第20話 師のけじめ



 ヤトは師の綱麻呂を禁裏の北にある林に連れて来た。

 ここでヤトは野での戦い方を師より学んだ。


「師から見て私の剣はどう見えました?」


「不敬を厭わず申すのなら、邪剣でございます。我が『臣陰流』は凶手より身を護る為の教え。ですが、皇子の剣は凶手そのもの」


 憤死しかねない激情を必死に耐える綱麻呂に、ヤトは反論も同意もせず、ただ真っすぐ師を見つめる。

 綱麻呂の言う通り、『臣陰流』は日常的に暗殺者から命を狙われる皇自身が身を護るため、古来に編み出された剣。

 暗殺者の思考を模範して、暗殺を防ぐ事を第一の目的とした守護の剣である。ゆえに近衛軍の中でも心身を認められた者だけが学ぶ事を許される、誉ある流派として何百年と禁裏を護ってきた。

 中には暗殺に対する思考が行き過ぎて心を病んだ者。一族が政争に負けて放逐されたために暗殺者に鞍替えした者。護りを忘れて、ただ技能だけを追求し続けた者。

 過去にはそうした一部の外れ者を出してしまった事は事実だが、綱麻呂の門弟には今まで一人も出ていなかった。

 それがよりにもよって最も才覚に優れて、誰よりも尊い血を宿す皇子が邪剣使いになってしまったなど、自ら首を切って皇に詫びを入れねばならぬほどの大失態だった。

 あるいは外の世界を見ればと、淡い期待を抱いていた。実際、数日前に噂で妻を伴い帰還したと聞いた時は歓喜した。『剣の極意は護り』その教えを理解してくれたと思った。その想いは一手交えただけで思い違いだったと否応なしに叩き込まれた。

 これも己の不徳の致すところ。ヤトの態度次第では刺し違えてでも、自らの過ちを雪ぐ。心の奥底で決意していた。

 ヤトは師の覚悟を知らない。しかし腹を割って話しているつもりだ。


「師の仰る事は理解します。ですがこの戦い方が私には最も合う。それに剣はやはり殺しの道具でしかない」


「皇子!」


 綱麻呂の肩が僅かに動く。腰に差した短刀をいつでも抜けるように力を込めてある。

 ヤトもそれに気付いているが、何もしない。元から今は帯剣しておらず、傍から見れば圧倒的に不利な状況に置かれている。にも拘わらず、心は凪の湖面の如く平穏そのものだった。


「落ち着いてください。それに、私が聞きたかったのはそういことではない」


 ヤトは師の殺意を受けても構わず背を向けて、近くに落ちていた小枝を拾い、大きめの石に振り下ろす。

 すると石は真っ二つに割れる。さらに小枝を地面に突き刺すと、枝は柔らかく耕した畑の土に刺すようにみるみる埋まっていく。

 綱麻呂はヤトが気功術で枝を強化したのかと思ったが、当人の様子を見る限り気功は行使していないように見えて首を傾げる。


「私はいま何もしていないからこそ、枝は名刀を超える切れ味を得ている。先程の立会いも最後を除いてずっと気功を木刀に纏っていた」


 理解が追い付かない綱麻呂にもっと分かりやすく見せるために、ヤトは彼の短刀を抜いて指で軽く振れた。短刀は音も無く切断されて地面に突き刺さる。


「これは一体……」


「三月前に神を降ろした巫女を斬った時を境に、私は剣そのものになりました」


「そんなばかな……」


「事実です。今は触れるモノ全てを切り裂き、持った箸でさえ切れぬ物の無い刃と化してしまう。だから普段は気功の纏い、鞘のように身を包んでいる」


 信じられない綱麻呂は斬られた刃を拾い、その切断面の滑らかさに呻く。まるで最初からこうした造りだったかのような美しさは、如何な名刀でも造れそうにない。


「戻って来たのは気功術、あるいは源流となった≪桃≫の仙術をもっと深く理解して習得すれば、制御可能になると思ったからです。私に気功を伝授した師なら可能ではありませんか?」


 頭を下げる弟子に、師は即答する事が出来ない。そもそも綱麻呂とて気功術はそこまで深く習得していない。あくまで一武人として常識的な範疇で習得したに過ぎず、噂に聞く隠者や神仙のような真似は無理だ。

 さりとて不詳の弟子を無言で突き放すほど情に欠けている事も無い。それに一つヤトの行動に疑問を持った。邪剣を貴び、剣を殺しの道具と嘯く皇子が鞘を求めてはるばる帰って来た。ただの悪鬼外道に堕ちた男なら決してそのような選択はすまい。


「皇子は何のために鞘を求めているのですか」


「剣は斬りたいと思うモノだけ斬れれば良い。不要な時は鞘に入れておく。そして斬りたいと思うモノはそう多くはない」


「……そのお言葉、信じましょう。ですが、某は皇子の求める答えを持ち合わせてはおりませぬ。仙術の事は神仙に尋ねるのがよろしいかと」


「≪桃≫に行けと?」


「その前に葦原の神仙を尋ねては如何でしょうか。各地には神仙が住まうと伝わる山河は多くございます」


 ヤトは綱麻呂の提案に考え込む。確かに葦原にも神仙の伝説は数多くある。古の武芸者の中には山奥の仙人に弟子入りして名を馳せた者も居る。多くは単なる迷信だろうが、百に一つは本物が混じっているかもしれない。

 各地を回って虱潰しに探せば求めるモノが見つかるだろうか。

 よくよく考えれば胡散臭い伝説をもとに≪桃≫に行った所で、やる事はさして変わらないとも言える。まずは近い所から探すというのは道理か。

 あとはヤト自身の運がどれだけ本物の仙人を引き当てられるかだ。

 困った事にいくら皇子のヤトだからといって国の間諜を好きに出来る権限は持っていない。そして葦原には渡世人は居ても、盗賊ギルドのような組織は無いから、自力で情報を集めるしかない。


「師は神仙に心当たりがおありですか?」


「一つそれらしき噂を聞いた事がございます。皇子は翁海の地をご存じでしょうか?」


「地名だけなら知ってます。葦原の東の海のある領地ですね」


 ヤトの回答に綱麻呂は頷く。翁海は葦原の東にある海に面した土地だ。古来より豊富な海産物が獲れて民は飢えた事が無く、真珠や珊瑚を≪桃≫に輸出して財を成す豊かな土地と聞く。

 そこまでは葦原の民でも知っている者は多い。綱麻呂の話はここからが本番だ。

 綱麻呂曰く、翁海の領主は古より住まう仙人とも神とも言われるナニカと契約を結び、生贄を捧げる事で繁栄を約束されているらしい。


「それは単なる妬みの類では?」


「かもしれませぬが、かの地では鮫に襲われる漁師が殆ど居ないと聞きます。何か秘密があるのではないでしょうか」


 正直言って眉唾の法螺話のように思えるが、他に行く当てもないので行ってみるのもいいかもしれない。それに久しぶりに海を見るのもいい。クシナとカイルも海の幸を食えると聞けば喜んで付いてくるはずだ。


「では翁海に行ってみるとします」


「領主への紹介状と連絡は私が手配いたします。三日ほどお待ちいただきたい」


 連絡も無しに勝手に行くのは幾ら皇族でも非礼に当たる。かと言って身分を隠して相手貴族に挨拶もしない場合、後で事が発覚すれば面子を潰された領主が禁裏に抗議するのは目に見えている。ここは大人しく待っているのが正しい。

 手を尽くしてくれる師に礼を言い、ヤト達は言われた通り三日待ってから大陸最東端の翁海へと旅立った。

 そこでちょっとした縁のある人物と再会するのをヤトは知らなかった。


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