第25話 海底城
突如海面に現れた人族の女と魚の混合種は四人を確認して、近くの岩に上がった。女は濡れた長い黒髪を一纏めに束ねて、肩に掛けながらヤト達を眺めて首を傾げる。
カイルは相手が砂漠の神殿の像で見かけた魔人族に外見が似ている事から、女も魔人族と判断した。しかし魔人かどうか分かるロスタに真偽を問うと彼女は否定した。
なら一応地元出身のヤトに何なのか聞くと、自信薄く答えた。
「昔、海に棲む人魚という種族がいると聞いた事があります。どんな生き物なのかはよく知りません」
結局分かったのはそれだけ、実質何も分からないに等しい。なら剣で斬ってみれば分かると思ったが、ヤトにもひとまず意思疎通から始める程度の自制心はある。言葉が分かればの話だが。
幸いと言っていいのか分からないものの、人魚の方から言葉を投げかける。
「おんしら、いつもの捧げ物ではないな。それに像をくすねた盗人にも見えぬ」
カイルは彼女の言葉に、顔に出さずとも驚いた。なぜ懐にある像の事を見なくとも分かるのか。捧げ物という単語も不穏を煽る。
人魚の方も四人が妙な連中と思って、警戒心が先に立つ。金髪の耳長はおそらく遠くの妖精族だろう。後ろに控えた銛を背負った女はよく分からない。それ以上に奇妙なのが隣にいる男女だ。アレはどことなく主や我々に似ている。
どうしたものかと思案する。単に盗人なら食って終わり。いつものように差し出された捧げ物なら連れて帰る。そのどちらでも無いのなら、下手に手を出すより主が決めるだけのこと。
「しかし勝手に像に手を付けたのは不届き千万。これより我等の主の眼前で許しを乞うなら、見逃してやらぬでもないぞ」
「その主とやらはどこにいるんだ?居ない奴をあてにするのは間抜けだぞ」
クシナのともすれば皮肉か嘲りに取られる率直な物言いにも、人魚は怒りを感じた様子はない。
「では言い方を変えよう。おんしらを我が住処へと招きたい。陸では味わえぬ馳走と宝石とて及ばぬ情景を約束しよう」
高圧的な態度はさして変わらないが、先程までと正反対の申し出にヤトは疑いの目を向ける。そしてこのまま捨て置くか切り捨てても、特に後腐れは感じない。
ただ、隣の嫁や弟分はちょっとグラついているから、どうしたものかと悩む。それに海の底で息は出来ないし過ごしにくい。人魚も海産の足で陸住まいは難しのだから、逆もまた然り。満足の行く待遇が望めるかどうか。
「貴女の住処というと、まさか海の底まで僕達を招けると言うんですか」
「案ずるな。我も最初は海に潜る事さえ出来なかったぞ」
人魚は岩から飛び降りて再び海へと潜る。
しばらくするとあの人魚が出てきた時の数倍の水飛沫を上げて、船ほどもある巨大な海亀が姿を現す。甲羅の上には先程の人魚が悠然と腰かけ、ヤト達を手招きした。
「そういえば海亀は食べられるらしいですよ」
「ならこいつも食ったら美味いのか」
「ここでそういう話はやめてよ」
カイルの言う通り、移動用の生き物を食材として扱うのは明らかに不適切だろう。
亀の味はともかく、四人は亀の甲羅に飛び乗った。そこでまだ誰も名を名乗っていない事に気付いて、先にヤト達から名を告げる。
返礼として人魚も自らの名を『早波』と名乗った。
四人と早波を乗せた海亀―――名は『ウラシマ』と教えてくれた―――は島から離れて沖へと泳ぐ。意外と速度は出るが乗り心地は悪い。
ある程度沖まで来たところでウラシマの足が止まる。当然周囲は見渡す限り一面の海だ。
それからウラシマは口から大量の泡を吐き、早波がその泡に触れると、急速に大きくなって亀の甲羅を全て覆い隠す程に巨大化した。
「これで海中で溺れる事は無い。では改めて我が主の元へ参ろうか」
早波の命令で海亀は海に潜る。
甲羅の周囲を覆う泡の幕は海水を通さず視界も良好。自由に泳ぎ回る様々な魚の模様までくっきりと見えた。
海中という未知の世界の光景には、さしものヤトも感動せずにはいられない。カイルやクシナも生まれて初めて見る海中に驚き興奮で我を忘れる。
深く深く潜るにつれて泳ぐ魚も変わり、やがて光の届かない闇に閉ざされた深海へと導かれる。普通の人間から半狂乱になりそうな闇の世界でも、四人は適応出来たため落ち着いている。
さらに下へと潜れば見慣れた魚も居なくなり、形容しがたい奇怪な姿の魚が増え始めた。中には光を放つクラゲや、人より大きなイカが亀の横を通り過ぎるたびに、ヤト達は世界の広さを痛感する。
どれだけ深く海に沈んだから感覚が麻痺し始めた頃。早波がそろそろだ、と指を差す。
指の先を見ればそこは海の底でも、そのような場所には決して無い物が鎮座していた。
巨大な城である。
「うわぁ、何で海の底に城があるのさ」
「我が主の住まう場所だぞ。狭くて貧相では格好が付かぬわ」
先日過ごしていた禁裏の十倍はあろうかという、まるで一つの都市そのものの巨大な石造りの城に全員が圧倒された。
これほどの巨城を必要とする者が今まで誰にも知られずに海に居るのを、この国の代々の皇は知っていたのだろうか。
まあ知っていてもこんな深海の底では手出しをする事も出来ないから、お互い不干渉を保った方が不幸は少なかろう。
ともかく一行は海亀ごと城へと招かれた。しばらくまっすぐ進むと、正面に高い壁が見えた。
行き止まりかと思ったが、亀はそこから真上に浮いて昇って行く。
上を見上げれば不思議と照明が見える。そして登り切った上は地上と変わらぬ空気が満ちていた。光の正体は天井から吊り下げられた水槽に入っていたクラゲやイカが発する光だった。
海亀は石の床に前足を乗せて、早波は泡の萎んだ甲羅の上の四人に降りろと催促する。
「後は別の者が主の所まで案内してくれる」
彼女の言う通り、奥から二人の女がヤト達の前に姿を見せる。こちらは早波のような人魚ではなく、古い時代の葦原の女官服を着た両足のある普通の女性だ。
二人はそれぞれ『漣』『満潮』を名乗った。どちらも非常に整った容姿を持ち、貴族のような気品ある仕草で振舞う。
四人は彼女達の先導で湿気のある廊下を進む。湿気が多いのは海の底なのと、壁の所々に照明用のクラゲの入った透明な鉢が備え付けられているからか。その割にカビは生えていないのは塩気のせいだろう。
長い回廊を歩くだけでは暇だったカイルは積極的に案内役の二人に話しかける。
「二人は早波さんとは違う種族なの?」
「同族ですよ。私達は必要なら貴方達と同じ姿になれます」
「主以外は全員我らと同じ種族しかいない。それにお前達のような者が招かれるのは、私の記憶の中では初めての事だ」
さらに二人は普段食べている食事は魚介や海藻など、時々難破する船から食器や酒などを調達する事もあると教えてくれる。積み荷の財宝は一部は城の装飾に使ったり、倉庫に放り込んだままだそうだ。
そして彼女達の主とは何者かと問うと、二人はただ自らの目で見て威光を感じろとだけ告げる。実際このような深海に住む、明らかに人知を超えた存在なのだから言ってる事が的外れとは思わなかった。
それなりに長い回廊を歩き終えて、巨大な扉の前で二人は立ち止まる。
「ここより先は主の間です。くれぐれも非礼の無いように」
「主は鷹揚だから余程の事でもなければ怒りは買うまい」
いまいち参考にならない忠告の後、漣と満潮は扉を押し開く。
開け放たれた扉の最奥に悠然と佇むソレを見た四人は驚いたまま固まった。
部屋の床から数段高い玉座と思われる場所には、黒い体色の蛇がとぐろを巻いていた。それも離れた場所からでも分かるほどの巨体を誇り、翼を広げたクシナ以上の体躯。
それは井戸で手に入れた龍の像に酷似していた。
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