第28話 怪獣決戦



 ヤトは慣れない海戦の僅かな隙を突かれて、鮫達に水中へと引きずり込まれても冷静さを保っていた。師の下で修めた業は剣だけにあらず。こうした命の危機に遭っても心を乱すことなく冷静に対応する心構えこそ『臣陰流』の基本骨子である。

 まずは顔や腹を喰い千切ろうと、殺到する巨大な鮫達を翠剣でまとめて切り伏せつつ、後続への障害物にする。

 次に両足に噛み付いて深海へと引きずり込もうとする双頭の鮫は、両足に纏った気功を解除する事で、名工が生涯を賭して鍛え上げた剣を超える刃と化した足が、自慢の牙を悉く無用のガラクタに変え、両の頭を斬り飛ばした。

 既にこの身は髪の毛一本に至るまで至高の刃と化していた。どこに触れても相手の方が傷を負う不条理そのものである。

 それでも双頭鮫は幾らかの役割を果たせたに違いない。今現在ヤトは水深数十メートルまで引っ張られた。ここから再び海上へ戻るには時間がかかる。

 出来るだけ早く呼吸をしなければ、溺死などと締まらない最期を迎える羽目になる。

 既に多少息苦しく、肺が酸素を欲しがり脳をせっついている。冷静に、しかし急いで纏わりつく水をかき分けて、上を目指した。

 当然水に落ちた獲物を獰猛な悪食が放っておかない。数十を超える鮫が一気に襲い掛かった。

 その時、ヤトの背後から四人の人魚が、血混じりの海に似合わない洗練された踊りのような優美な泳ぎで、鮫との間に割って入る。

 人魚達は揃って両手をかざせば、多くの鮫達が苦しみ悶えて散り散りになった。よく見ると、鮫の身体に無数の釘ぐらいの針が刺さっている。


(毒針かな)


 魚の中には毒針を持つ種類が幾つかある。あの人魚達もそうした毒針を持っていてもおかしくはない。

 ともあれ助力あるうちに形勢を整え直したい。魚に比べて緩慢でも確実に上を目指して、ほんの一分前には当たり前のように吸っていた空気を肺一杯に取り込み安堵した。

 ところがまだ危機は去っていない。ヤトの頭上には三つ首のケルベロスならぬ三匹の鮫がノコギリのような牙を見せて大口を開けて迫っていた。

 それでも冷静に剣で三匹まとめて上下二つにして、事なきを得た――――――と思った矢先。死骸に隠れて、太陽を背負ったもう一匹の牙がヤトに届きかけた。

 おまけに剣を握っていない左手に、小さなコバンザメが体当たりして迎撃を妨害する。

 タイミングに躱せない。噛まれても死にはしないが痛みを覚悟した。

 その覚悟は横からナニかが通り過ぎて、鮫の頭を砕いた事で無用のものとなった。

 ヤトが通り過ぎた射線元を向くと、人魚の姿に戻った早波がいる。さらに彼女は膨らんだ口から液体を超高速で吐き出して、別の鮫を次々撃ち抜いた。

 魚の中には口に含んだ水を放って、餌の虫などを捕まえる種がいると聞いたことがある。確か『ソゲキウオ』とかいう名の魚だったと記憶している。彼女がやっているのはまさにその魚を思わせる狙撃だった。

 先程の毒針といい、人魚というのは随分と芸達者だ。おかげで数の多い鮫を狩ってくれるのだから文句は無い。

 ただ、その鮫もこれだけ優位に戦いを進めても、まだ全体の一割以下しか狩っていない。地の利を欠いた状況では長期戦を覚悟せねばなるまい。

 ヤトは海亀の甲羅に這い上がって、噛まれた両足の具合を確かめる。肉が削がれて幾らか出血が見られた。この程度なら戦いに支障は無いが、竜の血でかなり頑丈になっている体を只の魚が齧るとは、鮫も侮りがたい。

 ともあれ戦いを始めた以上は泣き言を言ってる暇があったら一匹でも多く狩るしかなかった。



 ヤト達と人魚が鮫狩りを始めてから、既に三時間は経過している。

 全員疲労はあれど、壮健でまだまだ戦える。ヤト達は何度か海に落とされて、不慣れな海中戦をする羽目になったが、ロスタがカイルを庇って噛まれた以外に目立った傷は無い。

 その間に結構な数を仕留めたが、それでも全体像はいまいち把握しきれていない。体感的には半分は狩れたと思っているが、どうも数が減っている雰囲気が無いので確信が持てなかった。

 そもそも鮫達は食欲の本能を抑えられた、ある種の傀儡化した異質な生物になっている。これは支配する特殊個体か、統率する何か別の知性体がいるように思われる。となると、このまま雑兵を殺し続けるより、頭を見つけ出して殺す方が効率が良い。

 問題はどこに命令者が居るかが分からない。正確には、ヤトは何となく視線を感じている方向は分かるが、頻繁に移動しているから特定が難しい。

 クシナに手当たり次第に吐息を吐いてもらい、殺し尽くす事も考えたが、それは一度目を放った後に人魚達から待ったが掛かった。やり過ぎたらこの辺りの海そのものが荒れて死んでしまう。彼女達の主『大渡津神』が面倒くさがって直接サメを狩らない理由だ。古竜が加減せずに戦えば、それだけで土地や海を壊してしまう。だから主に空から降って来る鮫の迎撃を担当していた。

 そのクシナが先程から空に視線を向けて何かを追っている。ヤトが理由を尋ねる。

 

「あの魚は風に乗って振ってくるが、何匹かはずっと空を飛んだままだぞ」


「ふむ……あやしいですね」


 鮫が空を飛ぶのはこのさい認めよう。しかし鰓呼吸の魚が水の外で平気なままなのは不可解だ。魚にとって水の上こそ溺れ死ぬ死地。ずっと居続けるにはそれなりの理由があるはず。

 思い当たるのは高所からの観測役か指揮者か。どちらにせよ雑兵に優先して排除する対象だ。

 クシナは三匹までは確認している。念のためカイルも空にいる鮫を確認したら、さらに一匹が分かり辛く保護色になっていた。合わせて四匹。


「カイル、矢はまだ残ってますね」


「五本あるから余裕だけど、姐さんの火で撹乱してくれればもっと確実」


 段取りは二人に任せればよい。ヤトは海中で鮫の迎撃、ロスタは狙撃するカイルの護衛を担う。

 最初にクシナが空に向けて火を吐く。海を割るほどの極烈な火炎の圧力に、四匹の鮫は慌てて逃れても、魔法金属すら蒸発させる高温により発生した乱気流で飛行を乱される。

 姿勢を安定させようと四苦八苦する隙を見せた、動きの悪い鮫がまず胴を射抜かれて落ちる。残り三匹。

 次に最も炎に近く、肌を焼かれてフラフラしている二匹目の尾びれを、素早く番えた二本目の矢が貫く。あと二匹。

 この時点で海中の一部の鮫が急に、周囲に漂っていた同種の死骸を争うように喰い始めた。本能に従った行動と思われる。つまり今まで不自然だった統率に乱れが生まれた証拠だ。

 さらに一部の集団はヤト達から離れて、海の特定場所に集結している。まるで王を護ろうと防御を固める様は、攻撃して喰らうしか能の無い鮫にあるまじき行動だった。

 再び空に目を向ければ、残り二匹の鮫の動きが明らかに混乱している。さらに幾つもの竜巻が生まれ、海中から数十の鮫が巻き上げられている。それを意味するところをカイルは的確に察する。


「囮を使って海に逃げるつもりだね。そうはさせない」


 既に二匹の姿を視界に定めて決して逃さない。保護色の方の鮫に矢を放ち、回避した先に一秒遅れで放った第二射で確実に仕留めた。これで残るは一匹となった。

 いよいよ進退窮まったと見える空の鮫を守るように、別の鮫が竜巻から降り注ぎ、海中からは飛び掛かる。

 それらは纏めてクシナの炎に薙ぎ払われて、必死に逃げる最後の鮫までの射線が開いた。

 同じく最後の矢を弓へ番えたカイルは全神経を海中に逃れようと急降下する鮫の予測位置に狙いを定め、限界まで引き絞った弦を離した。

 海上に弦の美しく甲高い音が響き、湿気を含んだ空気を切り裂く鋭い音と共に、正射必中の矢は狙い通り鮫の下半身を貫くどころか、削り取った。

 鮫の無惨な上半身が海へと落ちた。後は同族の鮫が腹の中に処分するか、深い海へと沈み海底の様々な生物の糧となる。

 竜巻も最初から無かったように霧散した。

 あの四匹が群れの指揮を担っていたのは確かだ。あるいは竜巻を起こしていたのも、そうなのだろう。

 事実、海中の鮫の一部は統率から離れ、今は好き勝手に肉を食い散らかしては、元気な個体も餌を巡って喧嘩して互いを食い合っている。

 残りの数百匹は一ヵ所に集まり、詳細は分からないが何かをしている。

 追撃をするか迷ったが、今は周囲の安全を確保するのを優先して、ヤト達は人魚と共に足場の海亀周辺の鮫達を可能な限り駆除した。

 安全を確保した後は、わずかな時間で休息を入れつつ、集結した残敵を注意深く観察する。あれは鮫であって鮫でない。何が起きるか誰にも分からない恐ろしさがある。

 予感は現実のものとなった。

 一ヵ所に集結した鮫達が見る見るうちに融け合い癒着して巨大になっていく。

 既に体は並の鮫の数十倍にまで膨れ上がった。信じられない事に、竜の姿に戻ったクシナや海龍≪大渡津神≫よりも大きい。

 さらに巨大鮫は異形の態を見せ、頭部のある場所には通常の大きさの頭が何十と生え揃い、それぞれが意志を持ってノコギリ歯をガチガチと鳴らした。


「なにあれ?ヒドラじゃん」


「鮫ってなんなんですかね」


 只の魚のはずなのに、人類種には理解不能な生態を見せられて、真面目に考えるのを放棄したくなってしまう。もうアレは幻獣か何かと思った方が精神的に楽だった。

 とはいえ身体が大きいというのは的も大きくなるのと同義。足場としても有用だ。

 速攻をかけようとした瞬間、鮫の方が先に動いてしまう。

 海に潜った巨大鮫は一直線に足場にしている海亀へと突撃。ヤトの気功剣≪颯・長風≫により背中を抉られたが、速度は全く落ちない。

 進路上に人魚達が立ちふさがり、毒針や水流で迎撃したものの、勢いは衰えず寸での所で逃げるのがやっとだった。あと一秒遅れていたら誰かが食い殺されていた。

 邪魔する者が居なくなった巨鮫――――便宜上ヒドラシャークと呼ぶ――――の瞳には魚らしくなく、知性と嗜虐が溢れていた。相手は鈍重な海亀。精々固い甲羅で牙を防ぐだけで、反撃には出られないのを理解していた。

 襲われる海亀のウラシマはというと、ヒドラシャークの姿に臆したのか、首と手足を甲羅の中に引っ込めて守りを選ぶ。

 亀としては当然の対処法だろう。しかしここからが普通の亀とは違う。

 ウラシマは突然加速して、ヒドラシャークの鼻先に体当たりを食らわした。無数の鮫の歯が砕けて飛び散る。

 実は鮫は攻撃力は海の中で上位に位置していても、軟魚と言われる程度には防御力が低い。他の魚に比べて骨格が貧弱なのだ。

 姿が似ている海の殺し屋と呼ばれるシャチなど、遊び感覚で鮫を殺し、おやつに腹の一部を喰い千切って放置するありさま。

 如何に巨大になった所で本質が変わらなければ、柔な身に岩より硬い亀の甲羅を勢いよくぶつけたら、砕けるのは鮫の方なのは分かり切った道理でしかない。

 カウンターを食らってひっくり返ったヒドラシャークをよそに、ウラシマはそのままの勢いで空を飛んだ。

 もう一度言う。海亀が空を飛んでいる。後ろ脚の下部から噴き出す水流を推進力にして、自在に空を飛んでいた。

 もはや海洋生物への固定観念を叩き壊されたヤト達はあるがままを受け入れて、振り落とされないように、しっかり甲羅にしがみ付く事しか出来なかった。

 飛翔したウラシマは水流の推進力を一旦止めた。そして今度は後部だけでなく、全身から水流を噴射してその場でコマのように回転を始めて、こちらを探しているヒドラシャーク目がけて急降下突撃を敢行する。

 鮫も空から自分に突っ込んでくる亀に気付いたが既に遅い。水流の推進力と重力を合わせた速度には対応しきれず、俊敏な鮫が鈍足なはずの亀の突撃で背骨をグシャグシャに砕かれた。

 一方甲羅に乗っていたヤト達はゴーレムのロスタを除いて、高速回転と体当たりの衝撃で一時的に平衡感覚が麻痺してフラフラしていた。

 それでもヤトは剣士として無理を押して、動きを止めた巨鮫の頭の一つに剣を突き立てる。


「『旋風』≪つむじかぜ≫……うっぷ」


 剣を刺したヒドラシャークの前部が膨張して、渦を巻くように捻じれて爆ぜた。酔いから『気』の練りが甘く、威力が普段より弱くともでかいだけの鮫なら十分だ。


「ロスタ、下半身を頼むよ」


「承知しました」


 まだ酔いの残るカイルの護衛をしていたロスタも、主の命令で一対三刃を展開した二又槍を構える。そのまま一足飛びに、青い雷光を放ち回転する穂先をのたうち回る鮫の下半身に突き立て、抉り、稲妻で焼き、大半を潰した。

 それでも先の融合を見ているので再生を警戒して、酔いから復活したクシナに挽肉を念入りに焼いてもらった。

 残りカスの肉片もウラシマに食ってもらい、怪魚の残滓は海水に溶け込んだ血のみだった。


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