第22話 過去に縛られない自由人
国司の屋敷に泊まった翌日の朝、離れの居間で三人は朝食を執っている。ロスタはいつものように給仕を担当する。
塩気の強い焼き魚に蛤の汁、ワカメの酢の物と海苔の甘煮など、初めての食材にカイルは興味津々だった。
クシナはいつもと違い顔がムスっとして、不機嫌そうにおにぎりを三つ四つと頬張っている。
「えっ、あの奥さんが兄貴の許嫁だったの?」
「ほほう、予期せぬ再会にヤト様は心を乱されてしまったのですね」
「大体親が決めただけの仲ですよ。僕は大して気に留めません」
カイルは危うく貝汁を吹き出しそうになった。そしてロスタは余計な茶々を入れてクシナに睨まれて、旦那の否定の言葉に少し機嫌が良くなった。
本人の言う通り、一国の王子ともなれば幼い頃から許嫁の一人や二人ぐらい居て当たり前だ。そこに個人の思惑は介在せず、親や一族の利害関係と安全保障のために取り交わされる契約に過ぎない。特にヤトのような明らかに常人と異なるメンタリティを持つ男が普通の女性を自ら求めるとはカイルも思っていない。あの玉依という女性もそんな内の一人だろう。
そこである疑問が浮かぶ。いや、そもそもカイルはこの国に来てから気にはなっていた。なぜ、皇子なのに国を出たのか。なぜそれが許されたのか。そして、ヤトを見る禁裏の者達の目に隔意と忌避感が含まれていたのかを。
過去はむやみに探すより、出来れば本人の口から聞きたいと思った。
「アニキはどうして国を出たのさ。戦うためってのは分かるけど、それだけじゃないんでしょ?」
「食事をしながらする話ではないですから、先に朝食を済ませましょう」
ヤトはそのまま食事を再開した。そう言われてはカイルも言う通りに食べるしかない。
大量の料理を全て腹に納め、使用人の後片付けを待って、話を聞く準備は整った。
「では話を続けます。国を出るきっかけは、僕が兄を殺したからです」
あっさりとした口調とは裏腹に、紡がれる事実はかなり重い。カイルは幾ら剣狂いのヤトでも、肉親までは殺めていないと思っていたから、少しショックを受けている。
反面、当人はさして気にした様子もない。元より王族に類する階級に生まれた者は、生来熾烈な権力争いに晒され、親兄弟と争い命を奪い合うのは日常茶飯事。直接的に手を掛けるのは稀だし、陰謀が民草に知られれば人気は落ちるので表向きは病死や事故死として取り繕いはしても、禁忌というほどのものでもない。
王族というのは餌の乏しい自然界の動物と似ている。自らが一人前になるためには、親から与えられる餌を兄弟から奪ってでも、成長の糧にしなければ生き残れない。時には弱って死んだ兄弟の死骸さえ喰らって腹を満たす事も要求される。
限られた権力と財産を兄弟の数だけ分け続ければ、いずれ細分化された有象無象が大量に増えてしまい、国という集団は立ち行かなくなる。それを防ぐには少数だけで力を独占するしかない。結果、暗殺や陰謀が横行し、王族の家系図は血塗られる。ヤトもそんな内の一人と言ってしまえば納まる程度の、よくある権力者一族の事例とも言える。
それは分かった。後はなぜそうなったのか、物事には理由が付いて回る。
「殺した理由は何なのさ。そのお兄さんが凄く強かったから戦ったの?」
「いいえ、並より少し強い程度でした。もう少し詳しく話しますね」
ロスタに茶を淹れてもらい、一口啜ってから昔語りが始まる。
ヤトの兄は長門彦。現皇の次男としてヤトより七年早くこの世に生まれた。母親は異なる。権力者にはよくある事で、望む望まないに限らず、多くの女性を側室にして子を多く作る。ヤトと長門彦の母も側室だった。
母親が違うというのもあって多くの兄弟仲は良いとは言えなかったが、長門彦は協調性を重んじてよく兄弟の面倒を見ていた。ヤトも幼い頃はよく兄に構われた事がある。剣術の相手をしてもらった事も多い。
彼は成長してからは素養の高さもあって軍人を目指し、いずれは軍を束ねる将軍になると誰もが期待していた。
しかし一つの転機が彼に訪れた。ヤトが十一歳、長門彦が十八歳の時にそれは起きた。
久しぶりに長門彦が弟の剣術の稽古を見ていた時だ。弟の腕前がどれだけ上がったのか見たくなり、木剣で立会い負けてしまった。
最初はまぐれだと思い、弟を褒めた。何日か後にもう一度立ち会うと、あっさり負けてしまった。三度目には十歳を過ぎた子供に手も足も出ずに惨敗した。
何の事は無い。弟には天賦の才が備わっていただけ。それも七歳差を覆す程の覆すのが不可能に近い隔絶した差だった。
才能ほど理不尽で説明のつかない理由は存在しない。多少才能があるだけの年上の凡人は一蹴される。
その日から長門彦の中で何かが変わった。何事も無いように振舞いつつも、どこか余裕が無くなり、些細な事で召使を叱責しては処罰と称して暴行を加える。以前なら兄弟同士の喧嘩を仲裁していたのに、無視するか場合によっては剣を抜いて力づくで黙らせようとする。
別人のようになった長門彦から、次第に周囲の者は距離を置いて去ってしまった。悪い事に彼はその理由を自分に力が無いからと思い込んで、より強い力を求めるようになり、身体を苛め抜くような無謀な鍛錬や勉学に没頭するようになる。
それでも武芸はヤトに近づくどころか、月日が過ぎるごとにより差は広がった。時には周囲が天才に張り合っても無駄、軍人なら剣より人を使う事を覚えろと、助言しても耳を貸さなかった。
そうして二年の月日が経った。長門彦二十歳、ヤトが十三歳の時に遂に惨劇が起きてしまった。
ある夜、禁裏の宝物庫に長門彦が一人で訪れて、夜番の衛兵を殺して蔵からある剣を奪った。剣は目録に五百年以上昔に葦原に流れて来た、曰く付きの血のように赤い魔剣と記されている。さらに目録にはこのように書かれていた。
『使い手に大きな力を貸すが、ひとたび握れば誰彼構わず斬り殺す事を望む呪がかかっている』
そのため誰も使おうとせず、やむなく人目を憚るよう禁裏の蔵に置かれていた。
長門彦は力を求めるあまり、禁忌の魔剣を持ち出し、呪に魅入られて目につくモノを手当たり次第に斬った。
そして一番斬りたかったヤトを見つけ、兄弟は殺し合う。
結果、生き残ったのは弟の方だった。兄は戦いの最中、腕を斬られて赤い魔剣を奪われ、殺したかった弟の手で心臓に剣を突き立てられる事で、短く暗い生涯を終えた。
惨状を引き起こした皇子が弟に返り討ちに合ったところで、事はそう簡単に収まらなかった。
何しろ禁裏の中で、よりにもよって皇子が刃傷沙汰を起こし、討ち取ったのが実の弟の皇子だ。乱心した長門彦皇子が多くの兵を殺したのを見た証人は多く、上から下は大混乱に陥り、詮議は難航した。
身を護っただけの大和彦皇子に罪は無いと言う者は多いが、兄殺しを無罪放免しては禁裏の秩序が崩壊する。そしてこれを機に一人でも皇になりそうなライバルを排除したい、他の兄弟の取り巻き貴族が事を荒立てて、政治闘争にすり替わっていた。
遅々として収拾のつかない事態は、結局父である皇その人が沙汰を言い渡す事で無理矢理に決着が付いた。
『大和彦は兄殺しの禊のため、葦原より数年の退去を命ずる』
こうして大和彦皇子は十三歳の少年ヤトとして、生まれて初めて生国を出た。供は一人もおらず、手には兄殺しの赤い魔剣≪貪≫と、それなりの路銀だけ。
殺戮を強要する魔剣を手にしても、なぜヤトが影響を受けないのか。理由は何となく何となくわかる。元から戦う事にしか関心が無いのだから、呪がかかっていても大差が無い。ならば兄殺しの忌み子と共に放り出せば後腐れが無い。そんな思惑で大人達は餞別として赤剣を押し付けた。
誰もが皇子は二度と葦原の土を踏めないと思い、いつしか長門彦と大和彦の二人の皇子は人々から忘れられていった。
話せる事は全て話したヤトは、すっかり冷めてしまった茶を一気に飲んで喉を潤した。
「これが僕が国を出たあらましです。元々強者と戦いたかったから、放逐は願ったりでした」
「兄貴は実の兄さんを殺して平気だったの?」
「昔から世話を焼いてくれたのは感謝してますが、公平な立ち合いの末に斬った事には何も」
何となく予想していた返答でも、当人から直に兄弟殺しの悔恨や悲哀が無いと言われると距離を感じてしまう。
もっともそう感じているのはカイルだけで、クシナは別の事に関心を見せていた。
「ならあの雌には何を思っていた」
クシナの言う雌というのは昨日赤子を抱いていた玉依の事だろう。ヤトが許嫁として覚えていたのを、クシナは少しだけ不満に思っていた。
「親が決めただけの間柄で一年に数回会う程度の仲でしたが、放逐される前日に泣かれたので、僅かに罪悪感はありました。同時に今は幸せを手に入れたようで安心しています」
「本当に?」
「本当です」
「なら何故あの雌だけ名を呼び捨てにしている。儂は?」
クシナは口を尖らせて旦那に不満をぶつけてくる。男女の機微に疎いヤトでもこれは察する。嫁がかつて自分の許嫁だった女に嫉妬をしているのだ。
カイルとロスタの視線も加わって、居心地の悪さにヤトの目が泳ぐ。それでも分かりやすい要求なら叶えるのは容易い。
「分かりました。これからはクシナとだけ呼びます」
「うむ」
「仲良き事は美しき哉というやつですね。ですがこういう時はもう一波乱あったほうが盛り上がりますよ」
「ロスタはちょっと黙ってて」
「てへぺろ」
せっかく丸く収まったのに、それを引っ掻き回そうとするロスタを主人のカイルが黙らせたが、相変わらず舐め腐ったポーズで誤魔化す。この様子では全く懲りていないようだ。
ロスタの行為にヤトはふと、昨日の富人が玉依と孫を引き合わせたのかを考え、一つの推測に至る。
あれは息子の嫁を自分に差し出す思惑があったのかもしれない。
歴史上の皇には自分の側室を家臣の貴族に下げ渡す行為を行う者も居た。皇の手が付いた女は格が上がり、その女を妻に迎えるのはある種の誉と今でも考えられている。さらに女の胎に皇の子が居たと風潮すれば、血は繋がらなくとも貴族は皇子の義父となり、禁裏での発言力が増す。
そこまでいかずとも、皇族の手の付いた女が子を産めばその子は皇族として扱われる事もある。場合によっては所用で地方に訪れた皇族に自ら妻や血族に伽をさせて、子を作らせようとする貴族も珍しい事ではない。
一度でも手を出してしまえば、もう言い逃れは出来ない。特に葦原は多くの民が獣人、エルフ、ドワーフ、ミニマム族などの種族と混血が進んで、三代遡れば誰かが混血していると言われている。時には両親と子さえ種族が異なる事だってある。胎の子の父親が誰かなど母親だって分からないのだ。
よって有り得ない事だが、ヤトがかつての許嫁の事を忘れず、一度でも関係を持ってしまったなら塩原の一族に皇族が生まれてしまう。
富人、浜麻呂の親子は全てを分かった上で玉依を差し出してきた。貴族にとって血族も嫁も、まして子供とて権力維持と立身出世の道具と割り切っている。
よくよく考えると、この手回しの良さは出来過ぎていると思った。たまたま仙人伝説を調べに来た地で、かつての許嫁と再会した。これが偶然とは思えない。
そもそも翁海を勧めたのは師の綱麻呂。師と玉依はやや遠いが親族だったのを思い出す。
綱麻呂は万が一でも、ヤトと玉依を結びつけるように謀ったのだろう。あれもまた貴族だ。利用出来そうなモノを効果的に使うのを躊躇ったりはしない。
「まったく、調べ物をするためだけに戻っただけで、良いようにしてくれます」
「何の話?」
「カイル、出来るだけ早く情報とお宝でもなんなり手に入れて、さっさと葦原から離れないと都合良く利用されて振り回されますよ」
「…………あーそういう面倒事か。ちぇー!もうちょっと楽しみたかったのになー」
皇子としての地位を使えば大抵の事はまかり通るが、代償に面倒事が次から次へと舞い込んでくる。正直割に合わないし、しがらみに捕らえられるのは御免だ。
こういう時に利より自由を選ぶのが、ヤトとカイルが似ている所だろう。
カイルは自分達が置かれている状況が必ずしも良いと言えないと気付き、早速ロスタを伴って街へ情報収集に出かけた。一人前の盗賊に任せておけば何も心配は無かった。
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