第35話 空と獣の王
ヤトとカイルが王都アポロニアを出立して十日。旅は順調そのものだ。
二人は誰かに追われているわけでもなく、野盗や狼と遭遇して妨害されもしない。七日目までは点在する農村で新鮮な食料を調達して快適な食事生活を送った。そして頑丈な若者は幸運にも途中で病気に掛かる事も無かった。
そこから先は道なき道を三日かけて踏破して、未開の地と言って差し支えの無い自然なままの地に辿り着いた。
この地こそが『禁断の地』と呼ばれる古竜の住まう辺境だった。
「何もない所だね」
「竜が住む土地ですから。でも人が居ない分、動物が暮らすには快適かもしれませんね」
ヤトの言う通り、この地は生命に溢れた豊かな土地だ。
深く険しい山々に三方を囲まれ、山から流れる豊かな川が森を育み、草木は大小様々な草食動物や虫の食料と寝床を提供する。それらの動物を餌とする肉食の獣も集まり、調和の取れた生態系を維持している。
仮にここに人や亜人が街を作れば温暖な気候と豊富な水によって、優れた穀倉地帯へと変貌するだろう。
しかしそうならない理由があった。この地に住まうドラゴンである。
最後に立ち寄った村で二人は村人から散々に忠告と制止を受けた。それもレオニス王の許可証を見せても、村人は主張を翻さなかった。互いに武力で制止しないだけマシと言えた。
「『聖なる竜を怒らせてはいけない』だっけ。やっぱり古竜でも斬ろうとしたら怒るよね」
「どうでしょう?人と竜の精神性の違いは僕には分かりませんし。でも、首を斬ればもう怒る事も無いと思います」
殺してしまえばそれまで。ヤトの言葉は真理であるが、問題はただの人が幻獣の最高峰である古竜を殺せるかどうかだ。
そしてもう一つの問題が二人の前に横たわっている。
この広い秘境の中からドラゴンを探さねばならないという事。伝説によれば竜は百人は乗れる帆船よりもなお大きいという。誇張でなければ、この前倒したサイクロプスより大きいかもしれない。
それでも深く広大な山々と森を探し回る必要があると思うと簡単にはいかない。
それこそ何か月も竜を探して動き回る事も覚悟して必要な物資は用意しているが前途多難と言えた。
「竜が家でも建ててくれたら探す手間も少ないのにね」
「向こうは飛べるみたいですから、気長に飛び立つのと降りるのを見守りましょう」
幸い近くの村人の話では、この地のドラゴンは数日に一回は空を飛び、獲物となる大型の獣を獲って巣に持ち帰るらしい。それを追えば何とか寝床は見つかるだろう。
それまでは体力の消費を極力抑えつつ、監視する日々となるだろう。
二人は早速快適な監視生活をするために寝床の設営を始めた。
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竜に対する監視生活もあっという間に三日が経った。まだ竜は姿を見せない。
初日は寝床の設営と共に水源の確保を第一に過ごし、さらに周囲の地形を把握するために二人で探索をしていた。途中、ちょうど丸々と太ったイノシシを見かけ、すぐさま狩って食料の足しにした。保存に使う塩がもったいなかったので、肉は血抜きをしてすぐに燻製にした。これで多少は保つ。
二人とも専門ではないが、森で過ごすためのレンジャー技能を備えているのが幸いだった。おかげで苦労が少なくて済んだ。
二日目から本格的に監視を始めた。と言っても監視はヤトがするだけで、カイルは基本的に食事を作ったり弓の鍛錬をしている。あるいは野草や果実を集めて酒を造っていた。余程暇らしい。
二日、三日、四日と収穫は無かった。数日の間隔はマチマチなのでまだ慌てる時間ではないが、カイルは本当にこの地にドラゴンが住んでいるのか疑いを持ち始めていた。
そして五日後の朝。それは唐突に現れた。
二人が朝食を食べている最中。カイルがナイフのように尖った耳を小刻みに動かして上を眺めた。
「上――――――何かいる。アニキ!」
燻製肉を放り捨てて、ヤトとカイルは手近な木に登る。その時にはヤトにも初めて聞く風切り音が耳に届いた。
そして山の方から大きく羽ばたく影を見た。
影は悠然と空を舞い、森の上を旋回しながら何かを探している。
それはヤトとカイルの真上を通り過ぎた。驚くべきはかなり上空を飛んでいても、はっきりと分かるその巨大さだ。
片方でも平民の一軒家ぐらいありそうな巨大な翼。中型の帆船と同等の太く逞しい胴体。どんな大蛇よりも長くしなやかな尻尾。ドワーフの名匠が鍛え上げた剣のように鋭い爪を備えた四肢。その身体全てに余す所無く覆われた銀で出来たかのように鈍く光り輝く鱗。
ヤトは以前戦い首を落とした事もあるワイバーンとは比較にならない威厳と気高さを感じた。あれこそ全ての獣の頂点に君臨する侵し難き王。最強の幻獣ドラゴンであると。
ドラゴンは数度上空を旋回した後、急速に森の中の川辺に降下した。
数秒後、凄まじい轟音と振動が二人を襲った。川と二人の居た木の上まではかなりの距離があるのにもかかわらず、着地した振動がそこまで届いたのだ。とてつもない重量である。もしかしたらサイクロプスよりも重いのかもしれない。
そして再び飛び上がったドラゴンの左手にはヒグマがしっかりと掴まれていた。自然界において幻獣や巨人を除けば最強に近いヒグマすらドラゴンには餌でしかないのか。
恍惚とした瞳で眺めていたヤトだったが、不意にドラゴンが二人の方を向いたため、全身に緊張が走った。
しかし空と獣の王者は二人に興味が無いとばかりに一瞥した後、北の山の中腹へと降りて姿を消した。
二人は暫く金縛りにあったように動かなかったが、カイルの腹が鳴ったのを合図に緊張は解けた。
「凄かったね竜」
「ええ、本当に素晴らしい。あれこそ僕が追い求めた相手です」
単に憧れを抱いたカイルと違い、ヤトの瞳には明確な殺意と闘志が宿っていた。
その日の昼、ヤトはドラゴンの消えた北の山を目指した。死ぬつもりはなかったが、カイルにはもし十日経っても帰ってこれなかったら一人で帰れと言い含めてあった。
カイルは兄貴分を黙って見送った。
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