第21話 訪れていたかもしれない光景



 街道を牛車が二台連なって東へ進む。近隣の農夫や旅人は車を避けて道の脇に移動して、頭を軽く下げる。

 車は全体に漆塗りで側面には簾が掛かっていて、どのような人物が乗っているかは外からは見えない。しかし牛車に乗れる者は貴人に限られるので、貴族だろうとは察せられる。おまけに車を挟むように馬に乗った何騎もの武官が前後を警護しているのだから間違える筈は無い。

 葦原の街道は土を突き固めて、端より一段高くして水捌けを良くしただけの簡素な道だったので、都ならともかく遠方への移動にはあまり向かない。だから貴族の中にも馬に乗った方が楽と思う者は意外と多い。

 それでも格式は乗馬より牛車の方が上なので、貴族や皇族は実利以上に見栄のために車に乗る。階級社会というのはそういうものだ。

 後ろの牛車に乗るカイルは、兄貴分のお零れの形で貴族のような扱いを受けても、やはり堅苦しい生活は苦手だと思った。

 ただ、ここ半月ばかり過ごした葦原自体は面白いので気に入っている。大陸の西には無い文化や食べ物は真新しくて刺激に満ちている。

 何よりカイルが心躍らせるのは、これから訪れる海のある地だ。生まれてこの方内陸育ちで噂でしか海を見た事が無かった。養親のロザリーどころか実母のファスタだって海は話しか知らない。西のエルフとして、東の果てを見る数少ない機会を得られたのは幸運としか言えない。

 おまけに、というより兄貴分にはこちらの方が本命だろうが、向かう先は神か仙人なる者の伝説が残る地という。これは冒険の匂いがプンプン漂う。盗賊の本能がそのように訴えている。少なくとも退屈だけはしないだろう。

 後は美人のお近づきになれれば言う事無しである。カイルは車の中で従属のロスタに膝枕をさせながらウキウキしていた。



 三日間のゆっくりした牛車旅の末、一行は翁海の地に入った。

 この街道は地元民からクジラ街道と呼ばれている。海で獲れたクジラの肉を皇都≪飛鳥≫まで運ぶ事から、いつしかクジラ街道と呼ばれるようになったらしい。

 もちろん翁海の沖ではクジラ以外にも豊富な海産物が獲れるが、日持ちして大量に獲れる海産物の代表がクジラ肉だった事から名付けられたというわけだ。

 特に道中で生魚が出始めてカイルは大いに困惑した。海辺から離れた土地では肉や川魚は絶対に火を通すか、完全に乾燥した保存食しか見た事が無い。それを平気で生食するのだから驚きもする。

 しかし実際にヤトや御付きの武官が刺身を食べて、クシナもそれに倣うのを見れば、食い意地の張ったカイルも美味しそうに見えた。実際食べてみると意外と美味かった。

 翁海に入ってから丸一日移動に費やした一行は、街道沿いの大きな宿場町の宿を丸ごと貸切って泊まった。町はわざわざ≪桃≫や内陸の国から真珠や赤珊瑚、魚の骨で作る工芸品などを買い付けに来る商人も多く、景気良く金を落とす活気と潤いがあった。

 翌日、宿場町を発ち、一行は北東に向かう。そこに翁海一帯を治める塩原という国司一族が住む屋敷がある。

 屋敷には昼前に着いた。屋敷は政庁と砦も兼ねているので、かなり広く高い土壁を築き、水堀で囲んである。橋板を全て外してしまえば、攻め落とすのはそれなりに苦労する屋敷に見える。

 ヤト達を出迎えるための衛兵がずらりと並び、やけに物々しいというか格式張っている。

 確かに皇子を出迎えるにはそれなりの歓待を示しておくのが礼節だろうが、前もってお忍びの物見遊山と伝え、しかもヤトは皇子であっても公務を持たない無官なので、ここまで派手に出迎える必要は無い。

 あるいは皇子に歓待で媚びを売ったり、評判を禁裏に伝えてもらおうとしている。単に自らの財力を示したいだけ、とも考えられる。

 腑に落ちない点はあっても、ヤトにとっては大して意味の無い行為なので適当に流せば済む事だ。

 牛車から降りた四人を計っていたかのように屋敷の扉が開け放たれ、束帯という豪奢な貴族の正装を着た恰幅の良い若い男が護衛を連れて姿を現す。歳は20~25歳程度だろう。

 男はヤトの前で恭しく膝を着いて、頭を低くして話しかける。


「おおっ大和彦皇子!!このような僻地でお出迎え出来た事、浜麻呂は身に余る光栄にございます!」


「塩原殿、顔をお上げ頂きたい。私は皇子ですが貴方のような官位と国司という地位も持ってはいません」


「いえいえ!御身に流れる尊き血の前では、私めの官位など吹けば飛ぶような木の葉でしかありません!」


「今の言葉は主上が認めた官位を軽んずる発言と受け取りますよ」


 一瞬で春の陽気が凍り付いた。塩原浜麻呂は背中にびっしょりと冷や汗を流し、顔を引き攣らせた。顔を上げていなかったのが不幸中の幸いだった。

 数秒沈黙の後、浜麻呂は何とか動揺を抑えて、中身の伴わない賞賛と弁明で塗りたくって先程の言葉を取り繕う。

 だから付き合うのが面倒になって、聞かなかった事にするとだけ言って黙らせる。

 ヤトは何も彼に対して言い掛かりをつけているわけではないし、ネチネチといたぶって遊んでいる暇人でもない。見え見えのゴマすりの称賛に興味を示さず、本心から警告しているに過ぎない。


「それにこれから世話を受ける相手に、いつまでも頭を下げさせるのは気が咎めます。さあ、立ってください」


 そこまで言われれば相手も立たざるをえない。

 話が進んだところでヤトは連れ合いの紹介をする。

 カイルがエルフ式の畏まった挨拶をすると、浜麻呂もまた簡略ながら式に則り返礼をする。種族と国は違えども、最初に身分確かな者と見せておけば扱いは目に見えて違うものだ。ロスタは従属品のゴーレムなので目に留めない。

 クシナは皇族の奥方という事で恭しい態度を崩さないものの、視線から微かに隔意が漏れているようにも見える。

 一見鬼族に見える頭の角か、潮風に揺られる空の右袖が原因かとも思われたが、そんな分かりやすい原因を隠せないほどに――――迂闊な発言は少し脇に置いておく―――愚鈍な男には感じられない。もっと根深い感情が要因になっているのではないのか。

 尤もヤトはそんな視線が気に入らないなどと、言いがかりをつけるようなチンピラ以下のクズではないし、単なる思い過ごしかもしれない。仮に本当に嫁に何か良からぬ感情を持ったところで古竜に何が出来るというのか。気にするだけ無駄だろう。

 表向き礼を尽くした挨拶を済ませた後、召使に屋敷の離れに案内される。部屋の数は大小二十、風呂は二つ、厨房が一つ。全部自由に使ってくれと言われた。

 夜は饗宴を催すと聞いているので、それまでは外出せずに屋敷で大人しくしている。

 明日からはこの地に居ると思われる神か仙人を探そうと思うが、ヤトとクシナには常に護衛が就く。正直不要でしかないが形式上どうあっても外して行動するのは無理だ。

 だから自由に動けるカイルとロスタが代わりに宿場町や漁村を情報収集することになった。


「やり方は全て任せますから、好きにやってください」


「はいはーい!僕に任せてよ!あっ、昨日の町でちょっと聞いたけど、ここらの海って沈没船が結構あるみたいだよ。中にはお宝がざっくざく残ってる船もあるってさ」


「異国の交易船を迎える港もありますから、そういう話はよく聞きます。カイルは引き上げられるんですか?」


「うーん、どうだろう?水の精霊に頼めば何とかしてくれるかもね。そしたら僕って超大金持ちじゃん!」


 カイルはもはや財宝を手に入れたも同然に盛り上がる。正確には金はどうでも良いのだろう。求めているのはまだ見ぬ財宝であって、手に入れた財貨で特別な何かをしたいわけではない。言うなれば未知を求める探求心が彼を突き動かしている。どうあっても一ヵ所に留めてはおけない気質なのだから、変化に乏しい森を出たがるのは必定だ。

 実際に海から財宝を引き上げたとしたら、所有権を主張するかつての船主や砂糖菓子に群がる亡者など、色々と面倒な事になるのは目に見えているだろうが、わざわざ水を差す必要も無かろう。いざとなったら自分が皇族の名を出して丸く収めればいい。その程度の労苦は仲間であり兄貴分として背負うべきだ。

 当面の予定が決まり、後は饗宴を待つばかり。



 湯と軽い休息を挟み、夕刻に饗宴のある本屋敷に呼ばれた。

 通された所は中庭に面した広間。そして庭には即席で組んだ舞台が設えてある。饗宴にはよくある催しで、芸人や踊り子を呼んで場を盛り上げる。こうした文化は国を問わず、どこにでもある。

 既に塩原の一族は揃っており、全員が深々と頭を下げてヤトを出迎えた。


「禁裏の宴と比べれれば田舎臭く貧相ですが、どうかお楽しみください」


「何をおっしゃいます。皆々様、今宵は過分な歓待、誠に感謝いたします」


 浜麻呂の隣に座る、よく似た中年貴族が三人を座に招いた。彼は自らを富人と名乗り、周りからは御隠居と呼ばれていた。察するに先代当主で浜麻呂の父だろう。

 席を勧められたヤトとカイル、クシナはそれぞれ所定の席に座った。葦原の饗宴は男女は分けられて接待を受ける。

 お膳は各々の前に五つ置かれている。どれも新鮮な魚介を使った見栄えの良い料理が並ぶ。海の幸以外にも、肉や野菜、果実を使った菓子の膳が見た目で楽しませる。葦原有数の交易港もあって、西国の食器が使われ、ワインもある。

 これらは客を楽しませると同時に、土地を支配する一族の財力や支配力を誇示するための道具だった。

 席に就いた三人の杯に酒が注がれ、口を付けたところで舞台に前座の芸人が立ち、海を泳ぐ亀を真似た滑稽な踊りで笑いを誘う。

 場が盛り上がれば今度は見目麗しい踊り子が楽器の伴奏を背に雅な舞を披露した。

 カイルは綺麗な女性の舞を見られて満足している。クシナは舞には興味を示さず、お膳を手当たり次第に食べてはお代わりを要求して、周囲を驚かせている。


「如何でしょうか。都とは些か気風が異なりますが、評判の娘達ですから皇子にも楽しんでいただけると思います」


 隣で接待役を務める富人に、当たり障りのない返答で済ませた。相手もこちらの気質は知っているから、礼を尽くしたという事実さえあれば返答内容はさして重要ではない。

 舞が終わり、踊り子たちが舞台から去ったのを機に、富人が襟を正してヤトに是非とも会ってもらいたい人が居ると願い出る。

 こうした宴席ではよくある事だ。大抵は立身出世のために一族の若者を目上の者と引き合わせて、顔を覚えてもらう儀礼。もう一つは異性を引き合わせて、一種のお見合いのような行為が行われる。相手が若い男の場合は妾を勧められる事も時々ある。

 どちらにせよヤトのように既婚者かつ、大した事のない皇位継承権の低い無役の皇子にわざわざ引き合わせるのは珍しい。

 何のつもりか分からなくても断る理由に乏しいので了承した。

 許しを得たのを大仰に喜んだ富人は両手を叩いて件の人物を呼ぶ。

 隣の部屋のふすまを開けて姿を見せたのは赤子を抱いた若い貴族の女性だった。


「息子の女房と、我が初孫でございます。ぜひ皇族の方に抱いて頂きたい」


 普通に考えて赤子の方だろう。こういうケースは初めてだったが特に不利益は無いので母子を招く。何故か浜麻呂が唾を飲み込みヤトを凝視する。


「……昨年生まれた息子の燕丸でございます、大和彦皇子」


 ヤトは手足をばたつかせる赤子を受け取り、思いっきり泣かれた。この世で最も安心する母親の腕から、いきなり見知らぬ男の腕に代わったのだから当然である。

 泣いて暴れる赤子に苦慮して母親に返そうとして、顔に既視感を覚えた。

 赤子の母の年頃は十五~六歳程度。血の巡りの良い紅い頬にすらりとした鼻立ち、薄く紅を塗った形の良い唇とクリクリした大きな目。最も目を引いたのが艶のある黒髪と、その上にピンと立った猫のような耳だ。母親は猫人の血が少し入った混血だった。

 全体像と過去の記憶から、ヤトの脳裏に一人の少女が浮かび上がった。


「…………貴女は玉依ですか?」


「覚えてて頂けたのですね」


 玉依と呼ばれた女性はじっとヤトの瞳を見つめる。時が止まったような感覚は燕丸の泣く声で霧散し、改めて母親の元に返した。

 そして彼女は泣きわめく息子をあやし、夫の隣に座る。


「我が孫ながら元気があって良い。その上、皇子に抱いて頂いた事は自慢話になりましょう」


「喜んでいただけたなら何よりです。――――きっと僕のようには育たないでしょう」


 ヤトの後半の呟きは再開した舞台の演奏によって富人の耳には届かなかった。


 その後、饗宴はつつがなく終わり、ヤト達は宛がわれた離れへ戻った。

 カイルと寝室に別れてすぐに、どこか余所余所しいクシナはヤトの手を引っ張り、顔を見上げる。


「あの雌は汝の何だ?」


「婚約者だった人。もし国に残っていたら、僕と夫婦になって子を作っていたかもしれない女性です」


 それ以上は何も聞かず、クシナはヤトを布団に押し倒して、抱き着いたまま眠ってしまった。まるで自分のもので誰にも渡さないと主張するかのようだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る