第29話 確かな境界線



 強さや危険性で言えば、鮫は古竜ではない並のドラゴン程度の強さだった。

 予想外の生態に多少手間取っても、終わってみれば四人はさしたる損失も無く、大渡津神との取引を完遂した。

 念のため人魚達に周囲の索敵をしてもらい、鮫が一匹も居ない事を確かめてから海底城へと帰還した。

 城に入ってすぐに主の大渡津神に呼ばれた。

 眼前の黒い海龍は、目に見えて喜色を浮かべている。きっちり仕事を済ませたのもあるが、同行した人魚達全員が無事だったのもヤト達の評価を押し上げていた。


「よう帰った、ようやった。おんしらのおかげでこの辺りの海も平穏を取り戻すじゃろう」


 本心からの労いの言葉は良いものだ。ついでに、主の口から今日も泊って行けと勧められた。

 このまま帰っても良かったが、散々に海水と鮫の血を被って気持ち悪かったので、言われた通り城にもう一泊して風呂にも入って疲れた体を癒した。

 翌日、再び四人は大渡津神に呼ばれた。四人と城の主の間には、机に山と積まれた財宝がある。


「これは約束の品じゃけん。遠慮せず受け取れい。それと―――」


 海龍は側に控えた早波に、小さな漆塗りの箱を持ってこさせる。

 その箱をヤトに手渡した。


「そっちの箱はオマケでつけておく。不老不死の薬だ」


「へえ、本当ですか?」


 古来から人は不死を求めて来た。不死を追い続けて却って命を縮めた話も多く聞くが、副産物として多くの良薬や治療法を見つけた事もある。

 そのために数多くの悲劇と犠牲を払ったのを忘れてはいけない。時に人より遥かに寿命の長いエルフの血肉を長寿の秘薬として、生きたまま食したという血生臭い話も伝わっている。それどころか人類種の不倶戴天の敵である魔人族すら、『大義のため、人類種の夢』という大義名分を掲げて、捕らえて実験素材として凄惨の限りを尽くした事すらあった。

 狂気のままに人が追い求め続けた結晶が、何とも簡単に己の手の中にあった所で大した感慨も抱く事は無い。

 元よりヤトは永遠の命など興味はなく、むしろ逆に己が最強と納得しさえすれば命を容易く投げ捨てられる。自己保存本能に著しく欠ける気質の男だ。まして、クシナと絆を育み、人の寿命から逸脱した現状では、不老不死など無用の長物でしかない。

 仲間のカイルは生まれついての不老長寿が約束されたエンシェントエルフ。クシナも現世においては神に匹敵する古竜。どちらも最初から不老不死など身近な性質として備わっている。ロスタに至っては絡繰仕掛けのゴーレムだ。

 世界広しと言えども、これほど不老不死の薬を必要とせず、価値を見出さない一行は他に居まい。

 くれた以上は突っ返す事も出来ない、何とも扱いに困る物を寄こしたものだ。


「嘘やぞ」


 おまけに嘘ときたものだ。断言しよう。この海龍は龍として生まれておらず、人として生を受けていたら、只のロクデナシのオヤジとして周囲から白い目で見られているに違いない。


「不老不死は嘘じゃが万能の治療薬らしいの。昔に海で溺れとった学者が助けた礼に作って置いて行ったものじゃい」


 大陸を東から西まで旅をしたヤトには、正直胡散臭い話ではある。似たような話はどの土地でも聞く事はあったが、実物を使ったとか本当に治ったという話を聞いても信憑性に欠けていた。相手を騙すための誇張か、良くて適切な薬を処方した医者の技量だろうと思っている。

 そして薬が「らしい」と大渡津神が口にするのは、実際に飲んだら二日酔いには効いたからだそうだ。龍が二日酔いになるのかと突っ込みたかったが、クシナもロスタの糞不味い料理を食べて気を失ったのだから、龍とて無敵ではないのだろうと無理矢理納得した。

 万能薬の触れ込みは吹かしにしても、風邪薬程度にはなりそうなので、薬はありがたく頂戴する。

 宝物に手を付けた対価は払い終えて、土産も貰った。もうここに居る理由も無いので帰るよう伝えると、大渡津神は少し残念そうにしながら、『満潮』に帰りの足を用意するように命じた。

 四人とお宝を入れた大箱を乗せたウラシマは人魚の『漣』に先導されて海底城を出た。

 そのまま何事もなく沖から陸へと向かう。

 途中、やけに船の往来が多いのが気になり、目立たないように一旦海中に姿を隠しながら移動して、船に乗った港町にまで戻って来た。

 海中から見た港は船がまばらに停泊していて、あまり活気に満ちている様子はない。

 これならさして邪魔にならないと判断したヤトは、『漣』にウラシマを港に接舷してもらうよう頼んだ。

 湾口内に突如姿を見せた巨大な海亀に、船乗り達は腰を抜かして叫び声を上げた。巨大な鯨やイカは見慣れていても、船ほどもある海亀は見た事が無いから驚くのは仕方がない。

 膜を解いた甲羅から、四人は周囲の視線など物ともせず陸に移る。

 そしてヤトが海面から頭だけ出している漣に別れの声をかける。


「送って頂いて感謝します。海龍殿によろしく伝えてください」


「貴方達なら近くに来てくだされば、喜んでお迎えします。その時は主より賜った鱗を海に沈めてください」


 それだけ言って、漣はウラシマと共に主の元へと帰って行った。

 後は適当に街で腹ごしらえでもした後に、この地を離れる予定を話していたら、四人に片膝を着いて恐る恐る話しかける太刀を佩いた男がいた。


「大和彦皇子にございますか。某は塩原の郎党にございます。よくぞご無事でおられました」


 ヤトはなぜ身の心配をされたのか一瞬分からなかったが、船に乗ってから嵐が起きた事と、積み込んだ食料の日数を超えているのに思い至り、自分達が行方不明扱いになっているとすぐに気付いた。

 道理で海を行き交う船が多かったわけだ。このまま翁海を離れていたら、国司の塩原一族は皇族を事故死させた一族として相当立場が悪くなる。だから是が非でも行方を追っていた。この郎党も捜索に駆り出されたうちの一人か。


「あー、うむ。面を上げよ。――精勤、大義である。私はこの通り無事だが、用立てた船の者達はどうなったか」


「ははっ!町の漁師や船乗りが何人かの水死体を確認しております。我々は生き残った者を誰一人として見つけておりません。その……あっいえ何でもありません!!」


 男が喉まで出しかけた言葉をどうにか引っ込めた。塩原は船が沈んで全滅した、最悪の事態を考えていた。海に生きる者ほど海の怖さを知っているから、ヤト達が生還する見込みは無いと考え、せめて死体の一部か所持品でも回収して、皇に土下座して詫びる腹積もりだった。

 それが全員五体満足で帰って来たのだから、天運が尽きないうちに、すぐにでも屋敷に無事に送り届けなければならない。

 男は配下の小者を伝令に走らせた後、別の者には今すぐ牛車か輿を調達するように命令する。この際いくら金がかかっても構わなかった。


「皇子よ、お疲れでしょうが、今しばしご辛抱頂きたい。ご必要とあらば、汚いですが某の身を敷物としてお使いください」


 ヤトは五体投地しかねないばかりの郎党の申し出を丁重に断り、しばらく待ってから使い走りが急いで調達してきた飾り気の少ない輿に乗る。

 四人は輿に揺られて、再び塩原の屋敷に迎えられた。

 そのままヤト達は広間に案内されて、当主の浜麻呂と対面した。

 浜麻呂は第一声で無事だった事を喜び、海神に捧げ物をして神への感謝を示すと言った。

 そして、これまでの経緯をヤトに尋ねた。

 ここで誤魔化しても意味が無いので、カイルが像に手を出した事以外の、大渡津神と関わり鮫退治をして土産を貰って港町まで送ってもらった事を包み隠さず話した。

 さらに証拠として貰った財宝を見せた事で、浜麻呂は話を信じた。


「大和彦皇子は海神と縁を結んだとおっしゃるのですか」


「縁と言えばそうなのでしょう。ああ、断っておきますが私達はあくまで客人として遇されただけです。海龍と塩原の一族が結んだ盟約を蔑ろにする気はありません。あちらもこれまで通り、海の平穏を守っていくつもりのようです」


 浜麻呂はあからさまに安堵した。古来より大渡津神と取り交わした契約は塩原一族の生命線の一つだ。それを幾ら皇族でも横取りされてはたまらない。

 その皇族が自分達の管轄する海で行方不明という最悪の責任問題を解消してあげたので、そろそろ翁海を離れる旨を伝えると、せめてもう少し留まって欲しいと引き留められた。

 浜麻呂が単なる振りで言ってるのか、まだ何か用があるかは分からないが、ヤトも幾つかの用を思いついたので、昼食を頂く事で落し所にした。

 昼食までは少し時間があったので、筆と紙を用意してもらい、二種の手紙を書いた。

 一通目は皇の父親へ充てた手紙。内容は塩原の一族には世話になった事と再び葦原を出る事を記してある。

 二通目は手紙というより、塩原家当主浜麻呂への歓待に対する感謝と、海で行方不明になっても何事もなく戻ってきた事を証明する直筆の証を書いておいた。

 既にヤト達が行方不明になった事は港町で周知されている。その事実を変に利用して政争の具にされるのはヤトも望んでいない。二通の手紙はそれを牽制する道具だ。

 浜麻呂は手紙を受け取り、平伏して自分達への気遣いに感謝の意を示した。

 一連の仕事が終わる頃には昼餉の用意が出来た。予定外で急ごしらえにもかかわらず、気配りの行き届いた海鮮の膳は文句のつけようもない馳走だった。

 昼食の後、出立の準備を整える。昼餉のついでに作ってもらった、一日分の保存の利く食料を受け取った。

 代わりにこれまでの歓待の礼として、ヤトは浜麻呂に大渡津神の鱗を一枚渡した。

 巨大な黒い鱗を見た浜麻呂は、目を見開いてそれが何なのかを言われずとも理解した。


「とんでもございません!このような大それた代物は受け取れませぬ!」


「真に価値を分かってる者が持べきですよ。それに私の分を渡してもまだ三枚あります」


 それでもなお及び腰の浜麻呂に、鱗をしっかりと握らせる。ここまで皇族がしたらもう断われない。観念してヤトに深々と頭を下げて、思いつく限りの美麗の感謝を述べた。

 そして出立時。屋敷の正門前には当主夫妻と息子の燕丸を筆頭に、一族総出で見送りに顔を揃えた。


「本当に牛車も輿も無しでよろしいのですか?」


「ええ。もっと速く移動できますから」


 周囲はそんな事は無いだろうと心の中で思っても、口に出す者は一人も居ない。実際は乗り物を拒否したのはヤトではなくクシナだが、似たようなものだ。いつもならある程度人目を避けて竜に戻るが、今回はちょっと感傷的になってるので、嫁を好きにさせていた。

 ヤトはあらかじめ外套を広げて、服を脱ぐクシナを隠しておく。

 塩原の者は見えないが何をしているのか分かっても、なぜそんな事をするのか分からず困惑する。まあそれも目の前に巨大な白銀竜が現れるまでの短い時間だった。

 彫り物や織物そのままの西の竜の姿を見た面々は腰を抜かし、護衛が震える手で剣に触れる。


「騒ぐな。この竜は私の妻だ」


 混乱する連中を一言で静かにさせる。大荷物を背負ったロスタとカイルが当たり前のようにクシナの背中に乗る。

 ヤトは多少震えながらも、妻子の前に出て盾となろうとした浜麻呂に別れと感謝を述べた。 

 さらに何故かクシナも顔をヤトの隣に寄せて、玉依をじっと見る。

 恐ろしい外見の竜に正面から凝視された彼女は息子を抱き隠すだけで手一杯。しかしクシナは何もせず、ただ一言。


「隣の番を大事にしろ」


 それだけ言って、隣に立つヤトに頬を摺り寄せた。一連の言動がどういう意図か気付いた玉依は、何も言わずに二人に頭を下げた。

 最後にヤトが背に乗り、羽ばたけば白銀の巨体が空へと舞い上がり、どんどん小さくなって最後は見えなくなった。

 夢心地の召使たちを郎党が屋敷に戻し、主夫妻はただ空を見上げていた。


「………あの方々は我々とは住む世界が違う」


「はい。でも私の方が貴方やこの子と一緒に居られるから幸せです」


 それはかつて嘘偽りの無い玉依の心の声だった。



 空の人となった一行は今度は西を目指した。西から東に、また西と、忙しい事だがお目当てのモノが見つからないのだから仕方がない。

 時間に追われているわけではないので、ゆったりとした旅をしてもいいが、出来るだけ早く葦原を離れる選択をした。

 ヤトは上空から生まれ故郷をぼんやりと眺めている。鬼想の剣士が国を離れるのを寂しいと思う事は無いだろうが、その心境は仲間といえど窺い知る事は難しい。

 皇子の立場を使えば衣食住に困らない代償に、しがらみが増えるのを厭ったため、西の『桃』国で仙術を探す事にした。元々ヤトの使っている気功術は西国の仙術が葦原へ伝わり、気功術と名を変えた経歴がある。なら、より深い業が『桃国』に残ってる可能性はある。

 それにカイルは故郷の村を出るために、自分を捜索している父と兄を探しに行く口実を作ったのだから、そちらにも付き合うぐらいの仲間意識はヤトも持っている。


「あーあ、海の幸と沈んだ財宝をもっと楽しみたかったなー」


 カイルの方がまだ葦原に未練があるから苦笑してしまう。家族を探す目的で育った国のアポロンから旅に出たというのに、もはや初心はどこぞに投げ捨てたらしい。それも本人の選択だから、敢えて何も言いはしない。

 実のところカイルも口で未練がましく言ってるだけで、飯は美味いが言うほど葦原に残りたいとは思ってない。内心はすでに次なる国―――実際は『桃』は葦原へ行くために通過している―――への関心に移っていた。


「『桃』かぁ。通り道にちょっと寄っただけだから、今度はじっくり楽しめるかな」


「―――地道な探索が主になりますから、ゆっくり出来ますよ」


 もっと言えば運よく仙術を修めた仙人や道士から教えを乞う事が出来れば、年単位どころか数十年をかける必要がある。カイルがヤトに付き合ってる間はそれだけの期間を森に帰らず外で過ごせる口実に使える。

 ヤトは遊ぶためのダシにされているのは知っていてもあまり気にしない。代わりに情報収集や経理を任せられる。互いに利があるからこそ一緒にいられる。

 クシナのように夫婦の関係でもなく、カイルとロスタのような主従関係でもない。兄弟分でも実は上下関係の無い、一定の線引きをしつつも対等な関係を保っていられる秘訣と言えた。



 第6章 了


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東人剣遊奇譚 卯月 @fivestarest

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