第27話 妖鮫乱舞



 龍神『大渡津神』から提示された償いの方法は鮫狩りだった。ここは海なのでサメの一匹ぐらいは居て当然なので、内容そのものは納得する。しかしこの世で最も強い竜が、たかだか鮫程度を恐れて狩りを押し付けるような真似をするのは腑に落ちない。


「その鮫というのは龍にも厄介な存在なのですか?」


「いんや。数が多いから面倒くさいのと、ちょうど仕事をさせる名目のある奴が居たら押し付けるじゃろ?」


 なるほど、仕事を押し付けるにはもっともな理由だ。ヤト達に断る正当な理由も見当たらない。

 断る事は出来そうにないが、カイルはそのまま承諾するのは何となくやりこめられて面白くない。だから少しオマケをつけて欲しいと大渡津神に頼んだ。

 すると彼は予想していたのか、気兼ねなく了承した。そして女達に何かを持って来るように命じた。

 待っているとすぐに二人の女官が両手で抱える大きな台座を持って来た。その上には金銀で彩られた装飾品の数々、百を超える大粒の真珠、大きな赤珊瑚の置物、数振りの刀剣、東西の楽器、などなど輝かしい財宝の数々が載せられていた。

 その宝がカイルの目の前に置かれて、彼の目が釘付けになった。


「沈んだ船から拾った物じゃ。鮫を狩ったら全部やるけえ」


「喜んで鮫を狩ります」


 実に返答が早い。カイルなら財宝で動くと、ここ数日で見切ったのだろう。

 ヤトも今更嫌とは言わないが、相手は鮫。海の中の魚を相手取った事は無いので、今回は勝手が違い面倒なのが分かっているから、イマイチやる気に欠ける。


「そうそう、海の中は大変やからこれを身に付けておけ」


 そう言って大渡津神は自らの尾から、掌より少し小さな鱗を四枚剥がしてヤト達に投げ寄越した。クシナが黒龍を睨みつける。


「眷属になれなんて言わんから安心せい。鱗を身に付けるだけで海の中を自由に動ける。持ってて損はなか」


 海龍の、それも古龍の鱗なら触れるだけで水中で息が出来て動きも阻害されない。これなら万一水中に落ちても安心だろう。

 カイルとロスタが鱗を拾って帯に差し込む。クシナは動かず、ヤトが彼女の分も含めて二枚拾い、それをカイルに押し付けた。


「龍の鱗ですからこれもお宝です。僕は海でも何とかなりますよ」


「ふふん♪」


 旦那が自分を気遣ってくれたのが嬉しかったクシナは、ヤトの背中に顔を押し付けて甘えた声を出す。

 この場でヤトの行為に何か言う者は一人も居ない。鱗を与えた大渡津神でさえ、男の選択にケチをつける事は憚られた。

 ともかく鮫退治を了承した四人は早速仕事に取り掛かるつもりだ。

 大渡津神の命で水先案内人として、最初に出会った早波が付けられる。今の彼女は人魚の足と異なり、人と同じ二本の足で城内を歩き、行きと同様に玄関で待たせてある海亀『ウラシマ』に乗る。

 甲羅の上に再び海水を防ぐ膜が張られ、亀は海中へと沈んだ。

 城から出て、光の差さぬ冷たい深海に出た。ウラシマの後ろには四人の人魚達が続いて泳ぐ。


「彼女達は?」


「主がおんしらに任せても、元々鮫狩りは契約に基づく、この海に住む我々の仕事だ。何もしないわけにはいくまい。それに鮫は数が多いから、人手は多い方が早く終わる」


 手伝うというのなら邪険にする理由は無い。それとカイルが鮫の数はどれだけ居るのか尋ねると、数日前の物見の時点で千匹は居ると答えが返ってくる。確かにそれは人手が多い方がいい。

 亀は一旦海上に上がってから、さらに沖へと泳ぐ。目的地は暖流と寒流が交わって沢山の魚が集まる暗礁地帯。そこを余所から流れてきた鮫の大集団が根城にして魚を食い荒らしているらしい。鮫はただでさえ人食いの危険があるのに、魚まで食い散らかされては困る。

 特に鮫集団の首領はかなり大型の鮫で、小舟なら一口で噛み砕くほどの巨体と獰猛さに加えて、集団を統括する高い知性を併せ持つ。海龍の眷属となった人魚とて油断すれば容易く食い殺されかねない危険性を孕んでいた。

 ただの鮫とはいえ数を考えれば中々の難敵。しかも今回は海中という相手にとって圧倒的に優位な地形での戦いは、いかにヤト達とて苦戦を覚悟せねばならない。

 泳ぎは全員何とかなる。ヤトは剣術に水練も含まれていて、鎧を着たまま泳ぎつつ剣を振れるように鍛錬は積んでいる。

 カイルも川でなら泳いだ経験があり、海の精霊と海龍の加護がある。ロスタは未経験だろうが加護付きとゴーレムなので鮫に齧られようが溺れた所で心配は無い。

 クシナは言わずもがな。慣れない海だろうが古竜が鮫に食われるなど間抜けな事は無いだろうし、最悪竜に戻って巨体で何とかするだろう。

 結局はいつものように行き当たりばったりで、難しく考えずに個々の暴力に任せて戦うだけと分かった。

 四人は鮫軍団の棲み処に着くまで念入りに準備をして、慣れない海の戦いに備えた。



 古来より翁海沖の暗礁地帯は船の難破の名所として、船乗りからは忌み嫌われ、避けられる場所だ。例え豊かな漁場でも、船が沈んで帰ってこられなければ、後は鮫の餌として貪られるしかない。だから一部の向こう見ずな漁師を除いて人は近づこうとはしない。

 そんな場所も今は鮫共の格好の餌場となり、潮流に導かれた多くの魚達を喰い尽くさんばかりに荒れて、近づくにつれて血の臭いが強くなっていた。

 さらに近寄ると、海面から数え切れないほどの背びれが見えた。あまりの数にカイルが『うわッ』と声を漏らす。

 声を聞いたとは思えないが、暗礁地帯の外縁にいる一部が新たな餌がやって来たと気付いて、数十匹が我先にとウラシマに近づいた。

 最初にカイルが弓に矢を三本番えて射る。矢は先頭を泳ぐ鮫全てを射抜き、血を流して海面を荒らす。

 後続の鮫は構わず突き進むため、今度はヤトが気功刃を飛ばして十匹程度を両断した。それでも残る鮫は死んだ同種を気にせず一直線に亀へと向かう。


「厄介ですね」


「うむ」


 ヤトと早波が短く取り交わす。厄介と言ったのは鮫が同族の血肉を無視してこちらに殺到する事だ。

 鮫は悪食で知られている。血の臭いがする肉なら何でも餌にする。例えそれが同種だろうと同じ母から生まれた兄弟でも、血を流して弱っていればそれは全て餌でしかない。かつて砂漠で狩ったスナザメの習性がまさにそれだ。

 しかし今この場の鮫はどれも、たった今量産した新鮮な餌に見向きもしない。明らかに鮫の本能に逆らって動いていた。

 ヤトの言うようにただの鮫退治と思えないぐらい、相当に厄介な仕事を大渡津神から押し付けられたわけだ。

 それでも今更手を引く事は無理なので、粛々と鮫を狩り続けるしかない。


「次は儂だな。………ヤト、儂の手を持っててくれ」


「はい、良いですよ」


 言われるままにヤトはクシナの手を握る。そのまま彼女は海に入り、暫くすると炎が吹き上がり海が割れた。

 古竜の吐息は海すら割ってのけ、炎が直撃した鮫は欠片すら残さず蒸発した。さらに直接触れずとも、余波だけで鮫を宙に舞って見せた。

 空に打ち上げた鮫は二又槍に縄を結んだロスタが器用に投げ貫いて処理している。


「さすが、主と同族。我等とは格が違う」


 早波が畏怖の言葉を漏らす。

 とはいえ鮫軍団は殆ど減っていない様子。ひたすらに持久戦を強いられるとなると、意外と辛いものがある。

 よってヤトは自ら切り込みにかかった。

 足場となる海亀の甲羅から一足飛びに海に身を投げ出し、沈む前に海面を疾走。突き出たヒレを目印に手当たり次第に斬って斬って斬りまくった。

 この場に居る者達全てが信じられないモノを見たように目を瞬きさせる。普通人は海の上を走ったりしない。

 実はヤトの行動に種や仕掛けは何も無い。液体の弾性と表面張力を利用して、タイミングを掴みながら飛び石のように跳ねるような歩行で水面を走っているのだ。これは純粋な体術に基づく技法であり、理論上は誰でも可能である。

 勿論習得は極めて難易度が高く、葦原でこの歩法を修めたのはヤトを含めて歴史上で二十名も居ない。それに幾ら傑出した才のあるヤトでも、非常に疲れるので短時間しか行えない。そのため、斬って浮かんで来た鮫の身を足場にして、沈む前に飛び移るのを繰り返して海に沈むのを避けていた。

 海を自在に飛び交い海戦に勝利をもたらした古の英雄かくやと鮫を蹴散らすヤトだったが、唐突に起きた竜巻によって足を止める。

 海に沈む足に意識を向ける事すら忘れて空を見上げた。


「何で鮫が空を飛んでるんですか」


 ヤトの唖然とした独白は事実だった。突如生まれた竜巻に乗った、数十を超える鮫達が空を泳ぐ光景は、己の目と常識を疑うには十分過ぎた。

 さりとてヤトは稀代の剣士。すぐさま我に返って空から襲い掛かる鮫群を気功剣で斬り捨て、着実に数を減らしていく。

 ただ、空に気を取られて一瞬、足元の注意を怠ってしまった。

 その代償を海中の鮫に噛み付かれて引きずり込まれるという対価で支払う羽目になった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る