えず、とにかく怖くて人が嫌で嫌で仕方がなくて、学校から離れるべく、走った。


走って、走って。


気付いた時には。


山の中の、大きな鳥居の前にいた。


走り続けたせいで整わない息。

心臓がバクバクしていて、口から飛び出しそうだった。


「どうしたの?」


その声に僕は固まる。

人から逃げてきたのにこんなところにも、人がいるなんて。


振り返ると巫女服に身を包んだ長い黒髪の女性が不思議そうな顔でこちらを見ていた。


「大丈夫?」


人の近くにいるのに、なんだか安心する。

女の人を見てこんな気持ちになるのははじめてだった。僕はどうしていいかわからず、口をパクパクとさせる。


「おいで」


そんな僕の様子を見て、彼女は僕を神社の中へいざなう。

神社の中には小さな家のようなものがあって、僕はそこの一枚の座布団の上に座ることになった。


「はい、どうぞ」


彼女がお茶を淹れて、僕に渡してくれる。

僕はふーっと息を吹きかけてそれを、一口、口に含む。


「美味しい」


「でしょう?」


彼女が笑う。

僕は彼女の笑顔とその雰囲気につられて、ふっと話してしまう。先ほどあったこと、自分でそういうのをうまくコントロールできないこと。

話してからなんてことを女の人に言ってしまったんだと怖くなったけど、彼女は真剣な表情で聞いてくれていた。

そんな彼女は少しだけ間をおいて考えて、僕の話に応えてくれた。


「その女の子たちはデリカシーがない。だからそんな子たちに負けず、あなたは堂々としていればいいと思う。だって性のことは人間誰しも悩むことだもの。若い時ならなおさらよ。自分と向き合って、嘘をつかないでいればきっと大丈夫」


その言葉に僕は体の力が抜けた気がした。

当たり前のことなんだ、僕だけじゃないんだって。

でも、同時に妙な気持ちになった。

若い時って言い方。彼女はどうみても十分に若いのにどうしてそんな年寄りみたいな言い方するんだろうって。


疑問を、ぶつける。


「お姉さんも若い、よね」


その言葉に彼女ははっとして少し悲しそうな顔をした。


「若くないわよ」


「若いよ、まだ20歳くらいでしょう?」


彼女はまた真剣な顔になって僕の顔をじっと見ながら言った。


「私の秘密、聞きたい?」


僕は唾をごくりと飲み込む。

表情に気おされる。

でもどうしてもここで引く気にはなれなかった。彼女の秘密を知りたかった。


小さくうなずく。


すると彼女は僕の耳に顔を近づけてきてつぶやいたのだった。


「私ね、4年に1度しか年を取らないの。だからもう中身は80歳のおばあちゃんなのよ」


さっきクラスの女子が話していた誕生日の話を思い出す。

頭にかーっと血が上った。

からかわれている。

先ほどまでの平穏な気持ちはどこかに吹っ飛んで行ってしまった。

僕は彼女に背を向け、靴のおいてあるところに向かう。


「ごちそうさまでした」


僕は沸き立つ感情を抑えて、彼女にお茶のお礼を言う。

そんな僕を見ている彼女の顔が悲しそうに見えたのは、きっと僕の見間違いだ。




家に帰る。

勝手に学校を早退したことは両親に少しだけ怒られた。

けれど、先生から事情を聴いたらしく、こっぴどくは叱られなかった。クラスの女子はあの後他の男子の告げ口によって先生に見つかり、携帯も没収されたらしい。画像も無事消されたようだった。

僕はそれを聞いてほっと胸をなでおろした。


ベッドにもぐりこみ、寝返りを打ちながら思う。

写真もないし、そこまでひどいことされないだろう。

それに、あの人だって堂々としていればいいって、言っていたじゃないか……

頭の中にあの人の顔が浮かんだ。

あれ、どうして僕、怒って別れてきた相手の顔を思い出すんだろう。

悶々とした気持ち。

そして、僕の体に心に、初めての反応が起こった。


「え」


見る見るうちに反応していく自分の下半身に、僕は驚いた。そして、自分の中沸き起こるソレに刺激を与えたいという気持ちに戸惑う。

確か友達がこういう風にやってるって言ってたような。男子の中で交わされていた猥談を思い出して実行する。


「あっ」


そうしていたらはじめての僕はあっという間に上り詰めて、精を下着の中に放ってしまう。

しびれるような快感に僕は酔った。

ああ、なるほど、みんなが言っていたのはこういうことだったんだ。

僕ははじめて理解する。

その日、下着を隠れながら自分で洗う羽目になったのは言うまでもない。


◇◇◇


あれから8年が経った、今ならわかる。

彼女は俺にとっての初恋だった。

他の人から見たら明らかなのかもしれないが、そのことを受け入れられるようになるまで俺は数年の時間を要した。

その間、俺は何度も何度も夜に、想像の彼女にお世話になった。

その後ろ暗さから、俺はあの後一度もあの神社に行くことが出来なかった。


いまだに、俺の体は彼女以外には反応しない。


この春、大学を卒業した。外の広い環境を知って、それでも地元に帰ってきた俺にはもう迷う気持ちはなかった。


彼女に会いに行こう。

あの時、俺を追い払うためにあんな風に言ったのだとしても、きちんと合ってもう一度話さなければ、”僕”の初恋は終わらない。


あの場所を目指す。

山奥の神社。

人目を避けてひっそりと建つそこに、俺は再び足を踏み入れた。


「どうしましたか?」


口調は違うけど、あの時と同じ言葉。

俺は振り返る。

そして、目に映ったその人に、俺の体の中を熱いものが駆け抜ける。


駄目だ、初恋が終わらない。


8年も経ったというのに、あのころと全くと言っていいほど変わらない彼女。

8年、他の誰にも反応しなかった自分。

そして、大学を卒業してこの地元で就職することになった現状。


こんなはずではなかった。

けれど、今、彼女に言いたい言葉は一つしかなかった。


「8年前、ここであなたに会いました。そして自分は4年に1度しか年を取らないと、からかわれました」


彼女のはっとした顔。

そして、少し悲しげな顔。

あの時のことを、俺は思い出す。

けれど今度は逃げない。

言葉を続ける。


「でも、俺はあなたを忘れられなかった。この8年、俺はあなたのことをずっと思い続けてきました。だから……」


彼女に近づいて跪く。

我ながら、臭いポーズだと思う。

でも、誠心誠意を伝えるにはこれしかない気がしたんだ。


「結婚してください」


想いが募りすぎて、付き合う、という言葉は出てこない。彼女が結婚していない保証もない。けれど、俺の口から彼女に向けて出せる言葉はそれしかなかった。


彼女が好きだ。

フラれるなら、どれだけの気持ちで、熱量で、思ってたのかを伝えなくちゃ後悔してもしきれない。


俺の言葉に目を伏せる彼女。


「嬉しいわ」


彼女のその言葉に俺は天にも昇る気持ちになる。

俺の初恋は受け入れられた。

俺は、俺は……!


「でも……」


喜んでいる俺に、彼女が言葉を続ける。

否定の言葉、俺は身構える。


「私が4年に1歳しか年を取らないのは本当のことなのよ」


「えっ」


彼女の顔をまじまじと見る。

俺は、その彼女の真剣な顔にごくりと唾をのんだ。


◇◇◇


「ありがとう、そしておやすみなさい」


私は、最愛の人の手を握りながら声をかける。

握っていた手から力が抜け、心拍数をモニタリングしていた装置がピーっと無機質な音で死亡を告げる。


寂しいと言ったら嘘になる。

けれど


「お母さん、大丈夫だよ。私たちがついてる」


私とほとんど見た目が変わらなくなった娘が私の肩を抱いて励ましてくれる。

周りにはもうすぐ成人になろうかという孫もいる。


人と違うスピードで年を取る私は、これからもたくさんの別れを経験するだろう。

でも、私はもう一人じゃない。

彼と結婚してよかった。

心からそう思う。

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